出立の前に
その後、公爵邸に戻ると私はお父様の書斎を訪ねた。
お父様はちょうど仕事の区切りがついたようだった。
侍女にティーセットの用意を言付け、私の対面のソファに腰を下ろした。
程なくして侍女がワゴンを押して書斎に入室し、ポット、カップ、ソーサーなどを配膳していく。
本日のお茶は、スパイスの効いたシナモンティーだ。優しい香りが立ちのぼる。
侍女が退室したのを見計らって、私は本題に入った。
すなわち、クリストファー殿下から言われた異能騎士についてである。
お父様は、一口紅茶に口をつけてから、納得したように頷いた。
「ああ。ツァーベル公爵家のリュカくんか。優秀な異能騎士だと聞いているよ。彼がシャーロットの付き添いをしてくれるというのなら、私は大賛成だね」
お父様は、肯定的だった。
異能騎士という立ち位置が未だによく分からないのだけど、年頃の男女だと言うのに長く行動を共にするなど許されるのだろうか。
私は首を傾げ、身振り手振りで説明した。
「ですが、リュカ様は男性の方ですし。私と年齢も近いでしょう?婚約解消の話を進めているとはいえ、婚約者のいる私が彼と行動するのは、世間体がよろしくないんじゃありません?」
お父様は私の懸念に驚いたように顔を上げた。
「そんなことを気にしているのかい?」
「そんなことって。大切なことですわ」
「そうか……。確かに、今のお前は記憶が無い。クリストファー殿下の憂慮ももっともなことだ」
しかも、なぜかお父様はクリストファー殿下の言葉に一理あると頷いてしまった。
何なのよ……。
確かに、記憶が無いのは不便だ。
お父様やクリストファー殿下が心配するのももっともだと思う。
だけどそんなに心配されたら、よっぽどまずいことなのかと私まで不安になってきちゃうじゃない……。
そんな大事な記憶を忘れているのか、って。
沈黙する私に、お父様が慰めるように笑いかけた。
「異能保持者が、異能騎士に護衛されるのはよくある話。だれも気にしないさ」
「……私には、ファースト異能があります。この異能があれば、危険に対抗することはできますわ。わざわざ異能騎士をつけていただかなくとも」
「それでもお前は公爵家の娘だ。珍しい異能保持者でもある。万が一のことがあってはならん。殿下の勧めには従っておいた方が良いと、私は思うがね」
「…………」
お父様に言われて、私は頷いた。
婚約者のいる身で、男性と二人旅などやましさしか感じないのだけれど、異能保持者と異能騎士の組み合わせなら問題ないらしい。
だけど、お父様が私を心配して言っていることはよく分かる。ここは、お父様を心配させないためにも、殿下の話を受けておくべきだろう。
「分かりました。ですが、お相手はリュカ様なんですか?他の方でも……」
何せ、リュカは私に想いを寄せているようなのだ。彼の気持ちを知った以上、共に行動するのは避けたい。
リュカだって、勝手にこころを覗かれた上、気持ちを暴かれたのではいい気がしないだろう。
私自身、リュカとどう接すればいいかまだ悩んでいるし……。
私が恐る恐る切り出すと、お父様が眉を寄せた。
「彼ではだめなのかい」
「リュカ様は、私と仲が良くなかったと聞きます。仲の悪い私の付き添いなんて、彼も負担なのではないでしょうか」
ターンッと私は、脳裏でカードを叩くように言った。
ちなみに、カードに貼られているラベルは【相手を思いやっているように見せてこちらの意志を通す】だ。
下手に出ているように見せて、本音は隠す。
社交界での常套句だと思っている。
私の(しおらしい)言葉に、お父様は顎髭を撫で付けた。
「ふむ……。では、私からツァーベルの家に確認をしてみよう。この件は、リュカくんの返答次第、ということでいいかい」
「それは……」
「うん?」
不思議そうにお父様に見つめられ、私は敗北を悟った。
「…………はい」
リュカは、きっと引き受けてくれるだろう。
温度を感じない声に、ぶっきらぼうな言葉。
こころの声を聞くまでは、まさか彼が私を想っているなんて考えてもみなかった。
(以前の私も、彼の気持ちは知らなかった?)
以前の私とリュカの関係性に思いを馳せたけれど。考えても分かるはずがなく。
私はそっとため息を吐いた。