馬鹿にするのも大概にしてくださいね
彼は私ではなく、ダニエルを見ていた。
「……私は、ツァーベルの息子だが、神殿から遣わされた異能騎士でもある。あなたの発言は、神殿を侮辱するものだという自覚はあるか?」
硬い声に、険しい眼差し。
それを受けたダニエルはすっかり萎縮してしまったようだ。忙しなく視線をぐるぐると彷徨わせた後、へにゃりと情けない笑みを浮かべる。
さながら、媚びへつらう顔である。
「ハハハハ!ただの冗談ですよ、冗談……」
場の雰囲気はさいあくだったが、切り札を突きつけるにはこれ以上ない舞台となった。
ダニエルが引き下がったことで、話を切り出しやすくなったので、リュカに感謝である。
私は、咳払いをひとつするとダニエルに視線を向ける。
ダニエルは腹立たしそうに私を見ていた。
こころの声は、案の定お察しだったので、聞き流すことにする。聞くだけ、無駄。ただの罵詈雑言と下卑で粗野な暴言なので。
「関所での税が、一シリング八ペンスは、高すぎるのではありませんか?これは、ザイガー子爵、ひいては王家に報告されていることなのですか?」
「そんな高値ではありません。せいぜい五ペンスくらいです。もちろん、王にも、ザイガー子爵にも報告済みですよ」
こころの声は、ダラダラと自己弁護と猛烈な私への批判で長文化しているが。
要約すると【すべてが偽りだ】と言っていた。
私は、目を細めて彼を見た。
「それはおかしな話ですね。私は今朝方、関所に向かい、役人からその金額を提示されました」
「おおかた、役人が懐を潤しているのでしょう。あなた方が帰ったら、すぐに調査いたします」
「そうですか。ですがその必要はありません」
私は持参したバッグから一枚の羊皮紙を取りだした。
貴族の娘がバッグを持っているなどおかしな話である。しかし、今の私は侍女を供につけていないので、私が持参するしかなかったのだ。
ダニエルは私が取りだした羊皮紙を睨みつけるように見ていた。
私は、それをテーブルの上に置いた。
場の緊迫した空気が理由だろう。
食前酒が運ばれてきてから、まったく料理が運ばれてこない。
それを申し訳なく思いながら、私は言葉を止めなかった。
「これは、今朝方、関所の役人に書いてもらった覚書です。ここに署名もあります」
今朝、ちょび髭の彼に書いてもらったのだ。
両親に金を工面してもらうから、書面に記して欲しい、と。それを見せれば親も金を用立ててくれるはずだから、書いてもらえないかしら……。
そんなことを言って、一筆書いてもらった。
こういったことは、ままあるのだろう。
裏を返せば、それほど税の支払いに苦労する住人がいる、ということだ。
役人は不審に思うことなく、羽根ペンを走らせた。
ダニエルは羊皮紙に目を走らせた後、ギッと歯を食いしばったが──。
「……ハッ。こんなもの。困りますよ、ご令嬢。悪ふざけは」
彼は、これをいたずらと片づけることにしたようだ。
この反応は、予想の範疇だったので私もにっこりと笑みを返す。
そして、ダニエルの手から羊皮紙を取り返すと、自身の頬に手を当てた。
「いたずらではないのですが……。まあ、それは王都にいらっしゃるザイガー子爵と、国王陛下ならびに宰相閣下に確認いただければよろしいだけですわよね!もし、役人の彼の悪ふざけなら、どうしましょう。私、叱られてしまうわ」
困ったように眉尻を下げることも忘れない。
多少、わざとらしい演技になったかもしれないがこういうのは大袈裟すぎる方がいいのよ、確信は持てないけど。
ダニエルは引き攣った笑みを浮かべながら、私に言った。怒りのあまり、こめかみに血管が浮き出ている。彼のこころの声は、たいへんなことになっている。
こんなに乱暴な言葉を、私に向けられたことが今まで無かったので私も顔が引き攣りそうである。
「ハハハハハ。いたずらに高貴な方の手を煩わせるのはよろしくないのでは?」
「あら。気になさらないで。憂い事が晴れるのはあなたも嬉しいでしょう?それに──もう、送ってしまったの。王都に。今日の、昼の便で」
今度こそ、ダニエルの笑みが凍りついた。
私は、そんな彼に微笑みかける。
彼の手は白くなるほど握りしめられ、今にもグラスの持ち手が砕けそうだ。
「実はこれ、写しなの。私が書き写したのよ。ふふ、驚きました?」
「な──!?」
ダニエルが唖然とした様子で私を見た。
ほんとうに驚いたのだろう。こころの声すら聞こえず、口をぽかんと開いている。
私は、茶目っ気たっぷりに彼を見て、おまけにウィンクまでしてみる。
「そ、れは……いや」
無意味な単語をいくつか並べるダニエルを放っておいて、私はパチン、と手を叩いた。
「これで憂いごとは晴れると思ったら……なんだかお腹がすいてしまったわ!食事を持ってきてくださる?」
私は心配事はもうないことをアピールするために、明るく振る舞った。
壁際に控える従者に声をかける。
その能天気とも取れる様子に、ダニエルは腹を立てたようだった。
ガタン、と物音。
続いて、唸るような声が聞こえてきた。
「こ、この……!公爵家の娘だからと下手に出ていればいい気になりやがって小娘が……!!」
(やっと、こころの声を口にしてくれたわね?)
思わず、にんまりと笑ってしまう。
ダニエルが私に手を伸ばした瞬間。
その手は、確かに私に届きそうだったのに。今にも、私の襟首を掴み上げそうだったのに。
なにかに弾かれたようにダニエルは手を引っこめた。
「ひぃっ!?」
いつの間にか、ダニエルと私の間に薄青色の透明な壁……のようなものが出来た。
ダニエルが弾かれたように手を引いたのは、それにぶつかったからなのだ。
いつの間にこんなものが……と私も驚いていると、隣から、椅子を引く音が聞こえてきた。
「礼儀がなってない犬だな。こんな駄犬を飼っているザイガー子爵の気が知れない」
リュカは、冷たくそう言い捨てた。
駄犬呼ばわりされたダニエルは、しかしこのリュカもまた、ツァーベル公爵家の息子であり、次期当主であることを思い出したのだろう。
侮辱された怒りに顔はどす黒く染まっていたが、言い返すことは無かった。
リュカはサッとナプキンで口元を拭き終えると、私を見て言う。
「帰ろう、シャーロット。ここでの食事は、きみにはふさわしくない」




