裏の日記、それにつける鍵
ジュリアンは、異能保持者だった。
だけどそれを、神殿に隠していたのだ。
それがどういった力なのかまでは、聞き出すことは出来なかった。
だけど、恐らくその異能を使ってジュリアンは本来のジュリアン・ザイガーに成り代わったのだろう。
これは、神殿と社交界を巻き込む大きな事件だ。
私はその足で、王城へと向かった。
事前連絡をしておいたので、すぐに応接室に通される。
やがて、クリストファー殿下が部屋に入ってきた。
ジュリアンとルアンナの報告をした私は、続けて、ここ最近ずっと考えていたことを口にした。
「日記をつけようと思います」
「日記?」
クリストファー殿下が不思議そうに私を見る。
私は、頷いて答えた。
「もし、この先私の身に何か起きた時。それを証明するための記録をつけようと思うのです」
「……万が一に備えて、ね。ねえ、シャーロット」
「何でしょう?」
「リュカに、話したらどうかな」
クリストファー殿下の言葉に、私は体の動きを止めた。
カップを手に持ったまま静止する私に、殿下が言う。
「この件は、あなたがひとりで動くのはあまりに危険すぎる。もし、ジュリアン・ザイガーが本物と入れ替わっているのだとしたら。彼は既に、ひとをひとり殺しているか、あるいはそれに近しいことを行った可能性が高い」
「…………」
「リュカは異能騎士だし、剣術や体術も習得している。あなたがひとりで動くよりもよほど安全だ。それはあなたも分かっているよね」
「……仰っていることはわかります。ですが、今は……。今はまだ、リュカには言えません」
はっきりと答えた私に、クリストファー殿下は少し驚いたように目を見開いた。
それから、優しく尋ねる。まるで、妹に問いかける、兄のように。
「なぜ?」
「……私は、まだ、自分の気持ちに答えを出していないからです。だから、リュカには会えない」
リュカは、私のことをずっと気にかけていた。
私を追いかけて、貧民街まで来てくれた。
私を助けて、私を心配して、そして、『無茶をするな』と怒ってくれた。
その優しさが、あたたかさが、くすぐったい。
嬉しいような気もするし、恥ずかしいような気もする。
だって今までの私の態度は、お世辞にもいいものとは言えなかった。今更、どんな顔をすればいいのか分からない。
リュカの気持ちに応えたい……という、気持ちはある。
だけどそれが、友愛によるものなのか、異性愛によるものなのか。まるで掴めない。
それを知るためにも。今はまだ、リュカに会えない。こんな中途半端な状態で彼に会って、何を言えばいいというの。
私の沈黙に、クリストファー殿下がため息を吐いた。
「……あなたもそうとうな頑固者だね。いいよ、分かった。このことは、リュカには黙っておく。私からは言わない」
「ありがとうございます」
「日記には、ジュリアンのことを書くの?記録だとあなたは言ったね」
私は頷いて答えた。
「日記は既につけています。だから、もうひとつ……裏の日記、と呼ぶものを作ろうと思って」
「裏の日記、か。面白いね」
「表の日記には書けないようなことも、そこには書こうと思うのです。こころの整理もしようと思って。普段の日記には書けないようなことも、正直に綴ろうと思うのです」
私が笑いかけると、クリストファー殿下も苦笑する。
普段つけている日記は、誰かに見られることを前提に書かれている。
日記というのは死後、様々なひとの目に触れる。
身分が高貴であればあるほど、日記の価値も高くなる。
場合によっては博物館などで展示されたり、蔵書室に保管されたり。とにかく、秘密なんてものはない。
それを知っているからこそ、私たち貴族、そして王族であるクリストファー殿下は、隠したいことは日記には決して記さない。
偽りなく本心を綴るのだとしたら、裏の日記には鍵が必要だ。少し考えた私は、クリストファー殿下に尋ねた。
「……確か、【関与不能】の異能を持つ鍵職人がロントウェルにはいるのですよね?その方がどちらにいらっしゃるか、ご存知ですか?」
そして──クリストファー殿下からアントニオ・アーベルの存在を教えて貰った私は、セレグラ地方へと向かった。
セレグラの地で出会ったアントニオ・アーベルは絵に描いたような頑固オヤジだった。貴族の娘なんかに誂える鍵はねぇ!と追い出されそうになること、数回。
それでもめげずに(というより、半ば意地になり)通い続けること、十日。
ついに折れたアントニオ・アーベルから下働きをすることを対価に、鍵を作ってもらうことになった。
それが──例の事件から、一か月前の話だ。




