『一ヶ月間、タダ働きしてさしあげますわ!』
気を取り直して、私は早速アントニオ・アーベルの元に向かった。
雪を踏みしめながら、ふたたび例の坂を登る。
初めて来た時に比べ覚悟ができたので今回はそこまで苦ではなかった……けど。
それでも、この長い坂と足首をすっぽり覆う程度の雪には心身ともに疲労する。
どうしたってこんなところに居を構えているのか不思議でならないわ……。
ああ、いや、チャーリーが言ってたわね。
根性試しって……。
つまり、この坂を登れもしない軟弱者は門前払い、っていう、そういうこと……ね。
ゼェハァ言いながら坂を登っていると、先を歩いていたチャーリーが振り返って私を見た。
「大丈夫ですか?休憩を挟みますか?」
「だっ……だい、ジョウブ……」
あまり大丈夫ではなかったが、ここで足を止めるともっと大丈夫ではなくなる気がした。
そのため、無理を押して足を動かす。
チャーリーとジョージは、慣れたようにこの坂道を登っている。
流石、兵士……。
つい、遠い目になった。
(リュカも騎士だけど……彼は異能騎士だものね。武力を持って制する、というより異能を使って……)
と、そこまで考えたところで、ハッと我に返る。
リュカの件は一旦置いておきたいから、彼に宿で待っていてもらうようお願いしたのに〜〜!!
彼がいないところでもリュカのことを考えているんじゃあ意味がない。
私は、ため息を吐いた。だいぶ、混乱しているな、と。
私は、宿を出る際、チャーリーとジョージにふたたび護衛をお願いした。
無理を言っている自覚はあったし、彼らの本来の仕事ではないことも重々承知している。そのため、断られることも覚悟していたのだが、彼らは快諾してくれた。
(さっきの今だもの……)
さすがにリュカと顔を合わせるのは気まずかった。
そういうわけで、私はチャーリー&ジョージコンビとふたたびアントニオ・アーベルの家を訪ねているのだった。
☆
「ーーというわけで、ファーマルとセレグラ間の関所は近いうちに封鎖、あるいは税が大幅に下げられると思うわ」
アントニオ・アーベルに報告すると、彼は「そうか」と無表情に言った。
しかし、その手は満足そうに豊かな顎髭を撫で付けている。
話を聞いていたのだろう。隣の部屋からルークがひょっこりと顔を出した。その手にはハタキが握られている。
どうやら掃除中だったようだ。
「すごいじゃん、シャーロット!まだ相談してから一週間も経ってないよ!?」
「こういったことは長引けば長引くほど、状況が悪化するものだわ。あなたも、早期解決を求めていたのではなくて?」
アントニオ・アーベルに話を振ると彼はまた「ふむ」と答えた。口数が少ないお爺さんだ。
ルークはハタキを両手で握りしめながらきらきらした目をこちらに向けてきた。
そして、私の対面のソファに座るアントニオの隣に腰を下ろした。
「やっぱり、シャーロットはすごいなぁ」
「……やっぱり?」
私の言葉に、ルークが何度も頷いて見せた。
「そうだよ。前だってねぇ、シャーロット。『鍵をいただくまでは帰りませんわ!』って言い張って、毎日来てたんだよ、ここに」
「毎日!?」
ということは。
私は思わず窓の外に視線を向けてしまう。
依然として外は雪に覆われているが、その雪の下には傾斜の激しい坂があるのだ。
……私はこの坂道を毎日登ったというの!?
めまいがした。
雪が降り積っているからというのもあると思うけど、それでもあの坂はしんどかった。足がどうにかなると思ったもの。棒になる前に登り切れてよかったと胸を撫で下ろしたほど。
その坂を、毎日……。
遠い目になった。
……ほんとうに!?
愕然とした様子の私に、ルークが悔しそうにくちびるを尖らせた。
「ほんとうに覚えてないんだ」
「え、ええ……」
呆然と私は答えた。
「すごかったんだよ。あの時のシャーロットは。それでさ、毎日やってくるシャーロットのしつこ……熱意に押されてね、先生が『一ヶ月下働きをするなら考えてやらなくもない』って言ったんだよ」
下働き。
その言葉に、私はピンと来た。
初めて──ではないけど。
記憶を失ってから初めてここを訪れた時。ルークが私を見て言った。
『今度はどうしたの?また、下働きするの?』
点と点が繋がったような感覚に、私はつい、拳と手のひらをぽん、と合わせていた。
「なるほど!それで、下働き、ね!つまり私は、以前ここで下働きをしたの…………ね?」
言ってから、はた、と我に返る。
私は、公爵家の娘だ。
公爵家の娘が、下働き……?
下働きを……した……!?
よくよく考えれば、いやよくよく考えなくても、とんでもなくおかしいことである。天変地異である。
公爵家の娘が、下働きをした、なんて。
貴族の令嬢は、働かない。
とうぜんだ。家政を取り仕切るのが、貴族女性、つまり妻の仕事なのだから。
外に出て仕事をする必要がないし、外で働くなどとんでもない。
社交界に知れたら、みっともないことだと蔑まれることだろう。
それを知った上で、下働きをしたなんて知られたら白眼視されることは承知の上で、以前の私はここで下働きをした、ということ──?
動揺していると、ルークが笑って私を見た。
「そしたらさぁ、十日くらい?通い詰めでいい加減シャーロットも限界だったんだろうね」
と、そこでルークは言葉を切った。
そして、彼はさらに私を困惑の渦に突き落とすことを言ったのだ。
「『一ヶ月間、タダ働きしてさしあげますわ!ですから、その対価に!鍵を作ってもらいますわ!よろしいですわね!?YESかOKで答えてもらいますわよ!!』……って突然啖呵切ったんだよ!」




