ジュリアン・ザイガーというひと
彼は、ゆっくりと階段を降りてくる。
どうやら、クリストファー殿下は事前にザイガー子爵に連絡をしていたようだ。
クリストファー殿下は、ザイガー子爵を見てから、ジュリアンに言った。
「彼はね、ここ一年ほど、実の息子に違和感を抱いていたらしい。どこが……と言われるとそれは分からないのだけれど、それでも、確かになにかがおかしい……とは思っていたようだよ。そうでしょう?ザイガー子爵」
クリストファー殿下に声をかけられたザイガー子爵は、眉を寄せ、険しい表情をしながらもゆっくりと頷いた。
「……様子のおかしい私を、王太子殿下が気にしてくださったのです。しかし……殿下、これはほんとうなのですか?ジュリアンが、偽物……など」
「神殿の記録によると、ジュリアン・ザイガーは異能未保持者だった。異能保持者のその九割が、幼少期に能力を発現させる。もちろん、大人になってから能力に目覚めるものもぜろではない。だから、あなたがほんとうにジュリアンだったとして、異能に目覚めることは何らおかしくはない。だけど──それならなぜ、ジュリアン。あなたは、異能が発現した時に神殿に届出を出さなかった?」
「…………」
もはや、ジュリアンは答えなかった。
俯き、沈黙している。
ザイガー子爵邸に沈黙が広がり──代わりに答えたのは。
「ど、どういうこと……なの、ですか?お兄、様が……にせ、もの」
ぶるぶると震えながら、顔を蒼白にさせた、ルアンナだった。
今にも崩れ落ちそうなほど震えながら、彼女は信じられないと言った様子でジュリアンを見ている。
裏切られた──と、そう思っているのだろう。
彼女はただただ、純粋に、無垢に、あるいは愚かに。ひたすら、ジュリアンを信じ続けてきただけなのだから。
ルアンナに気付いたクリストファー殿下が、彼女を見て言う。
「ああ……。そうだった、あなたもいたんだったね。あなたの異能は、秘匿、隠蔽……といったところかな。並の神官では、あなたの異能には敵わないようだから、後日、神官長に見てもらいなさい。公標になることは決定として、異能制御装身具と、あとは……そうだね。年相応の教養を身につけさせなければならないけど、まあ、それは今はいい」
クリストファー殿下はそうまとめると、ジュリアンに尋ねた。
「本物のジュリアン・ザイガーはどこにやった?」
「…………」
ジュリアンは答えない。
私は、一歩彼に近づいて、私もまた、彼に言った。
「あなたのほんとうの名前は?」
尋ねると、突然ジュリアンがぐわっと目を見開いて、怒鳴った。
「ハッ!そんなの知って、どうする!?シャーロット……!!」
憎々しげに、彼が私を睨みつける。
そのこころの声は、どろどろと酷く歪み、憎悪に溢れていた。
《お前に声をかけたのが、誤りだった!》
《お前さえ、お前さえいなければ!!》
《殺してやればよかった!!殺してやる、殺してやる!!》
それで──私は答えを知った。
「……殺した、のね。ほんものの、ジュリアン・ザイガーを」
「──」
ザイガー子爵が目を見開いて、絶句する。
そのくちびるが震え、その顔からは血の気が引いていた。
予想はしていたが、それでも言葉にされると衝撃を受けるのだろう。
「あなたは、ジュリアン・ザイガーを殺し、彼に成り代わり、そして私の婚約者となった。だけど、私にその真実を暴かれそうになり──私の侍女を操って、私を階段から突き落とさせた」
「ひっ……!?」
悲鳴をあげたのは、壁際に控えている私の侍女──リラとエマだ。
私は、彼女達の様子をちらりと見てから、またジュリアンに視線を戻した。
「私が貧民街に行ったことを、知ったのでしょう。真実を知られそうになって、焦ったあなたは私を殺そうと──」
「だったら何だ!?だいたいな、隙がなければこの異能は使えないんだよ!お前の侍女は、お前への忠誠心に欠けていた!それだけのことだ!!」
ジュリアンは、噛み付くように私に言った。
その目は異様にギラギラしている。ここまできて、彼は私にダメージを与えたいと思っているのだろう。
馬鹿にしていた──見下していた私に追い詰められたのが、よほど悔しいのだろう。
だけど、これで彼は自白したも同然だ。
私は彼の胸元をぐっと掴み、引き寄せた。
至近距離で彼の瞳を見つめる。
ぎりぎりと睨みつけるように、射抜くように彼の目から視線を逸らさない。
「……馬鹿にしないで!私の侍女は、安易に私を裏切るような真似はしない。それは、私がいちばん知っている!あなたに何がわかるというの」
「ふん、侍女に裏切られて階段から突き落とされたくせに、滑稽だな!!」
そこまで言って、彼はふと視線をめぐらせ──リラに気付いたようだ。
彼女を見ると、にやりと笑った。
「ああ!いたじゃないか。裏切り者の侍女が!」
ジュリアンに指を指されたリラは、顔を蒼白にしていた。
口元に手を当て、その指先は大きく震えている。
信じられないものを見るように、その目は大きく見開かれていた。
もしかしたら──なにか、思い出したのかもしれない。
それでも、私が言うことなど決まっていた。
「ひとのこころを操って、ひとのこころを壊して、追い詰めて──楽しい?もし、そうなのだとしたらあなたはとても可哀想なひとだわ」
「な──」
「気に食わないんでしょう、私が。だから、無関係の侍女すら貶める。私はね……あなたみたいなひとが、心底嫌いよ!!」
叫ぶように言ってから、私は彼の胸元から手を離した。
そして、彼の青い瞳を睨みつけながら、言う。
「記憶があろうがあるまいが、私は、あなたのような卑劣な人間が大嫌い!あなたが今までどんな人生を送ってきて、何があったのかは知らない。それでも、他人に不幸を振りまくような生き方は、あなた自身を貶めるだけだわ!決して、幸せにはなれない!!」
「──っ」
ジュリアンは目を見開いた。
彼は何か言おうと口を開いたが、それは静かな声によって遮られた。
「そこまで。詳しい話は、城で聞こう。ジュリアン・ザイガー。いや、名の分からない罪人よ。……お前を拘束する」
クリストファー殿下がそう言って、ジュリアンは縛られた。
そして、ジュリアンとルアンナは子爵邸の外で待機していた近衛騎士たちに連れられ、城へ連行されていった。
ザイガー子爵も事情聴取のため、城へと向かった。




