リモニウム・アウレウム
「……え?」
突然そんなことを言われて、リュカが目を見開いた。
脈絡もなく切り出した私に、驚いているのだろう。
だけど、私は言葉を止めなかった。
「ジュリアンは、本物のジュリアン・ザイガーではなかった。何者かがあの男に成り代わっていたのよ。その疑いで、ジュリアンは城に連れていかれたわ。父親のザイガー子爵も、事情聴取のために今、城にいる。だから、彼はここに来れないの」
「ジュリアン・ザイガーが偽物?」
目を見開くリュカに、私はさらに言葉を続け、説明した。
「あの男は【魅了】の異能持ちだった。それでザイガー子爵を操って、本物のジュリアン・ザイガーに成り代わっていたのよ。今は、調査中だけど──これが公になる前に、正式にシェーンシュティットとザイガーの婚約は破談になったわ。ザイガー子爵家側の有責で」
だから、婚約解消、ではなく、婚約破棄、なのだ。
そう説明すると、リュカは灰青の瞳を見開いて絶句していたが──やがて、ちいさく息を吐いた。
「……そう。きみは、そのために王都に……」
そういえば、私はなぜ王都に行くかをリュカに話してなかった。
記憶を取り戻したその日に私はアントニオ・アーベルの家を訪ね、チェーンメイルと鉄板を用意してもらい、昼に出立した。
リュカと落ち着いて話す時間が取れなかったのだ。
「だからね、リュカ」
「ちょっと待って、シャーロット。だいぶ混乱してる」
…………そりゃ、そうよね。
こんなに一気に言われたら。
私はぐっと黙った。
リュカはしばらく沈黙していたけど、やがて呟くように言った。
「ジュリアンが異能保持者だとか、それが魅了だったとか、すごく気になる話ではあるんだけど……それよりも、シャーロット。きみと彼の婚約が破棄されたっていうのは事実なんだね?」
「……うん」
私は頷いて答えた。
以前は、恋人になりたい……と曖昧な言葉しか彼に言えなかった。
だけど今は違う。
私は、正式にジュリアンとの婚約を破棄したのだ。
だから、今の私は──。
「だから、リュカ。私と結婚して」
婚約して、と言うことができ──
でき……
でき?
「…………」
数秒の沈黙の後。
私はバッと顔を上げた。
リュカも、私を見ていた。
リュカの頬や耳は赤く染まっていて、おそらくそれは私もだろう。
「──じゃなくて!!」
大声で私は否定した。
その声の大きさにリュカもびくっと肩を跳ねさせた。
彼は、戸惑いながら聞き返す。
「あ、え、違うの?」
「違……違わないのだけど!そうじゃなくて!」
婚約したら、いずれは結婚するのだから合ってはいるのだけど、そうではなくて!!
私は混乱のあまり視界がぐるぐると回るようにすら感じた。
どうにかこの状況から脱却しなければ……!
そう思った私はふと、あるものを思い出した。
「えーと……あっ……!」
「えっ……!?」
驚いた私につられてリュカも驚く。
私は彼を見ることなく、セレグラの船着き場から持ってきた荷物──本来は侍女が持つものだが、ふたりは馬に乗れないので急遽私が持ってきたのだ。
紐を弛めて解くと、目当てのものを取りだした。
「これをあなたに」
取り出したのは、青のベルベット生地に包まれた小箱。
それを見て、彼は何が入っているのか予想がついたのだろう。一瞬、息を詰めた後──まつ毛を伏せ、リュカは言った。
「……待って、シャーロット。俺からもきみに、渡したいものがある」
そして、リュカはサイドチェストの引き出しから、何かを取りだした。
それは黒のベルベット生地に包まれた小箱、で。
私たちは互いに顔を見合わせる。
「……考えていることは同じだった?」
私が笑って言うと、リュカも苦笑する。
「次は俺がきみに贈る……って言ったでしょう。ほんとうはこんなところで渡すつもりはなかったんだけど……相手はきみだ。予定通りに行くはずがなかったな」
リュカが困ったように、それでいて少し楽しげに笑った。
彼の言葉に、私はくちびるを尖らせて抗議する。
「あなたの段取りを無視して話を進めたのは悪かったわ。でも、まさかリュカも用意しているとは思わなかったの。だって、ほら、前に私が渡したのは防具だし……」
好きなひとへのプレゼントに防具というのは、どうかと思うのよ。ほんとうに。
結果的にそれが彼を救ったとはいえ、それでもちゃんとしたプレゼントを贈りたいと思うのは、恋する女性としてとうぜんの考えだと思う。
リュカはクスクス笑いながらも、自身が手に持った黒のベルベット生地の小箱を開いた。
パカ、と軽やかな音がする。
「別にいいのに」
「良くないわ。絶対良くない」
「まあいいけど。おかげできみから素敵な贈り物を貰えた。以前の防具も含めてね」
……リュカは私をからかっているのだろうか。
表情が全く変わらないので、わからない。
思わず、異能制御装身具を外そうか、ちらりと手首に視線を向けるが、止めた。
そんなもので彼のこころを知っても、嬉しくないからだ。
「シャーロット、手を」
リュカに言われて、私は彼に左手を差し出した。
この国には、愛するひとに黄金の指輪を贈る──というジンクスがある。
そういえば、以前ルアンナにそれでマウントを取られたことを思い出す。
記憶を取り戻してから思い返しても、ジュリアンからゴールドの指輪をもらった覚えはない。
今思うと、やはりルアンナは私に対抗していたのだろう。
それはなぜ?
考えて、理由に思い当たった。
……ジュリアンを取られる、と思ったからだろうか。
彼女にとって、ジュリアンは彼女を庇護する絶対的な人間だった。
私という婚約者が現れて、不安に思ったのかもしれない。
そんなことを考えていると、リュカに呼びかけられた。
「シャーロット?」
気がつくと、私の左の薬指にはリュカからもらったゴールドの指輪が嵌っていた。
思わず手を持ち上げて、まじまじとそれを見てしまう。
(……綺麗)
そんな、在り来りな言葉しか出てこない自分に苦笑した。なんだか夢のようで、現実味がない。
私は、薬指に嵌めた指輪をなぞって──ふと、文字が刻印されていることに気がついた。
「これ……」
顔を上げると、リュカはほんのりと目尻を赤く染めていた。
彼自身、赤くなっている自覚があるのだろう。
その赤みを誤魔化すようにリュカが髪を耳にかけて答えた。
「……店に行ったら、そういうのが流行りだと言われたんだ。柄じゃないのは分かってる」
「そんなこと言ってないわ。……すごく、嬉しい。ありがとう、大切にする」
私は胸に抱くように左手を包むように右手で覆った。
そして、私も小箱から指輪を取りだして、彼の指に嵌める。
嵌めて──すぐに、彼も気づいたらしい。
リュカが、その灰青の瞳を見開いた。
「そう。私も、入れてみたの。……あなたと入れた文字は、異なるけど」
リュカの入れた言葉は【DEAREST】
私の入れた言葉は【Limonium for you】
黄金は、アウレウムとも言う。
指輪に刻印した文字と合わせると、リモニウム・アウレウム。
花言葉は──永遠の愛。




