好き
最終章です。
よろしくお願いします。
思ったより前の章が長くなってしまった…
思い、出した。
全部。……全部。
目を開けると、そこは見慣れない天井だった。
それで、私は今セレグラに来ているのだと思い出す。
私はゆっくりと体を起こした。
どうやら、部屋には誰もいないようだ。
サイドチェストには水差しと、水の入った盥が置かれている。盥には、白の手巾がかけられていて、恐らくそれで額を拭かれていたのだと予想した。
私の名前は、シャーロット・シェーンシュティット。
ジュリアン・ザイガーの婚約者であり、この名にかけて、彼の悪事を暴くと誓った。
あと少し。あと少し……だったのだ。
その手前で、私は階段から落ちた。
侍女の、リラに背中を押されて──。
「…………」
沈黙していると、扉がノックされた。
返事を待たずして、部屋に入ってくる。
「失礼いたします、お嬢様……」
入室したのは、侍女のエマだった。
彼女は私を見て、目を見開いた。
手には、レモンとハーブの入った水差しがある。どうやら、水差しを取り替えに行っていたようだ。
彼女は危うくそれを取り落としそうになりながらも、大慌てでこちらに駆け寄ってくる。
「お、おじょっ……お嬢様!!お加減はいかがですか!?ご気分は……!痛みなどはありませんか?」
「落ち着いて、エマ。私なら大丈夫よ」
「で、ですが……!!ハッ……そ、そうだ。お医者様、お医者様をお呼びします。それから、ええとツァーベル卿にもお伝えして……」
「落ち着いて」
慌てふためく彼女に苦笑する。
よほど、心配をかけてしまったようだった。
私が声をかけると、彼女は今にも泣きそうな顔で私を見た。
「ですが……!!」
「リュカは今いるの?」
尋ねると、エマは涙目になりながら頷いた。
「は、はい。昨日からずっと、宿に滞在されております。ほんとうはそばにいたいけど、世間体的に良くないから、と仰って……。何かあったらすぐに呼ぶよう言付かっております」
「そう……。ねえ、エマ」
私は、鈍く痛む頭を押えた。
後頭部がじんじんと痛むのは、階段から落ちた時に頭を打ったからだろうか。
(あのばか長い階段……最初──いえ、記憶を失ってからここを訪れた時、落ちたら危ないと思ったのよ……)
まさか伏線回収とばかりに落ちるとは、思ってもみなかった。
脱力していると、その間にエマは部屋を飛び出してリュカを呼び出しに行った。
「シャーロット!!」
リュカが大声で私を呼ぶ。
リュカはあまり声を荒らげるひとではない。
彼がこうして大声を出す時は、たいてい私が危機的な状況にある時だ。
それに気が付いて、苦く笑う。
リュカには助けられっぱなしだわ、と今気付いたので。
「心配をかけてごめんなさい」
「もう大丈夫なのか?怪我は。医者を手配しよう」
エマと同じことを言う彼に、私は手のひらを差し出して、彼を制止する。
「大丈夫よ。少し頭が痛いだけだし……それより、リュカ。あれから何日経った?王都に連絡はした?」
「きみが倒れてちょうど一日だ。王都のシェーンシュティットの家には既に連絡をしている。いずれ、ヘンリーか夫人、あるいは公爵がいらっしゃると思う」
「……まずいわね」
私は口元に手を添えた。
やるべきことを思い出した。
一刻も早く王都に戻らなければならない。
何せ、ジュリアンは私が真実に気がついていることを知っている。
彼が私を殺そうと刺客を放ったのが何よりの答えだ。
(お兄様、お母様……あるいはお父様がこの地に来るとなると、入れ違いになる可能性があるわね……)
考え込む私に、水差しからグラスに水を入れたリュカがそれを私に手渡してきた。
「あまり無理はしない方がいい。なにせきみは、一日寝ていたんだ。念の為、医師の診断は受けた方がいい。ファーマルから医者を呼ぼう」
「大丈夫よ。王都に戻ったら診察を受けるわ。わざわざ呼び出すのも申し訳ないもの」
この辺りには医者が居ない。
ファーマルに住む医者は、この近辺に住むひとたちにとって、とても大切な存在のはずだ。それを、こんな軽症でホイホイ呼び出していたら、もっと重症な患者が手遅れになってしまう可能性だってあった。
それを説明すれば、リュカはグッと言葉に詰まったものの、歯切れ悪そうに言った。
「それなら俺が、大きな街まで行って医者を……」
「時間がかかるし、お医者様だって遠方から来るのは大変でしょう?とにかく、大丈夫だから。そんな大怪我じゃないし……少なくとも、今、違和感はないわ。気になることがあったらすぐ医者にかかるから」
何とかリュカを宥める。
それでも彼は納得していなさそうな雰囲気ではあったが、私は話を変えることにした。
「あれから、ダニエルは?」
「ああ、特に動きはないよ。引きこもっているようだ」
「怪しいわね……。何かしら動くかと思ったけど」
「シャーロット」
リュカが私の名前を呼んだから、私は彼の目を見た。
異能制御装身具は手首に嵌ったままだから、彼のこころの声は聞こえない。
「リュカ。私、記憶が戻ったわ」
「…………うん」
リュカは、驚かなかった。
それに、私の方が驚いた。
だけど、伝えようと思っていたことを優先して、口にする。
「私がしようとしていたこと、しなければならないこと。……思い出したの」
僅かな沈黙。
それから、リュカは深く息を吐いた。
「…………そうかな、と思った。きみは俺のことを、リュカ、と呼んだから」
そういえば、記憶を失ってからは彼のことを【リュカ様】と呼んでいたな、と思い出す。
こころの中では、以前と同じようにリュカ呼びだったけど。
そんなことを考えていると、リュカが言った。
「俺が、セレグラに残るよ」
「…………へっ?」
脈絡のない言葉に、私は目を瞬かせた。
私を見て、リュカが苦笑する。
困ったように。
彼は、頬に触れる銀髪を耳にかけると、ベッドの隣に置かれているカウチに座った。
「きみは、しなければならないことを思い出したんでしょ?きみは、記憶を失う前──事故の前、出かける支度をしていたと聞いている。なにか、用事があったんじゃない?」
確信を持ったように、リュカが言う。
悪戯っぽく私を見る灰青の瞳から、目を逸らせない。
「リュカ……」
「ダニエルのことなら、俺が見ておくよ。シェーンシュティットのひとがセレグラに飛んでくる前に戻れば、入れ違いにならないはずだ。手紙は、今朝の便で配達される。今日中に発てば、手紙とほとんど変わらないタイミングで王都に着くはずだよ」
淡々と落ち着いた声で冷静に言うリュカに。
思わず、私は言ってしまっていた。
「好き」
ぽつり、とそれは意図せずに零れた。
明確な、言葉になって。




