婚約の約束
指輪の色と、刻印された文字を合わせるとひとつの花になる、というシャレた言い回しが素敵だと思った。
他にもたくさん選択肢はあったのだが、ありすぎるあまり私はとんでもなく迷い、迷走の道を突き進むこととなった。
時間は限られているし──ということで、最終的に決めたのが【Limonium for you】だ。
しかし、ロマンチックと言えば聞こえがいいが、かなり夢見がちな言葉だ
リュカはこれをどう思うだろう。
何せ、これを着けるのは彼なのだ。
そう思った時には既に注文していて、遅かった。
私はその時のことをぽつぽつとリュカに説明する。
かなり恥ずかしかったけど、リモニウム・アウレウムの花言葉と──。
「それに、リモニウムって紫色の花なのよ。私の瞳の色みたいだなぁ……って…………」
そこまで言って、私はじわじわと頬が熱を帯びるのを感じた。
とんでもなく自意識過剰に思えたからだ。
というか、私、まだリュカに告白の返事すら貰ってない。
それなのに、これは……重すぎるのでは!?
咄嗟に、私は今さっき指輪を嵌めたばかりのリュカの指を掴んだ。
「ごめんなさい!やっぱり重いわよね!?色々考えすぎて、そしたらリモニウム・アウレウムの花を知って!!リモニウムは私の目の色に似ているし、ちょうどいいかも?とか思ってしまって!!あの、外してくれていいから!ほんとうに!」
自分で嵌めておいて何を今更、という感じではあるのだけれど、今になってようやく冷静になったというか!
落ち着いて考えたら、この選択はどうなの、って思ったというか!!
ぐいぐい指輪を引っ張って取ろうとする私の手を、リュカが掴んだ。
「シャーロット、落ち着いて。大丈夫だから」
そのまま、手首を彼に掴まれて──引き寄せられる。ぽすん、と彼の胸元に頭を預ける形になった。
「っ………!!」
「俺は、嬉しいよ。ありがとう。花言葉は詳しくないんだけど……うん。嬉しい。リモニウムの花が、きみの瞳の色に似ているのも、良いね。いつでもシャーロットを思い出せる」
「っ……」
私は思わず息を呑む。
何せ、距離が近い。リュカの声が頭上から降ってくる。
リュカの香りがする。
なんだか、頭がぐるぐる回って上手く働かない。かちんこちんに硬直した今の私は、さながら氷のようだろう。
氷生成の異能を持つだけあるわね、なんて冷静な頭でそう思うけど、そもそも冷静だったらそんなこと考えない。
どうやら私は、よほど混乱しているようだった。
石のように固まって沈黙する私に、リュカが言う。
「きみが好きだよ、シャーロット。……俺の婚約者になって?」
「…………」
「返事が欲しいな」
リュカにそう言われて、私はのろのろと頭を上げた。
沸騰したように顔中が真っ赤になって、上手く頭が動かない。
ギクシャクしながら、私はようやく口を開いた。
「あ、あの、私、異能騎士になったの」
「…………うん?」
リュカが困惑した様子で私を見る。
(間違った!!)
違う、絶対今言うことじゃなかった。
いや、でも言わなければとも思っていた。
でも今のタイミングではない、絶対に!
私は、自分で思う以上に動揺しているのだろう。
視線をあちこちに彷徨わせながらも、リュカに説明する。
「だから、つまりね?クリストファー殿下とお話して、今回の件は私が異能騎士として調査をしていた……ということになったの。ジュリアンが本物のジュリアン・ザイガーと成り代わっていて、それを知らずに婚約を結んでいたなんて知れたら、シェーンシュティットの名にも傷がつくから……という理由かららしいんだけど。配慮してくれたのだと思うわ」
ジュリアン・ザイガーの名を騙る、どこの誰かも分からない男にこころを奪われた挙句、婚約破棄などあまりにも外聞が悪すぎる。
それが社交界に広まれば、シャーロット・シェーンシュティットの名が著しく貶められることは想像にかたくない。
だから、クリストファー殿下は神殿に掛け合って、以前からシャーロット・シェーンシュティットは異能騎士だった、ということにしたのだと思う。
王都のザイガー子爵邸からの帰り道の馬車で、彼が言ったのはそれだった。
私とジュリアンの婚約破棄について、そもそもの話、ジュリアンとの婚約は異能騎士の調査によるものだった──と、そういうことにするから、と。
あの、食えない穏やかな笑みを浮かべて、彼は言ったのだった。
『シャーロットは、軍人向きだと思うんだよね。何よりその気の強さ。追い詰められても精神が折れない、というのは結構難しいことなんだよ。こればかりは、訓練だけじゃどうにもならないからね。本人の気の持ちように左右されるものだし』
(殿下は私のこころを読む力は有用だから、今後も力を貸してほしい……と言ったけど)
一体彼は、いつから、どこまで見通していたのだろう。
私は、この件でクリストファー殿下に大きな恩が出来た。しばらくこき使われても、文句は言えないほどに。
「……私と婚約することで、ツァーベルの名が貶められることはないと思うの」
「そんなこと、」
リュカがなにか言おうとするのを、私は首を横に振って遮った。
「ジュリアンとの婚約で、私が痛い目を見るのは、いいのよ。私の責任だし、私が考え無しだった、というだけの話なのだから。でもそれで、リュカやツァーベルの家にご迷惑はかけられない。だから、今回の件は……ほんとうに有難かったわ」
ジュリアンの上辺だけの言葉に踊らされて、熱に浮かされたことは事実。
それはどう言い繕おうと変わりないのだ。
その結果、私が手痛い思いをすることになり、様々なものを失うのは、自業自得であり、当然の帰結と言えよう。だけど、それにリュカも、ツァーベル公爵家も巻き込みたくなかった。
だから、その問題をどう解決しようかと悩んでいたのだけれど──クリストファー殿下が助け舟を出してくれた。
シャーロット・シェーンシュティットを異能騎士にすること。
王太子権限で書類を改ざんして、二年前付で異能騎士に任命していたことにする、と彼はあの穏やかでありながら食えない笑みを浮かべながら言ったのだ。
今件に関して、クリストファー殿下は全権を陛下から委ねられているらしい。
クリストファー殿下は、こうも話した。
セレグラの問題事しかり、ザイガー子爵家の問題事しかり、シャーロットに助けられた、と。
特にザイガー家の件は、早急に手を打っておかなければ危険な問題事だった。
王家や神殿の知らない間にジュリアンのように何者かが貴族に成り代わり、社交界に入り込むということが多発した場合。
知らず知らずのうちに、ロントウェルという国は蝕まれ、崩壊の道に突き進んでいたかもしれないのだ。
だからこそ、早いうちに手を打ててよかったとのことだった。
確かに、偽りのジュリアン・ザイガーと似た異能を持つ人間がそれを悪用しないとは限らない。今回のように、ルアンナのような異能は、神官の異能【看破】を免れると知れてしまった。
クリストファー殿下は、陛下や大臣、神殿と連携を取り、法整備を進めると言っていた。
(異能騎士への内定……の他にも、報奨金や称号なんかもいくつかいただいたのだけど……)
蛇足なのでそれは後々説明するでもいいだろう。
私としては、自分の問題事を片付けただけなので、ここまで感謝されるのはどこか腑に落ちない思いだった。
私はそんなことを思いながら、リュカの目をじっと見つめた。
「それでも、あなたとすぐ婚約……というのは流石に難しいと思う。社交界の噂が落ち着くのを待ってからになるけれど……ひとまず今は、婚約の約束──ということで、どう?」
「……俺は、すぐにでも構わないよ?」
「私が嫌なの。私は、私のせいであなたやあなたのお家に迷惑をかけたくない。だから……ね?次のシーズンの王城パーティー。春の大舞踏会で、私と踊って欲しいの。……三回」
未婚の令嬢の場合、舞踏会では同じ相手とは一度きりしか踊らない。
複数回踊るのは、婚約者か、婚姻関係のある夫婦か、あるいは恋人だけ。
そして、四回以上同じ相手と踊るのはマナー違反に当たる。
三回というのは、同じ相手と踊れる許された回数の中で、もっとも多い数になる。
つまり、リュカと私がパーティーで三回踊るのは、婚約目前だと周囲に言っているようなもの。
私の言いたいことが分かったのだろう。
リュカは目を見開き──それから、目尻を赤く染め、私から視線を逸らした。
口元を手で覆って。
「……きみには敵わないな」
「踊ってくれる?」
尋ねると、リュカが私を見て、未だ赤い頬のまま笑みを浮かべて答えた。
「もちろん。それが、きみの望みなら。俺にきみをエスコートする栄誉を与えてくれる?」
「……ええ。その時は、お願いね?」
笑いかけると、リュカもふっと笑った。優しく、穏やかに。
そして、彼は首を傾げて──ちゅ、と私の額にくちびるを落とした。
「っ……!」
(い、ま…………!)
微かな感触を感じて、思わずパッと額を手で抑える。
見上げると、リュカが首をかしげ、微笑んでいた。
「約束」
その言葉に、その表情に、ますますじわじわと頬が熱を持つ。もはやどこを見ていいのか分からず、私は思わず俯いた。
髪がさらりと降ってきて、カーテンのように顔を隠してくれたことだけが、救いだ。




