7話 見物人と
「まずいまずい、遅刻寸前だったよ……」
ちょっとだけ流すつもりが、思いっきり4限、それも必修科目に遅刻しそうになってしまった。
慌てて教室に入り、空いている席に座る。そのすぐに教授がやってきて講義が始まる。本当にギリギリだったようだ。
教授がマイクを持ってから1時間半が経ち、4限が終わる時間が近づく。教授は腕時計を見たあと、締めの言葉と言い話を始める。
「さて、君たちはこれから経営について学んでもらうわけだが……」
教授はそう言うと、文字と数字が書かれたスライドをスクリーンに映す。
「経営学はね、法学とかと比べると少し単位数が多い。ので、なるべく出席するように。……では」
教授はそう言うと、教壇を降りて教室から出ていった。
「はぁ……」
講義が終わったあと、晧一はため息をつく。だが4限が終わったのであとは自由。周りからは、これから深夜までバイトだの、オフ会だの、ナンパ競争だのと言った声が聞こえる。
「あー、バイト探すの忘れてたな……。ま、いいか」
講義に使ったノートや教科書をリュックに詰め込み、教室を出る。そして駐輪場まで行き、CBX125Fのそばに立つ。
「さて、これからどうしようか……」
いつものようにバイクに乗る準備をしていると、後ろから声をかけられた。
「はろー、晧一くん」
声の主は唯だった。
「ん? あぁ、唯さん。どうしたの?」
「えっと、このあと時間あるかな? あるならちょっと付き合ってほしいんだけど……」
「ん? どこに?」
「……バイク屋さん」
そう言うと唯は少し恥ずかしそうにもじもじする。
「バイク欲しいんだけど、私はまだバイクのことよく知らないし、それに一人じゃ入りづらくって……」
「あー、そゆことねぇ。その気持ち、分かる」
晧一は本心でそう言うが、なぜかぎこちなくなってしまう。女の子慣れしていないというのもあるかもしれない。
「まぁ、僕はこれから何かあるってわけじゃないし、暇だから別にいいけど」
「いいの? やった! ありがとう! じゃああとでバイク屋に来てね、約束だよ!」
唯は手を振って去ろうとした。
「了解」
晧一はそう言ってヘルメットとグローブを付けて、キーを刺してCBX125Fを動かす。すると行ったはずの唯がまだいた。
「あれ、まだ行ってなかったの」
「あ、いや……。その……、エンジン音が聞きたくって」
変なお願いだなと思いながら、CBX125Fのキーを回し、セルスタートボタンを押す。
カチッ ――キュルルッル! ドドドドドッドドドッドドドドドドド
ドルルルウオオオン! ドルルルウオオアアアアン!
低回転ではスーパーカブみたいな音だが、高回転になると轟音とともに一気に吹け上がる。ナイスサウンド。
「走ってるとこも聞かせて」
「え、うん」
言われるがまま、1速に入れていつもより回転数を上げて半クラッチと、やや大げさに発進する。これもある種のファンサービス。バイクが好きじゃない人にとっては騒音でしかないが。
『……いいね、バイクのこの鼓動感』
唯はCBX125Fの音に聞き惚れてしまったのか、数十秒ほど動かなかった。
晧一は5分ほどでバイク屋に着いた。大手ではないが、外から見る限りでもそこそこ多くのバイクが見える。そのさらに5分後、唯が店にやってきた。
「ごめん、待った?」
「いや。バイク屋に来るのは初めて?」
「うん」
「そっか。じゃあ、とりあえず入ろうか」
中にあるのは、新車に中古車、国産車に外車、それとある程度のバイク用品が置いてある。
置いてあるのはMTバイクだけと、なかなか強気な店だ。
「うーん、やっぱりスポーティーなバイクは高いなぁ……」
唯が見ているのは年式が比較的新しめの新車中古車新古車のコーナー。それは高いだろう。
「まぁ、最近のバイクは高いからねぇ」
そこにあるのは国内メーカーの「KAWASAKI NINJA ZX-25R」、「YAMAHA YZF-R25」、「SUZUKI GSX250R」、「HONDA CBR250RR」といった、250ccの現行フルカウルバイク。特にZX-25Rは現行250cc唯一の4気筒なため、価格は100万円に近い。
「げぇ、なにこれ虫みたい……」
唯は反対側に並ぶ「YAMAHA MT-25」、「KAWASAKI Z1000」、「SUZUKI GSX-8S」、「KTM 390 DUKE」、「TRIUMPH STREET TRIPLE S」といった「ストリートファイター」スタイルのバイクを見て言う。
確かに虫っぽいかもしれないが、それは空力やデザインを重視したもの。中にはZ1000のように、同社の大型スーパースポーツバイク「ZX-9R」のエンジンを公道向けにチューニングして搭載したものもある。「ストリートファイター」の名の通り、公道を攻めるにはうってつけのバイク。虫みたいだと侮るなかれ、性能的には申し分ないものばかりである。
『……やっぱり、丸目は最高』
そのころ晧一は「SUZUKI INAZUMA 1200」、「KAWASAKI ZEPHYR 750」、「YAMAHA XJR400」、「HONDA HORNET 250」といった、少し古めのネイキッドバイクを見ていた。
「うーん、やっぱりかっこいいなぁ。……でも高い」
このカッコいいバイクたちはすでに絶版車となってしまっていて、今も中古価格の高騰が続いているものがほとんど。
その中で晧一は、1200ccながら80万円以下で売られていたイナズマ1200をぐるりと見る。
「車重229kg。1156cc、油冷、……トルク型か。……えー、レギュラーガソリンなの」
晧一は値札の下に小さく書かれているスペック表を見る。安いのには訳があると考えている晧一だが、スペック表を見る限りでは十分すぎるほどいい。
「大型取ったら、考えるか……」
晧一は値札から手を離した。
「うーん……」
一方、唯はフルカウル、ストリートファイターコーナーを離れ、アメリカンバイクのコーナーに来ていた。
「……うわぁ、ハーレーって、大型しかないの?」
一般的にシート高が低く、足つきはいいと言われるアメリカンバイクだが、そこに置いてあったのはほとんどが大型バイクのハーレーダビッドソンだった。
だがその反対側を見ると、日本メーカーのアメリカンバイクが置いてあった。ホンダはレブル、カワサキはエリミネーター、ヤマハはドラッグスター、スズキはイントルーダーがある。
「……高いなぁ」
唯は値札を見て苦い顔をする。アメリカンバイクは不人気という概念が薄いせいか、価格は他タイプと比べても少し高めな印象がある。
『足つきの良さを取るか、安さを取るか、取り回しのしやすさを取るか……』
ちらりと横を見ると、オフロードバイクとアドベンチャーバイクのコーナがある。だがさすがの唯も、それらのバイクはシートの高さゆえに足つきが悪いということは知っていたので、すぐに目をそらす。
「うーん……」
自分の愛車はそうやすやすと決めていいことではない。唯はそう考えていた。
そのころ――
「はっはっは! 君とは話が合いそうだよ、若いの!」
「いえいえそんな」
この店のオーナーと晧一が何やら盛り上がっていた。オーナーは見た感じ4、50代といったところ、そして晧一は18歳、とても話が合いそうには思えないのだが……
「いやー、最初にカタナを見たときは電流が走ったよ。こんなカッコいいバイクがあるんだ! って!」
「でも、日本で発売されたのは、『カタナ』の名のない耕運機、GSX750Sだったと……」
「そうなんだよ! よく知ってるね!」
話題は1980年代に発売された「ナナハンカタナ」の話。晧一が生まれる20年も前のことだ。
「みんな耕運機ハンドルをセパハンに付け替えて、スクリーンを付けて、本家カタナに近づけてたんだ。だけど……」
「立て続けに警察に整備不良で検挙された、いわゆる『カタナ狩り』……」
「そうなんだよ! オレもあれにやられちまってさ! まさかこのオレがやられるとは思わないかったよ。本当によ……! はっは!」
オーナーは笑いながらそう言う。
「いまじゃああの耕運機ハンドルにプレミアがついてますからねぇ。これが時代の変化ってやつなんでしょうかね」
「そうなんだよ! 高くなるってわかっていれば、もうちょっと待っておけばよかったなぁって……!」
悔しそうにそう言うが、その目は笑っていた。
「結局オレはレーサーレプリカ時代の流れに乗らずにさ、リトラの3型カタナを買ったよ。いやー、鈍重なナナハンで二―ハンのレーサーレプリカと勝負するってのは、案外楽しかったなァ」
昔話を懐かしそうに語るオーナー。だが、すぐに悲しそうな顔をした。
「でもな……。そのあとすぐに規制が入っちゃって、公道を攻めれなくなっちまったんだ……。悲しいよ」
ふとあの時の感覚がよみがえる。休日は峠に行き、仲間と競争、膝すり、果てはクルマとバトル。今となってはいい思い出だ。
「そのあと、いよいよ日本でもナナハン規制が撤廃されてさ、今度は1100のカタナを買ったんだ」
オーナーは壁に掛けられている写真を見る。そこにはカタナに乗った若いころのオーナーが写っていた。
「……だけどなぁ。あのあと事故っちまって、カタナは廃車。オレはメットにガードレールが刺さっちまって、顔に鉄板を入れることになっちまったんだ」
オーナーは頬骨のあたりを触る。その頬はどこかごつごつとしているように見えた。
「だから、オレはバイクに乗るのをやめた。代わりに、バイクをいじる仕事に就いたんだ。……でもたまに、やっぱりバイクに乗りたいって思っちまうんだ」
軽くため息を挟んで続ける。
「うちも君くらいの息子がいてさ、オレの影響かバイクに乗ってるんだ。……若いもんがバイクに乗ってくれるのは嬉しい。だけど、バイクは危ない乗り物なんだ。乗るなら、安全運転を心がけてな」
オーナーはそう言うと、晧一に右手を差し出す。
「……はい!」
晧一はオーナーの右手を握り返した。
「いい青春をな、若いの」
晧一は静かにうなずいた。
「あ、ちょっと! どこ行ってたの! もう閉店時間だよ!」
出入り口まで戻ると、唯が怒ってそう言う。すでに6時を過ぎていた。
「ごめんごめん。ちょっとオーナーと話が盛り上がっちゃって……」
晧一は軽く謝る。だがその目はいつも以上に笑っていた。
「もう! こっちはすごく悩んでたのに!」
「……お? 若いのが二人! それにお嬢ちゃんも!」
引っ込んだはずのオーナーが出てきた。
「もしかしてお嬢ちゃんもバイク乗りかい? いわゆるバイク女子ってやつか? はっは!」
オーナーは楽しそうにそう言う。だが唯はそのテンションにあまりついていけなかった。
「え、あ、あの……。私まだ免許取ってなくて……。でも、近いうちに免許取ろうかなって思ってて……」
唯は少しぎこちなく言う。だがオーナーはそんなことお構いなしに話を続ける。
「そうか! バイクの免許は若いうちに取っとくのがいいぞ! オレみたいに老いぼれたらもう終わりだからな!」
「は、はぁ……」
唯はオーナーのテンションに押されっぱなしだ。
「バイクを買うならぜひうちで! 頼むよ!」
そして最後にそう言って、店の中に戻っていった。
「……なんか、元気な人だね」
唯は少し疲れたように言う。
「まぁね。でも悪い人じゃないと思うから大丈夫だよ」
「っていうか、あなたたち初対面なのに随分と仲良くなるの早いね。年も離れてるのに……」
「あーまあ、実は僕って年上とのほうが話しやすいんだよね。共通の趣味だったらなおさら、ね」
「そんなもんかなぁ」
唯は首をかしげる。唯も晧一もバイクが趣味なはずなのに。
「じゃ、私は帰らないと。じゃあね!」
唯はそう言うと、近くのバス停へと歩いて行った。
「……さてと」
晧一はヘルメットをかぶり、CBX125Fのエンジンをかける。
キュルルル! ドドドドドッドドドッドドドドド――
やや高めの単気筒サウンドが響きわたる。
「いいバイク乗ってんね!」
エンジン音で気づいたのかオーナーが顔を出す。
晧一はそれに対して手を上げて礼をした。
そしてバイクを走らせ、沈む太陽を背にして家路についた。