よくもこの私を愚弄してくれたわね……
彼女の灰の瞳と目が合う。
ルアンナはにこりと笑った。
《あ、もしかしてお兄様、あの件お話したのかしら?》
《お義姉様は優しいわ。お兄様から私への贈り物、お義姉様が払ってくれるんでしょう?》
《ようやく私も幸せになれるのかも!》
今のは……。
彼女の、こころの……声?
呆然と私はルアンナを見た。
そして、ゆっくりと視線を動かす。
自身の腕には、いつも身につけている異能制御装身具がない。
確信は、無い。
だけど、頭の中に直接響くこの声は、間違いなく彼らのものだ、と私は直感していた。
突然棒立ちになった私を、ジュリアン様が腹立たしそうに呼んだ。
「シャーロット」
すっかり、彼の存在を忘れていた。
私は、突如として発現したこの異能にすっかり気を取られていた。
パッと顔を上げる。ジュリアン様は、不機嫌そうに私を見ていた。
「僕はこれから、用事があるんだ。忙しいんだけど……いいかな」
《ルアンナが僕から離れないように少しずつ、少しずつ外堀を埋めてっているところなんだよ……金蔓が調子乗るなよ》
ジュリアン様は、請求書の束を私に無理やり握らせた。
そして彼は、私を見ることなくその場を去ってしまったのだ。ルアンナを連れて。
残された私をひどく気の毒そうに見ながら、従僕が声をかけてくる。
「馬車をご用意しますので……」
つまり、帰れ、ということ。
☆
シェーンシュティットの家に帰ってからも、私はひたすら考え込んでいた。
自分でも驚くほど、頭が冷えていた。
怒り心頭でどうにかなってもおかしくないくらいの屈辱を受けたというのに。
邸に戻ると、お兄様とすれ違った。お兄様は私を見て、はっと顔を上げた、が。
なぜか、唐突にその動きを止めた。
「シャ、シャーロット……」
「何ですか?」
「え、えーと。今日は、ザイガーの家に行っていたんだよな?……どうだった?」
「…………どう?」
ただ、その言葉を繰り返しただけだと言うのに、お兄様はなぜかひどく狼狽えた。
ひっと息を呑み、恐る恐る、と言った様子で指摘してきた。
「お前……異能制御装身具は、どうした?」
「ああ……。壊れました」
「壊れた!?なるほど、だからか……」
「部屋に行って着替えて、神殿に向かいます」
異能制御装身具が壊れてしまったので、代替品を用意してもらわなければならない。修理にはどれほどの時間がかかるだろうか。
淡々と言う私に、お兄様が歯切れ悪く言った。何をそんなに言いにくそうにしているのかしら?
「……お前、異能が解放されてる。家を凍りつかせる前に、それ、収めろよな」
そこで、私は気がついた。
自身の足元を見れば、薄く氷が張っている。室内は凍りつくような寒さだ。痛みすら感じるほどの、冷気が漂っていた。
(あら……)
……無意識に、私は異能を解放していたようだ。
それに気がついて、意図的にそれを制御する。
こんなことは、今まで無かった。
公標になってから、異能制御装身具の着用を義務付けられるようになったけど、無意識に異能が暴走するなど過去になかったのだ。
頭は完全に冷えていたつもりだったけど。
どうやら怒りが限界値を突破した結果、一周まわって落ち着いた(ように感じた)だけだった。
☆
神殿に行くと、応接室に通された。
取り次いだ神官に、異能制御装身具が壊れたことを報告する。
すると彼は、壊れたブレスレットを受け取り、その破損を確認すると奥に消えていった。
神官が用意してくれた紅茶に口をつける。
一口、口をつけるとカップをソーサーに戻す。用意してくれた紅茶はセイロンティーのようだ。
その香りと味が、少しだけ私を冷静にさせた。
それから、手持ち無沙汰になった私はひたすら考え込んでいた。
まず、ジュリアンだけど。
とうぜん、許すはずがない。
絶対許さない。
(よくもこの私を愚弄してくれたわね……)
舐め腐ったあの態度には、必ずお礼をしてやらなければならない。
私の、シャーロット・シェーンシュティットの名前とその矜恃にかけて、必ず、償わせる。
そう決めた。
それは大前提として。
気になるのはジュリアンの言葉の数々だ。
《ジュリアンに成り代わって一年、まだまだやることがあるんだよ、こっちは》
《ルアンナが僕から離れないように少しずつ、少しずつ外堀を埋めてっているところなんだよ……金蔓が調子乗るなよ》
金蔓呼ばわりにはもちろん腹が立つけど、ひとまずそれは置いておく。
ジュリアンに成り代わって?
……あの男は、ほんとうのザイガー子爵家の息子ではない?
ルアンナが義妹に迎えられたのはいつ頃だった?
書類によると確か、今から一年前。
私とジュリアンの婚約が決まったのが、半年前。
私がジュリアンと出会ったのが、今から九か月前。
つまり、ルアンナをザイガーの家に迎えてから三ヶ月後に、彼は私に接近してきたことになる。
……それは、なぜ?
元々、ルアンナはジュリアンの恋人だった?
だから、ジュリアンはザイガー子爵子息に成り代わって、ルアンナを家に入れた?
……でも、それならルアンナを婚約者にすればいいだけだ。
貴族と平民で身分に開きがあるけど、そんなものどうとでもなる。ルアンナを貴族の養子にしてから婚約者にしてもいいし、流行りの恋愛小説になぞらえて貴賤結婚を推し進める手だってあった。
それなのに、なぜジュリアンはルアンナではなく、私を婚約者に選んだ……?
考えても分からないことだらけだ。
そこまで考えた時だった。
扉がノックされる。
返事をしたところで、扉がゆっくり開かれた。
そこにいたのは。
「やあ。シェーンシュティットのご令嬢が来ているって聞いたから、会いに来たよ」
茶目っ気たっぷりに笑う、クリストファー殿下。
この国の、王太子である。




