気鬱を患って塔から飛び降りた……?
五日船に乗り、馬車を経由して、セレグラを発って半月。
ようやく、私は王都に戻った。
シェーンシュティットの家に到着すると、すぐにお母様が駆け寄ってきた。社交界の貴婦人と名高い彼女がこうも取り乱すのは珍しいことだった。
それくらい、心配をかけてしまったのだろう。
「シャーロット!!」
「お母様」
「良かった……無事だったのね、ほんとうに良かったわ……!」
「お母様……」
私は、お母様の強い抱擁を受け止めた。
そのまま抱き合っていると、玄関ホールに新たな男性の声が響く。
「シャーロット!?」
ひっくり返ったようなその声は──
「お兄様!」
現れたのは、兄だった。
お兄様は、大急ぎで私たちの元に来ると、目を真っ赤に充血させながら言った。
「良かった……!生きていたんだな……!?」
「はい。このとおり、問題なく」
「良かった!ほんとうに、良かった……!!」
「お兄様……」
「この際、かの地で何があったかは聞かない。お前が無事でよかった。それだけでいい……!お前は俺の大事な妹だ。記憶をなくしてもそれだけは変わりない。いいな……!?」
お兄様は私をひしっと抱きしめながら、泣き出してしまった。
「へ……?は、はい?」
私の無事を喜んでくれるのは嬉しい。
嬉しいのだけど……この喜びようは一体、どうしたことかしら?
戸惑っていると、また新たに玄関ホールにひとが現れた。
……お父様だ。
「シャーロット!!い、生きていたのか!!」
「は、はい」
(確かに……確かに!アントニオ・アーベルの家で階段から落ちて気を失っていたけど……!そんな、まるで死の淵をさまよっていたかのような言い方……)
困惑していると、お父様はさらに言った。
「記憶喪失を苦に思い、セレグラの塔から飛び降りて危篤ではなかったのか!?」
…………。
「は…………はい!?」
私は思わず目を瞬いた。
(な……何それ!?)
どうしてそんなことになっているのよ!?
☆
「あっはっはっは!!」
大爆笑しているのは、私の対面のソファに座るクリストファー殿下である。
あの後、私は家族に無事を伝えると、急ぎ神殿へと向かった。
そして、タイミング良く神殿に訪れていたクリストファー殿下に時間を取ってもらったのだ。
私の話を聞いたクリストファー殿下は何が面白いのか笑いが止まらない様子だった。
「笑い事ではありませんわ!まったく、何がどうして、私が気鬱を患って塔から飛び降りたことになっているんですの?そもそも、セレグラには塔なんてありませんわ!」
私は強く言い切った。
セレグラに高い建物なんてない。
せいぜい、あのバカ長い階段のある、アントニオ・アーベルの家がある程度だ。
愚痴りながら、私は神官が用意してくれたハーブティーに口をつけた。
笑いすぎたあまり、涙が滲んだのだろう。クリストファー殿下は、目元を拭いながら言った。
「まあまあ。あなたの家族はみな、あなたのことを心配していたということだよ」
「……リュカの手紙には、アントニオ・アーベルの家で足を滑らせて落ちた、と書いてありました。曲解しすぎですわ!」
「心配だったんだよ。文面以上の内容を読み取ってしまうほどには、ね」
クリストファー殿下はそう言うと、先程大爆笑していたとは思えないほど優雅な仕草でカップを手に取り、それに口をつけた。
……というか。
知り合ってから結構な時が経つけど、私はこのひとが大笑いしたところを初めて見た気がする。
このひと、笑うのね……。笑うわよね、そりゃあまあ、人間だものね。
でも、どこかひとらしくない……と言ったらとんでもなく失礼だけど。人間らしい生々しさというか、そういう感情を感じさせないひとなので。
大笑いするイメージが全くなかったのだ。だから、とても意外だった。
クリストファー殿下は、やはり優雅な仕草でカップをソーサーに置くと、静かに言った。
「私も心配していたんだよ、シャーロット。あなたが無事でよかった」
「……ありがとうございます」
「それで、あなたが急いで戻ってきたのは、昨日届いた報告書──ダニエル・ボレルの件?……違うみたいだね」
「…………殿下。ひとの顔を見て心中を読むのはおやめください」
「こころの声を読むのはあなたの異能でしょう。私は、表情を見て予想することしかできない。あなたの異能がつくづく羨ましいな」
クリストファー殿下は、そう言ってため息を吐いた。
私はそれを流して、本題に入ることにした。
「ジュリアン・ザイガーの件ですが……全てを明らかにする方法が分かりました。ご助力いただけますか?」




