貴族の矜恃
次の日──早朝。
私は、侍女ふたりを連れてザイガー子爵邸を訪ねた。
その日は、雨が降っていた。
シトシトと降る雨の中、ザイガー子爵邸のドアノッカーを打ち鳴らす。
しばらくして、執事長が対応する。
「アポイントメントはございますか?」
困惑した様子で尋ねる彼に答えたのは、私ではなく。
「ないけれど、構わないでしょう。火急の用件で訪問させてもらった。入れてもらえるかな」
同行している、クリストファー殿下だった。
執事長は、今になってクリストファー殿下に気がついたのだろう。
驚きのあまり硬直した後、カクカクと頷いて見せた。
私とクリストファー殿下、そして。
「兄上も悪いひとだね。あの執事長、そう悪いひとじゃないでしょ」
第二王子の、フェリクス殿下。
その後ろに、神官ルーカスが続く。
(私、神官をひとり貸していただきたいと言ったわよね?)
それがなぜ、王子殿下ふたりも同行することになっているのか……。
クリストファー殿下が言うには、ジュリアンがほんとうにジュリアン・ザイガーに成り代わっているのであれば、王家としても見過ごせるものではない……とのこと。
確かに彼の言う通りだ。
そういう経緯で、クリストファー殿下はこの場に同席することになったのだ。
そして、フェリクス殿下は…………。
フェリクス殿下はなぜいらっしゃるのだろう……??
私とフェリクス殿下の関係はあまりにも希薄である。
夜会やティーパーティーで顔を合わせたら挨拶はするものの、私的な会話は今まで一度もしたことない。
なので、彼がどういった方なのか不明だ。
なぜ今回の件に同行しているのかも謎である。
目が合うと、フェリクス殿下がにこりと笑った。
お兄様のクリストファー殿下よりも人懐っこく、可愛らしい印象を覚える方である。
「こういったことは、できるだけ証人が多い方がいいでしょう?それに僕も、興味があるんだ。ジュリアン・ザイガーの目的とその手段……。他人に成り代わるなんてそうかんたんにできることじゃない。直接会って、この目で見てみたかったんだよ」
玄関ホールに入りながら、フェリクス殿下がそう言った。
クリストファー殿下が、気遣うように私に言う。
「すまないね、シャーロット。ぞろぞろとついてきてしまって」
「……いえ。フェリクス殿下が仰るとおり、証人は多い方がいいですから。それに、フェリクス殿下のおかげで必要なものも揃いましたし」
私がそういったところで──階段の踊り場の方から、怒鳴り声が聞こえてきた。
「こんな朝っぱらから来客だと!?追い返せ、何を考えている!!」
「しかし、坊ちゃん。お相手は……」
「構わない。追い返せ!!」
にべもない様子の彼と、流石に王族を追い返すことはできない執事長。
「でも、お客さんなのでしょう?お兄様、良いの?」
どうやら、ルアンナも一緒のようだ。
見れば、ジュリアンとルアンナが揃って踊り場にいる。
これから出かけるところだったのだろうか。
ルアンナに問われた途端、ジュリアンは優しげな声を出した。
しかし、それが演技であることを、今の私は知っている。
「良いんだよ。だいたい、こんな時間にアポイントメントもなく訪問するやつなんてろくなものじゃない。おい、クロード。追い返してしまえ」
豪語するジュリアンの言葉は確かに、正しい。
正しいのだけど──。
「それは困るな。なにせ、私たちは既に邸に上がらせてもらっている」
……相手が悪かった。
訪問客が、自身より階級が上──それも王族が相手なら話は別だ。
クリストファー殿下が答えたことで、ジュリアンは朝早くからの訪問客が誰か理解したのだろう。
目を見開き、絶句している。
そして──クリストファー殿下、フェリクス殿下、私に視線を移すと。
彼は愕然とした様子で言った。
「シャーロット……!?生きていたのか……!?」
……どうやら、ここにも私が重症で危篤状態だと誤解しているひとがいるようだった。
ジュリアンは、私が生きていたことに動揺していたようだったが、すぐに我に返ると、私を怒鳴りつけた。
「何のつもりだ……シャーロット!!殿下がたまで巻き込んで何しに来た!!お前には貴族としての矜恃はないのか!!」
「それは、あなただけには言われたくないわね」
私はちら、と後ろに控える神官を見た。
彼は難しい顔をしていたが、私の視線に気がつくと、微かに首を横に振った。ジュリアンには分からない程度に。
(つまり、【看破】では、ジュリアンとルアンナの異能は確認できなかったと、そういうこと──)
神官に気がついたジュリアンの顔が蒼白になる。
だけど、さすが他人に成り代わった男だ。
いつものように平然とした様子を取り繕うと、ジュリアンは鼻で笑った。
「そんなにぞろぞろ引き連れてきて、何をするつもりだ?そんなにルアンナが気に食わない?前、俺にさんざん聞いてきただろう」
それに、ルアンナが怯えたように震え、眉尻を下げた。
以前は彼女のその仕草に苛立ったものだけど──彼らの背景が見えた今は、ただただ、彼女を気の毒に思う。
おそらく彼女にとって、ジュリアンは世界の全てなのだろう。
悪しき環境から救い出してくれたひとを慕う……それは、何もおかしなことでは無い。
ジュリアンのこころの声を聞くに、彼もそう仕向けていたようだから。
私は、ジュリアンをひたと見つめたまま、努めて冷静に言った。
「何を言ってるのか理解できないわね。したくもないけど。──ジュリアン・ザイガー。今日、私がここに来たのは、あなたの罪状を明らかにするためよ。もちろん、自覚はあるのでしょう?」
「何の話だ?」
「なぜ、あなたはルアンナの手を離さないの?ああ……その前に、殿下の御前よ。階段から降りてきたらどう?」
ルアンナから手を離さない──その言葉に、ジュリアンの顔が固まった。
(……やっぱり)
貧民街で、あの老婆はこう言っていた。
『あの黒髪の男はね……シッカと娘っ子の手を握っていたよ』
実は異能を保持していて、それを悪用していた教会の神父。
その神父を摘発するために、ジュリアンは【看破】の異能を持つ神官を伴って教会へやってきた。
しっかりと、ルアンナの手を握って。
助けに来た少女の手を握ることくらい、何もおかしなことではない。
ただ──ジュリアンが異能保持者であるなら、神官の【看破】に見破られないのはおかしい。
そこで、ルアンナの登場だ。
彼女は、神官の【看破】の目すら欺くほどの異能──【隠蔽】の力を持っている。
ルアンナの異能を発動させるために必要なきっかけは、接触。
貧民街を訪れたあとすぐ、私はザイガー邸に向かった。
そこで、彼がこころの中で言っていたことだ。
《触れた対象の異能を隠蔽する。いけ好かない神官の【看破】の目を欺ける、唯一の異能だ》
つまり、ルアンナから離れた途端、彼の異能は神官によって見破られてしまう。
だからこそ、彼はルアンナの手を離せない。
私は、にっこりとジュリアンに笑いかけた。
「どうなさったの?殿下がたの前で──無礼ですわよ、ジュリアン様?貴族の矜恃はどうされたの?」




