【なろう小噺】どうして異世界にジャガイモがあるんだよ(怒)
この町の名を「河口の町」という。平野を横断する大河が、その名の通り海に流れ着く場所にある。私が生きて死んだ場所だ。
河口の町で働き出して一ヶ月も経った頃だろうか。気づいてしまった。どうやら私は異世界に来てしまったらしい。
始まりは大学の卒業旅行。一緒に行く友人もいないから、一人旅の途中。船上で波にさらわれた。気づくと砂浜に打ち上げられている。よく生きていたな私。
無人島だったらどうしようと途方に暮れていると、木造の帆船が沖を走っている。そちらの方向へ歩くことに。すぐ港町が見つかった。
沖を行く帆船は何十隻と停泊していた。上半身裸の男たちが桟橋を行き来し、船から荷下ろしをしている。どうやらクレーンやコンテナはないらしい。
港の周囲は倉庫街となり、そこから放射状に石畳の道路が何本も広がる。道沿いには赤い屋根の家々が立ち並ぶ。家はどれも木造だが、町行く人は多くて、屋台も建ち並んでいる。活気があり田舎という感じはしない。
町外れまで来ると平原の果てまで続く街道へ繋がっていた。平原には街道沿いに大きな河が流れていて、河にも荷運びの船が何層も行き来している。また平原といっても何の作物か、畑として整備されているのが遠目にも分かる。
高校社会レベルの知識で判断するに、この町は農作物でも運ぶための、水運と海運の要になっているのだろう。
なるほど。どうやら外国らしい。
私は恐る恐る、町へ入ることにした。
スマホも財布もない。着の身着のまま。とりあえずは食費が欲しい。少し考え港へ向かうことにした。肉体労働なら何とかなるだろう。
私は荷下ろしの責任者らしき男に無一文である、働かせてほしいと頼み込んだ。日本語が通用したのは助かった。
以来、一ヶ月ほど肉体労働に勤しんでいた。荷下ろしはきつい仕事だが、こう見ても引っ越しのバイトで鍛えた身。
何とか慣れて余裕が出た頃だ。気づいたのは。
確かに様々な肌の色の人がいるとは思っていた。青、緑、全身鱗、牛の頭に、犬の顔、ネコミミ、エルフのように長い耳、四本腕に羽根にツノ。さすが外国は人種も多彩だと感心していたのだが。
実は異世界だったのだ。
しかし、一ヶ月も経つまでなぜ、この町が異世界だと気づかなかったのか。慣れない生活で余裕がなかったのもあるだろうが、大きいのは食生活だ。
ここに来てから私は毎食ジャガイモを食べていた。
私も暇な大学生活の間、ネットでファンタジー小説なんぞを読みあさっていた。だから聞いたことがある。異世界ジャガイモ論争というのを。
ヨーロッパを舞台にした世界で、南米原産のジャガイモがあるのはおかしい。確かそんな理屈で言い争っている人がいたとか。
河口の町はヨーロッパ風、どちらかと言うと南イタリアが近いかもしれない。
なのに食べるものがジャガイモばかり。差といえば、ふかすか、揚げるか、スープもしくはポトフに入れるか。
パンも麺も、もちろん米も食べたことはなかった。
さすがにイモに飽きた私は、労働者仲間に尋ねた。他に例えばパスタとかないのか。なんだパスタが食べたいのか、贅沢者め。よし連れて行ってやる。
と連れて行かれたレストランで出されたのは確かにパスタだった。香り高い湯気を放つ太めの麺に、ミートソースがたっぷり絡んでいる。
堪らず一気にすすると、口の中いっぱいに展がるジャガイモの風味。
ジャガイモの粉からできたパスタだった。
なんだ、この町のジャガイモに対する執念は。
よく見るとフライドポテトも、数十種類のバリエーションがある。そんなもん、どれでも一緒だろ。いや、ここの住人にしてみれば違うらしい。
同じく、ふかしイモにもやたらバリエーションがある。熱の通し方で違いがあるそうだ。
ポテトサラダも潰し方に流派があり、お互い譲れないという。
そして結局誰も、小麦のパンや麺といった料理、そして米の存在を知らなかった。
なんだよ。ヨーロッパ風の世界といえばパン食じゃないのか。もしかして、異世界にジャガイモがあるのはおかしいわけじゃない。ここはジャガイモしかない異世界なのではないか。
というわけで異世界にいると気づくまで遅くなってしまったのだ。
数ヶ月も経過した頃、お前は読み書き計算ができるのなら、と親方に帳簿を任されるようになった。やはり中世ヨーロッパ風異世界、あまり識字率は高くないらしく。読み書き計算ができる人間は貴重だったのだ。
日本語とアラビア数字が通用して、本当に助かった。
この頃、どうも過去に地球からの転移者が何人もいたと聞かされる。だから文化がチグハグなのだ。中世と近世とが混じっているというか。石鹸や井戸のポンプなど、妙な部分だけ発達している。そのため文明チートできるほどの知識差は、自分になかった。
だが日本語が通用しているのは、恐らく過去の転移者のおかげだろうから、そこはありがたかった。
気づくと私の仕事は肉体労働から、完全に経理となり、荷揚げ労働者を使う商屋の方で働かないかと誘われることになった。私は商人見習いとなった。
すると帳簿を通じて、この異世界がわかってきた。
やはり米も麦もなかった。さらにはサツマイモもヤマイモもサトイモもない。主食はジャガイモのみだ。
そのジャガイモの品種だけは、やたら多い。私には、どれも同じにしか見えなかった。
だがそれでは商人をやっていけない。私は大学受験以来の必死さで、何百という品種を丸暗記した。
そして地球に比べても、遜色ない豊かな料理文化があることも知った。ただしジャガイモに限る。
珍しい高級料理としてパンはあった。ジャガイモパンだ。
一般的な酒はイモ焼酎。ビールもホップがジャガイモでできていると聞いた時は、気が狂いそうになった。
さらにはジャガイモの刺身。ジャガイモのこんにゃく。フライドポテトを揚げる油も、ジャガイモから取れている。
あげくは、まさかあんなジャガイモ料理まであるなんて。ここには書けないが、地球にいては絶対に発想すらできないジャガイモ料理すらあった。
そうだ。ジャガイモ警察もいた。この社会でジャガイモこそ富の象徴となる。新品種など生まれれば、国家の衰亡を決めかねない。
うちの店も何度か、密輸入をしていないか抜き打ちの査察を受けたことがある。ジャガイモ警察って、そっちかー、と妙な感動をした。
やはり、ここは異世界なのだ。
働きづめで二十代も終わりが見えてきた頃。周りの人々に、まだ結婚してなかったのかと驚かれる。この世界は中世とは言わないが、日本なら江戸時代から明治くらいの文化レベルだろうか。十五もすれば結婚するのが当たり前の社会だった。
すると大旦那さんの娘が、夫を亡くしている。年の頃もちょうと良いだろう。あれよあれよと結婚させられてしまった。大きな娘さんも一緒だ。
慣れるまで気まずかった。
家族もできて、私は余計仕事に没頭するようになった。
大学でサボってばかりだった経済学科の授業が最も役に立った。教育こそ最高のチートだったらしい。
他の町へ買い出しの旅に出ることも何度かあった。その際、世界地図を見ることもできた。
河口の町から上流は、しばらく平原が続く。平原は芋倉地帯となり、ジャガイモ流通の要となっているわけだ。
ちなみに「芋倉地帯」は「うそうちたい」と読む。日本語が通用するからって、地球では絶対に聞くことのない言葉だ。
一度だけ王都にも行った。途中、魔物に襲われる恐れがあるからと、警護の冒険者を雇って。いたんだ、冒険者。
雇った冒険者の中に、明らかな日本人がいた。私と同じ転移者らしい。旅の途中、日本の話で盛り上がって、懐かしかった。
攻撃魔法も見せてもらった。やっぱ、ああいうのは憧れる。
彼とはその一度きりで、再び会ったことはない。もっと遠くの地へ行ったのか、戦いの最中に死んだのか。行方はわかっていない。
王都への長旅から帰宅すると、家族が迎えてくれた。妻と、娘と、新たに産まれた息子。結局、私の帰る場所は河口の町になっていた。
もはや、どこかへ行くつもりもない。地球へ帰るすべなんて、思いつきもしない。
ただ自分が親になったからだろう。日本に残した親に、ただただ申し訳なかった。まさか何も言えずに、生き別れになってしまうなんて。
日本での思い出もすっかり薄れてしまった。再会できれば分かるはずだが、家族の顔をちゃんと覚えている自信もない。いかに昔の自分がちゃんと生きていなかったかを思い知らされる。
河口の町で骨を埋めるのは構わない。覚悟もできている。
ただ、もう一度だけでも麦か米を食べたかった。そうすれば自分を、この異世界を許せる気がしたんだ。
やがて息子も一人前になり働きだした。娘はとっくに嫁へ行き、孫もできた。
私は大旦那なんて呼ばれる立場になり、日本なら中年だが、異世界だと老年期になった頃。
とある噂を聞いた。東の海を越えた島々にアレがあるという。
「私みずから行こう」
「無茶です、旦那様」
反対を押し切り、私は数ヶ月の大航海へ同行した。
苦労の末に到着したのは、どことなく和風な文化を持つ国。そこで一番の料理屋で私は注文した。
「カレーライスをくれ」
果たして出されたのは、まさしくカレーライス。白い粒の上にかかるスパイシーな香り、とろっとした茶色い汁には具だくさん。
異世界に転移して何十年。とうとう米が食える。私はばくっと頬張った。確かにカレーだ。旨みの後に吹き抜ける辛み。そして……
「イモだ、これ!」
瞬間、全てを悟った。
恐らくは、ここにも転移者がいたのだろう。きっと日本人だ。彼もしくは彼女は米を食べたくて食べたくて堪らなかった。
そこで見つけた。やたら小さいジャガイモの品種。米粒に見えないこともない。ゆえにこのジャガイモをライスと呼ぶことにした。
気持ち、分かるよ。現実逃避もしたくなる。
しかし東の果てまで来たというのに。カレーを再現した偉人までいたというのに。米だけはなかったか。
「こいつは素晴らしい料理ですよ」
「さすがは旦那様」
ついてきた従業員たちは口々にカレーライスが商機になると、はしゃいでいる。珍しい料理に、新たな品種のジャガイモ。確かにそうなのだろうな。
顔には出さないが、気落ちする私は、だが
「……カレーにならジャガイモは許せるかな」
と自嘲して、もう一口頬張るのだった。