私の素敵な婚約者
どうして私、こんな男が好きだったのかしら……。
恋は盲目。よく言われたものだ。
だけど、なぜ??
考えてしまう。
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
偉そうだし。
「ああ、そうだ。これ、請求書だ」
渡されたのは、私宛ではない請求書。
何これ?と首を傾げれば、その男はとうぜんのように言った。
「金銭の問題はお前が見る、という約束だっただろう。お前の私費で購ってくれよ」
は、はぁ??
口が開いたまま、塞がらない。
なぜ私が、こいつ(もはやこいつ呼び)の散財を肩代わりしなければならない??
しかも、この請求書。
王都通りの有名な服飾店のものだ。
私へのプレゼントにドレスでも仕立てたのだろうか?
その請求書を、私に??
厚顔無恥という言葉があるが、彼はまさにそれだと思う。面の皮が厚い。その図太さは少し羨ましい。悩み事など無さそうだ。
そんな現実逃避まで始めてしまう。
私は声が震えるのを抑えることが出来なかった。
「あの、これは?」
「ルアンナへのプレゼントだよ。お前へのはずがないだろう」
ルアンナ??
誰??
と、いうか──こいつ。
事故にあったばかりの婚約者に押し付けるのがお見舞いの品ではなく、請求書って、ちょっとどうかと思いますわ!
私の男の趣味、どーなってるんですのーー!!
☆
シャーロット・シェーンシュティット。
弱冠十八歳にして、私は自身の見る目のなさを深く悔いていた。
つい先日、私は自邸の階段から転がり落ちたらしい。それも、見るものの爆笑を誘うような見事な転がり落ち具合だったらしい。
無事がわかった今は、家族内で笑いの種にされる始末だ。
さながら転がり落ちる樽。あるいは丸めたカーペットが広がり落ちるような有様だったという。
そりゃあね。幾重も重ねたドレープの利いたドレスに、パニエまで着用していたら、転がり落ちる様は、壮観だったでしょうよ。
布が転がってんのかひとが転がってんのか分からなくなるわよね。
私は当事者だったので転落事故を見ることは叶わなかった、が──。
転がり落ちた弊害がひとつだけ、あった。
それは、記憶。
私は階段から転落した結果、あんな転がり落ち方をしたにも関わらず、大きな怪我はなく。
その代わり、まるっと今までの記憶全てを失ってしまったようだった。
(日常生活を送るのに支障はない程度だけど……。交友関係や国の成り立ち、歴史、地名……ぜーんぶ覚えてないのよね)
私が生まれたシェーンシュティット公爵家は、この国、ロント国有数の貴族家だ。
そもそもロント国には公爵家が五つしかないらしい。
歴史も古いと聞いている。
そして私は、おそらく両親に愛されて育った娘なのだろう。
目が覚めてすぐ、泣き濡れた夫人──お母様に抱きしめられ。
目を赤く充血させた公爵──お父様に抱きしめられた。
それで、あ、私愛されている!と思った。
お父様とお母様は私に痛いところはないか、しきりに尋ねるとすぐに医者を呼んだ。
結果、分かったのは転落事故で負った怪我は打撲のみ。骨折などはしていなかった。
そして。
私は、今まで十八年間の記憶をまるっと。そっくりそのまま忘れ去ってしまっていたのだった。
「ねえ、スピカ。私の婚約者って、どんな方かしらね?」
大きな怪我はなかったので、その日のうちに医者は帰宅した。
私室で、私はソファで寝ていた猫──我が家の飼い猫らしい。
名を、スピカ。スピカの毛を撫でながら、彼女に語りかける。
スピカはちらりと私を見たものの、眠たいのか無視を決め込んだ。いや、無視はしていないわね。しっぽがゆらゆらと揺れている。
私は彼女のつれない反応に苦笑し日記に書いてあった婚約者のことを考えた。
『優しくて、声が素敵で、いつも私を気遣ってくれる』…………なーんて、素敵じゃない。
一体、どんなひとが私の婚約者なのかしら?
記憶が全くないので、ふつうなら不安や恐れといったものを抱くものなのだろうけど、私は楽観主義というか、あまり物事を深く悩む性質ではないのか。日記に書かれていた素敵な婚約者のことで、頭がいっぱいだった。
2024-12-24 修正しました