いざ、裏の日記の鍵を作ったひととご対面……
そこから坂道を登ること十分。
貴族の娘として無様な姿は見せないと意気込んだものの、ものの数分で私は音を上げそうになっていた。
なんっ……なのよこの坂道!この傾斜!!
この!雪!!
私の異能【氷を生成する能力】は、固形の氷を生み出すor消すの二択のみなのだ。
氷の結晶、すなわち雪は、私の異能の対象外とされる。そのため、こうして苦労して雪道をひいひい言いながら登ることになっている。
衛兵のふたりを見ると、さすが兵士。
息ひとつ乱していない。
私より軽装備だというのに。
やはり、鍛えているからなのか、地元の人間だからか。彼らは慣れたように雪道をサクサク歩いている。
しかし、口から吐き出される呼気は私と同じように白いので、それに少し安心した。
「そろそろ坂の上に到着しますが……。大丈夫、ですか?ご令嬢」
「だい……っじょうぶ、よ、ええ。凄い、坂道ね?アントニオ・アーベルはどうやって暮らしているのか気になるわ……」
私がぽつりと零すと、私の斜め後ろを歩いていた衛兵が声を上げた。
「ああ!あの爺さんは、滅多に家から出てこないんですよ。買い出しとかは弟子がするので。俺も、最後に見たのはいつ以来だったかなぁ……」
「ジョージ……貴族のご令嬢相手にその言い方は失礼だ」
もうひとりが、ジョージと呼ばれた衛兵を窘める。
私に『リュカの異能を知っているのでは』と尋ねた方が、ジョージ、という名前らしい。
短い茶髪に、青い瞳の、目がくりくりとした男性だ。年齢は、私より五つほど上に見える。
どことなく親しみやすさを感じるひとだ。
ジョージは注意されると、納得のいかなそうな顔で、もうひとりを見た。
「そうかぁ?俺には、チャーリーが気にしすぎなように見えるけどね。ご令嬢も、あんまり角張ったのは疲れるんじゃないですか?」
「私は、確かに公爵家の娘だけど。今はこの地にお邪魔している身なわけだし……。そんなに気にしなくて構わないわ。それより、ごめんなさい。私の護衛は、本来あなたたちの仕事ではないでしょうに」
もうすぐ坂の終わりだが、一旦ここらで休憩をさせてほしい。腰が終わりそうなのだ。ほんとうに。
しかもここで足を滑らせたら、そのまま坂の下まで真っ逆さまに落ちることになるだろう。それこそ、雪だるまのような有様になりながら転げ落ちる羽目になる……。それだけは絶対に。
公爵家の娘としても避けたいところだった。
私は呼吸を整えながらふたりを見る。
チャーリー、と呼ばれた男性は、少し長めの黒髪に、神経質そうな顔立ちをしている。
軽薄(そうに見える)ジョージに、真面目(そうに見える)チャーリー。
性格的にあまり合わなそうに見えるが、ふたりはバディを組んで長いらしい。
不思議な関係性ねぇ……と思いながら見ていると、ジョージが笑って首を横に振った。
「いやぁ!公爵家のご令嬢と話す機会なんて、一生ないと思ってましたから!俺は役得ですよ。こんな辺境にいたらそんな機会一生ないと思ってましたしね」
「ジョージ……」
あっけらかんとした彼の様子に、チャーリーが頭を抱える。
ふたりの様子に私は笑うと、よし、もうひと頑張り、と気合を入れるのだった。
そして、ようやく坂の上まで到着したわけなのだけど……。
赤い屋根に、天高く聳え立つ建物。
これは……ええと、何階建て?
戸惑う私に、横からジョージが言った。
「相変わらずけったいな家に住んでるよなぁ」
「ひとまず中に入られたらいかがですか?」
チャーリーに促されて、私は頷いて答えた。
表札は出ていて、そこには短く【Antonio Abel's house】とだけ書かれている。
建物自体は茶色で、玄関扉は白い。
ドアノッカーを掴んで、そのまま二度打ち鳴らす。
「どなたかいらっしゃいませんかー?」
…………。
しかし、待てど暮らせど反応は無い。
困った私は、またドアノッカーを叩いた。
ゴンゴン!と先程より強めに。
「どなたか!!いらっしゃい!!ませんかー!!」
ついでに声も張り上げてみる。
しかし、やはり反応はない。
困って、ドアノッカーを再度鳴らそうか迷っていると、ジョージが唸りながら言った。
「うーん……。アントニオ・アーベルといえば、偏屈もので有名ですからね。やっぱり、正攻法では出てこないんじゃ……」
「扉を蹴破ればいいの?」
蹴破るのは難しそうだけど、体当たりすればどうにかならないかしら。
私の言葉にチャーリーが目を見開いた。
「どうしてそうなるんです!?そうじゃなくて、こう……」
言い淀んだジョージの言葉を引き継ぐようにして、チャーリーが言った。
「アントニオ・アーベルは、高尚な異能者ですから。彼は、相手を選ぶ、と言われているんです。彼と話したいなら、彼の弟子が出てくるのを待った方が……」
「彼の弟子が出てくるのは、いつ頃?それまでここで待っていたら凍え死んでしまうわ……」
今も、とうぜんだが寒い。
坂道を登ったおかげで多少体が温まったのか、舌が強ばるほどでは無いが。
このままここに滞在していたら瞬く間に私は歯を打ち鳴らす人形になるだろう。
考え込んでいると、ふと、そこで私は気がついた。
玄関扉が薄く、だが開いている。
先程、ドアノッカーを叩きつけた時の反動で開いたのかもしれない。と、いうことは、だ。
「……鍵、かかってないんじゃないかしら?」
「えっ?」
「ほんとうだ」
ジョージとチャーリーがそれぞれ驚いたように言う。
私は、そっとドアノブに手を伸ばして──迷ったのは、ほんの僅かだった。
このままここにいたら凍え死ぬ。それに玄関扉が開いてるなんて、もしかしたら家主は危ない状況かもしれない。
そう判断して、背後のふたりを見る。
ふたりはそれぞれちいさく私に頷いて見せた。それを見てから、一気に。
扉を開いた。
ぶわ、と中から暖かい空気が流れ出してくる、と同時に──。
私は、大声を上げていた。
「は……はあぁっ!?」




