一章 7話
だだっぴろい森の中の僅かな空き地。
そこで和人たち四人は正面を見据えていた。
対峙するは克己チーム五人。
間にある木々のせいでお互いの姿は見えていないはずだが、相手と視線が合うのが分かった。
「準備は良いな」
和人が後ろを振り返らず言った。
「当たり前よ」
「もちろんできてるぜ、カズト」
「はい! 負ける気はありません」
頼もしい声が返ってくることに、自然と和人の顔にも笑みが浮かぶ。
「まったく……。悪くないもんだな」
和人の呟きは、後ろにいる三人には聞こえなかった。
『5、4、3、2……』
スピーカーから流れているような音で、伊月先生の声が響く。
『1。開始!』
それを合図に飛び出した和人たちのギアには、二羽の黒い鳥が描かれていた。
◇ ◇ ◇
時間は少し遡って同日の朝。
三田村伊月は、休日であるにも関わらず学校に来ていた。来ていたとはいっても、そもそも住んでいる寮が学校の敷地内にあるのだから、この表現は間違っているのかもしれない。正確に言うのであれば、校舎に来ていた、というのが正しいだろう。
職員室に入ると、既に人影が一つあった。
「岩峰先生。もう来ていたんですね」
そう呼びかけると、大柄な体格に似つかわしいゴツい顔に爽やかな笑顔を貼り付けて、岩峰優也が肩越しに振り返る。
「おはようございます。三田村先生」
「あ、おはようございます」
朝の挨拶を忘れていたことに気付き、伊月は慌てて口にする。
朝であろうとなかろうと、人に会えば挨拶は当たり前のことだ。数年前なら絶対にしなかったであろう失態を見せたことに、自分自身で落胆した。
「えっとー、先生?」
岩峰は突然テンションが下がった様子の伊月を見て、困惑した顔を浮かべる。
「いえ、なんでもありません」
「なら良いんですけど……」
岩峰はなおも気になっている様子だったが、伊月の様子を見て話を変えるべきだと察した。
「それよりも、もう来ていたじゃありませんよ、三田村先生。先生が時間を教えてくれなかったので、なるべく早く学校に来たんですからね?」
少し意地悪な言い方をする岩峰に、伊月も表情を変えざるを得なかった。
「あっ、そうでしたね。すみません」
「ははっ、別にそこまで気にしてないんですけどね」
丁度仕事も溜まっていたので、といつものように爽やかな笑顔で岩峰は謝罪を受け入れた。
多少嫌味な言い方をしたところで、相手に一切嫌な気持ちを与えないというのはこれまで岩峰が積み上げてきた人徳のおかげだろう。それは、岩峰の快活な笑い方によく現れている。あるいはその逆なのかもしれない。
(はあ、最近弛んできているな)
岩峰の笑顔に照らされながら最近の自身の行動を思い返していた伊月に、更なる追撃が加えられる。
「それと、話し方は昨日みたいな感じでいいですよ」
まるで心の中を見透かしたかのような発言に、伊月は珍しく動揺してしまった。
そんな当人を知ってか知らずか、岩峰は曇り1つない笑みで伊月を見ている。
「それはケジメというものが……」
らしくない困り顔をする伊月を、なおも岩峰は笑顔で見つめ続ける。
「ま、まあそういうことなら善処します」
結局岩峰の圧に負けて認めてしまったが、昨日の一件でも分かるように、どのみち最後まで素の自分を隠し遂せる事などできなかっただろう。
(やはり私には向いてないのかもな)
「素の自分が一番だと思いますよ?」
岩峰はなおも伊月の心の中が見えるかのように的確な言葉を紡ぐ。
一瞬言葉に詰まった伊月だったが、そこに助け舟を出したのも岩峰だった。
「それで例の試合はいつ始まるんですか?」
「あ、ああ。10時からだ」
岩峰が質問することで、なんとか脱線した話題から元に戻った。
伊月もざっくばらんな口調に戻したものの、いざ素の話し方をするとそれはそれで違和感が出てくるのだから、不思議なものである。
(まったく、ままならないな)
腕時計を確認すると、現在時刻は午前8時30分。
まだまだ時間はあるが、当事者たちは今頃大忙しだろう。
「午前ですか。きっと今、試合前の最終調整を必死にやってる頃合でしょうね」
伊月と同じ考えをした岩峰が、まだぼんやりとしか覚えていない生徒の顔を思い出しながら言った。
「だろうな」
伊月がそう言いながら自分の席に座ると、岩峰が自分のパソコンを見ながら思い出したようかのように話しかける。
「そういえば、医務の印南先生が私も観たいと言っていましたよ」
不意に言われたことで、伊月はすぐに返事をすることが出来なかった。
(医務の印南。……あの先生か)
伊月は心の中で自身と同じく長身の女性を思い出していた。
印南希美。黒紡の医務室で働いている養護教諭とはまた異なる性質の職員であり、分かりやすく言えば、保険の先生よりもより高度な医療を提供している職員だ。
黒紡ではただの怪我では収まらない事故が、生徒のみならず教員にまで及ぶことが多々ある。そのため、印南のような役割が必要なのである。
そして、その印南は元軍医という経歴があり、特殊兵ならではの怪我を治療する研究も行っていた数少ない人物でもある。
特殊な経歴を持っているため、伊月の頭にもその顔と姿がしっかりと焼き付いていた。
「何故かは言っていましたか?」
まだ、伊月の口調は不安定なままだ。
「いえ、言ってなかったと思いますけど……」
岩峰の歯切れが悪いのは、彼は印南を誘ったのは伊月だと思っていたことと、伊月と違って見学に来ることに特に大きな理由がいるとは思っていなかったからだ。
「ああいや、別に何でもないです。ぜひ来てくださいと伝えておいて下さい。それに、なにが起こるか分かりませんから」
伊月は頭の上に疑問符が浮かんでいる岩峰にそう言いながら、自分の口調の歪さに苦笑いが浮かぶ。
「ははっ、仮想演習場での試合でそんなこと起こるとは思いませんけどね」
当たり前のことのように言った岩峰だったが、伊月はその言葉に何故か頷けなかった。
伊月と岩峰が職員室で会話しているのと同刻。和人たちは模擬戦に向けた最終調整をしていた。
とはいっても、和人と冬美の二人は最初から戦える段階にあったし、優樹菜も覚えが良く、最初の頃とは見違える程戦えるようになった。
やはり、問題になるのは浩太のことだ。
ただ、そんな浩太も今では安定感は欠けるもののしっかり飛ぶ事ができるようになり、空中でブレードを振れるように体勢を確保することも出来るようになった。
それでも唯一の射撃兵装であり、たった一つの副兵装であるハンドガンを空中で撃てるようにはならなかった。これは、もともと浩太の射撃の腕があまり良くなかった事も関係している。ちなみにだが、優樹菜は和人と冬美が驚くほどに射撃が上手かった。特に精密射撃の精度では、既に二人を超えているだろう。
なにはともあれ、和人たち四人は克己との戦いに備えて最後の練習をしていた。
「いいか。ギアの装甲を破るためには力だけではだめだ。もともとライトタイプに着いてる人工筋肉は他のタイプと比べて少ない。その分速度を活かせ」
和人はようやく空中でブレードを振れるようになった浩太にアドバイスする。
ちなみに、台詞の中にあった人工筋肉というのは金属筋繊維のことだ。もともとこの名称も仮名称のようなもので、和人たちは長いからと言う理由で、金属筋繊維のことを人工筋肉と呼ぶようになった。
「おう」
浩太は勢い良く返事するが、今までで通算15回の挑戦を経ても、まだ和人の装甲を断ち斬るには至ってない。
和人のギアの装甲は表面こそ金属だが、その内側の大半は軽いカーボン繊維で出来た複合装甲であり、その目的は主に銃弾と爆発から身を守るためのものであり、斬撃に対しての防御効果はあまり無い。
それでもまだ、浩太は装甲ごと和人に致命傷を与えるには至ってない。ライトタイプの和人の装甲を斬れなくては、確実に和人のギアより装甲が厚いであろう克己たちのギアを斬ることなんて夢のまた夢だ。
なお、巻藁のように斬られている和人は、無抵抗で刃物に斬られるという極上の恐怖体験をしている。しかし、和人の目はあくまで浩太の動きを分析するもので、その顔に恐怖の色は浮かんでいなかった。
初めは無抵抗の、というよりも人を斬るということに躊躇いを持っていた浩太だったが、次第に慣れていったのか、ブレードを振る動作に迷いが無くなってきた。
「お前は銃を使えないんだ。無抵抗の俺一人を斬れないんじゃ話にならないぞ」
浩太に和人が発破を掛けているその少し離れた所では、冬美が延々と射撃からの弾倉交換を繰り返していた。
冬美が思い返すは、一週間前の和人との戦い。
克己側にライトタイプはいないし、いたとしても和人に並ぶほどの実力の者は居ないだろう。それでも、冬美が練習に手を抜く理由にはなり得なかった。
ただひたすら、脳内で映し出される仮想敵を撃ち抜き、素早くリロードする。その初歩的な訓練を冬美はひたすら繰り返していた。
一方で優樹菜はというと、金属音や射撃音が鳴り止まない二組と違い、発砲する訳でもなく、ただ立っているだけのように見えた。
しかし、良く見れば肩に乗っかるキャノンが微かに動いているのが分かる。優樹菜の長所である精密射撃。彼女はそれをさらに磨こうとしていた。
優樹菜のギアのメットには、和人のものと違いバイザー部分に工夫がされており、キャノンがどこに向けられているのかがバイザーに表示されている。優樹菜はそれを頼りに、人工筋肉で動かしたキャノンの狙いの精度を高めていた。ちなみに、和人のメットに工夫が無いとはいったが、マナレーダーや通信機といった最低限のものは揃っている。
各々(和人は除く)が自己鍛錬に励んでいると、時間はあっという間に過ぎていった。
午前9時40分。
和人たちは仮想演習場のカプセルがある部屋に居た。さっきまで練習していた所とは違う場所だ。
克己たちの姿はないが、今回の模擬戦の会場として選ばれたこの演習場はカプセルがある部屋が2つに分かれているので、克己達はもう一つの方にいるはずだ。
「ほ、本番ですね」
優樹菜が上擦った声で言う。
本人は平気なように振る舞っているようたが、落ち着かない動きとその声から緊張感が溢れている。
「だ、だな」
それに応えた浩太の声も緊張に縁取られていた。
「お前が緊張するとは思わなかったな、浩太」
「そうね、こういう時はなにも考えて……、いえ感じないと思っていたわ」
浩太は余程余裕が無いのか、冬美の軽口に反論することもなかった。
「まあいつも通りやれば勝てるだろう」
ひとり楽観的に言う和人に、浩太の視線が突き刺さる。
「ですよね! あれだけ練習しましたもんね!」
優樹菜が緊張した空気を吹き飛ばすように声を張り上げた。
「そ、そうだぜカズト!」
それに即座に乗っかったのは言うまでもなく浩太である。
「落ち着け、作戦通りやれば勝てるはずだ」
和人が似たような台詞をもう一度言うと、ようやく張り詰めていた空気が弛緩していく。
それでも少し浮足立っている二人に、痺れを切らした冬美が口を開く。
「遅れたら何を言われるか分からないわ。早く行きましょ」
冬美のその一言で、四人は思い思いのカプセルに手を掛ける。
いつものようにカプセルに入り操作すると、次に目を開けた時には真っ白な空間に立っていた。
もはや見慣れた光景。ただ、遠くの方でこちらに視線を送る五人が見える。
克己たちは既に練習を終えて集まっていた。
全員が既にギアを着ていて、予想どおり克己以外の四人はスタンダードタイプだった。
ただし、持っている武器は見えない。
おそらく相手──和人たち──に情報を与えないようにするためだろう。これは和人たちもやっているのだから別におかしなところはない。
(だが、ヘビータイプの克己も全て非武装にしているのか)
ヘビータイプはスタンダードタイプやライトタイプと違い、ギア自体に組み込まれるようにして武器が付いている。そのため通常の武器のように、マナゾーンから取り出してそのまま手に持つ、というのが出来ず、一度ギアを着たあとにあとから装備を付けるのは中々の高等技術だ。
(侮っていたつもりはなったが、警戒度を上げておかないとな)
現に、優樹菜は手に持って使う武器は装備していないが、元からギアについているキャノン砲は仕方なく相手に見せている状態だ。優樹菜はまだ、魔力操作という点においては、浩太と同様初心者並みだ。
そもそも、ギアとそれに付随する武装を分けてマナゾーンから出せるような構造であることが前提条件ではあるが、黒紡のような特殊兵養成学校で使われるようなギアのほとんどは、汎用性を高めるために単一の武装に縛られない構造が好まれている。
『よし、聞こえるか』
突然スピーカーから流れたような大音量で三田村先生の声が響き、優樹菜と浩太が反射的に首をすくめる。
本物のスピーカーから流れているようにしか聞こえないのだが、仮想演習場の中ならなんでもアリ、ということだ。
『今回はチーム戦という話だが、ルールはシンプルにいくぞ。どちらかが全滅するか戦闘不能になる、もしくは降参したところで終了とする』
克己との試合があることを先生と話したあの日、結局先生に押し切られる形で監督を兼ねた審判をやってもらうことになっていた。
試合形式も先生が決めるという話になっていたのだが、和人が不安に思っていたような変なルールではないことに胸を撫で下ろす。
『地形もこちらが選定して良いということだったな。早速だが、こちらから操作しておく』
先生が言い切ったあとすぐに、和人達の眼前で天変地異が起きる。
(モニター越しに見てはいたが、実際に目の前で起こっているのを見るとなかなか凄いな、これは)
踏みしめている地面が盛り上がっていくという不思議な感覚に襲われながら、変わりゆく地形を注視する。
やがて地形が定まると、和人の視界には丘と森で出来た戦場が広がっていた。
和人たちは森の中の、木が生えていない空き地のようなところに立っており、そこから見て左側に高くなっていくように傾斜が微妙にかかっていた。
「丘と森ってところか」
「そうですね。克己さんと海翔さんの試合の時みたいです」
状況確認のための和人の声に、優樹菜が答えてくれる。
ちなみに、現在は全員ギアを着ているものの、会話しやすいようにメット部分だけは装着していない。
『少ししたら始めるぞ』
先生の声が木々の合間から響くように和人に届く。
「それでどうするの? 貴方たちは飛べるでしょうけど、私はともかく優樹菜は動けないわよ」
冬美が和人と浩太を指して言う。
木は広葉樹であり、その大きさは大小様々だが高いものでは10メートルをゆうに超え、地面も大きい木から突き出た根っこや低い木の枝などで通り抜けるのは苦労しそうだ。
「これだけ木が生えてるとなると……」
和人は一瞬考え悩んでいるかのように視線をずらした。
とはいえ、事前の訓練で様々な地形における戦術というのはある程度確立させていた。
「やっぱり、以前言っていたように俺と冬美で相手陣地に攻めに行くしかないな。優樹菜と浩太は取り敢えずここで待機だ」
相手の方が人数が多く、かつギアのタイプ的にも総合的な火力では和人達は克己相手に大きく劣っている。そのため和人たちは守る姿勢を取る事ができず、ライトタイプの機動力を活かした戦法をとるのが定石になる。
その点、平原などと違って正面からの撃ち合いになりにくく、ヘビータイプはもちろん、スタンダードタイプでも移動しづらい森は和人たちにとって有利な地形だ。
もちろん、動きづらいというのはこちらも同じ。優樹菜も移動できないのでそこをどうにかしなければならない。
「優樹菜、浩太。基本的にはここで待っていてくれ。もちろん敵が来れば対処しないといけないが、基本的には守りが優先だ」
「はい、分かりました」
「おう」
自信満々に答える二人に、和人は無茶をしないか今から不安に思えてきた。
「二人共無理はするなよ。倒せるなら御の字だが、最悪こちらが片付くまで耐えてくれれば良い」
和人は、台詞の最後に冬美へと視線を送った。
「任せて」
冬美からただの威勢だけではない、力強い返事が返ってくる。
この戦いは和人と冬美が如何に相手を素早く倒し、人数不利を覆せるかにかかっている。冬美はそれを言われるまでもなく理解できていた。
「よし、そろそろ武器は出しておけ」
そう言いながら和人自身もマナゾーンからアサルトライフルとハンドガンを取り出す。取り出さなかったナイフは、もともと腿部にある外殻装甲の内側に入っている。
『準備はいいな。始めるぞ』
全員が装備を確認したところで、丁度良く先生の声が聞こえる。
「和人さんのそれ、良い感じに似合ってますね」
突然、優樹菜にそう言われ、一瞬何のことか分からなかったが、すぐにチームマークの事だと気付いた。
ちょうど先日、先生に頼んで全員のギアにペイントしてもらったのだ。
ただ、そこで問題となったのがチーム名が『Black Birds』という理由でマークを黒色にしようとしても、和人のギアが既に黒塗りだったということだ。
最終的にはつや消しの黒だった和人のギアに、マークはつや有りで塗装するということになった。そのため角度次第ではマークが完全に見えなくなったりするのだが、優樹菜たち曰くそれが良いらしい。
「ああ、これのことか。だが、なんでお前らはつや消しにしてるんだ? お前らもつや有りにすれば良いだろ」
「いいじゃねぇか、カズト。そっちのほうがスペシャル感あるだろ? リーダーなんだからよ」
「そういうものか?」
和人的には統一感を持たせたほうが良いと思ったのだが、メンバーはそうではなかったらしい。なお、冬美はこれに関してノーコメントだった。
「そういうものなんですっ!」
とどめに優樹菜の眩しい笑顔を見せられると、もう反論する気もおきなくなってくる。
『それじゃあ、試合開始のカウントダウンを始めるぞ』
そんな先生の声が聞こえると、声を出さずとも四人全員が示し合わせたようにメットを装着する。
「あまり気負うなよ」
『はい』
先程まで忘れていた緊張がまた戻ってきたのか、通信機から返ってくる声には緊張の色が滲んでいた。
「負けたときのあいつらの顔を想像してみろ。負ける訳にはいかないだろ?」
態とらしく余裕を演じた声音に対し、背後の二人が即座に反応した。
『確かにそうね』
『緊張なんかしてられねーな』
やはり煽り文句というものは適した場面において、ただの鼓舞よりも大きな効力を発揮してくれる。
『10、9、8……』
そんな中カウントダウンは進む。
『7、6……』
「準備は良いな」
これも和人は後ろを振り返らず言った。
「当たり前よ」
「もちろんできてるぜ、カズト」
「はい! 負ける気はありません」
先程の緊張感がまるで嘘のように頼もしい声が返ってくることに、自然と和人の顔にも笑みが浮かぶ。
「まったく……。悪くないもんだな」
──独りじゃないってのは。
後に続いた和人の心の中の呟きは、本人さえもちゃんと自覚は出来ていなかった。
『5、4、3、2、1。開始!』
特に開始のブザーなどはなく、先生の掛け声とともに試合が始まった。
「行くぞ」
和人の声に合わせて後ろの三人も当時に動き出す。
優樹菜と浩太はここで待機だが、それでも何もやることがないわけではない。
浩太は優樹菜が先手を取られないよう森に隠れて偵察を行い、優樹菜は和人たちの指示があればいつでも火力支援が出来るように準備をしておかなければならない。
そんな二人を尻目に、攻撃役の冬美は銃を両手で保持したまま森の中に入っていく。ギアを着けているとは思えないほどの軽やかさで木々の合間を抜けていく背中は、数秒で優樹菜たちの視界から消えた。
同じく攻撃役の和人は、走って木々の合間を通り抜けるのではなく、宙に浮かび上がっていた。
「冬美、相手の大体の位置は分かるな?」
『ええ』
和人が声を掛けると、メット内の通信機から冬美の声が返ってくる。
「俺は先行して空から魔力をばら撒くから、しばらくマナレーダーは使えなくなる。森の中だと直進するのは難しいが、頑張ってついてきてくれ」
和人は以前に海翔が克己相手にやったような、魔力による撹乱を狙った戦法を取ろうとしていた。
常に自分の周りに魔力を撒き散らしているせいで和人自身のマナレーダーも正常に機能しなくなっているが、それ以上に相手に不確定要素を与えるのが目的だ。
戦闘開始からまだ一分と経たないうちに、和人と克己達との距離は開始時点から半分以下に迫っていた。
和人は高度を下げ、上から森を覗き込む。マナレーダーが使えないとは言ったものの、空からならば地上に誰かいるか分かるかもしれない。
(やはりまだ敵は来ていないか。冬美の方は……付いてきているな)
和人の目には森の中を疾走する影が映っている。
和人も冬美が付いてこれるように極力ペースを落とそうとしてはいるが、それでもライトタイプが安定して宙を飛ぶ為に必要な最低速度は地上からすればかなり早い。森の中をそれについて来られる速度で進行できる冬美に、今更ながら和人は感嘆していた。
それから数秒して、和人の目は新たに地上を走っている2つの影を捉える。
木々が邪魔をして精確な姿は捉えられないが、影の見える数と距離から二人であると和人は判断した。
「敵側もおそらく二人が侵攻してきてる。予想どおりスタンダードタイプだろう」
『了解です』
和人が通信機に話しかけると、すぐさま優樹菜からの応答が返ってくる。
『私はどうすれば良いかしら?』
今度は少し息が上がった様子の冬美からそう訊かれる。
「このままのルートなら接触することはないはずだ。ここでやり合っても分が悪い。こいつらは優樹菜たちに任せて、俺たちは頭を叩きに行く」
『ええ』
息が上がった様子とはいったが、冬美の声からはまだまだ余裕が感じられる。
和人がいる上空からは、既に克己達がいるであろう空き地が見えていた。
見える限り森が続く視界の中にポッカリと空いた空白地帯に、克己と前進していない仲間二人の計三人がいるはずだ。
「50メートル進んだ先で一度止まってくれ」
冬美から返ってくる声を聞きながら、和人は高度を落として地面に着地する。
ギアを着けた状態では複雑に伸びている枝全てを避けて降りることは出来ない。結果、何本か枝を折ってしまうが流石に克己達がいる場所まで音が届くことはないだろう。
和人の脚が地面についてから数秒して、森の中から冬美が姿を現す。
「ここから大体100メートル程先に俺たちがいた場所と同じような空き地がある。そこに克己達がいる」
冬美は声を出すことなく首を縦に振って理解を示す。
「もう魔力は撒いてあるからマナレーダーは使えないはずだ。俺が先に出るから冬美は背後から奇襲を掛けてくれ」
「分かったわ」
今度は声を出して返事をした冬美をあとに、和人は少し遠回りをするように森の中を歩く。
装甲は薄めであっても、背中のバーニアや各種ブースターのせいで冬美が着ているようなスタンダードタイプと比べても、その重量差は無いに等しい。また、背中のバーニアによって重心が後ろにズレており、ヘビータイプ以上に地上での歩行は困難だ。
一番機動力に優れているライトタイプが、飛行時の体勢を意識した設計ゆえに最も基本的な地上での移動が他に劣るというのだから、世の中そう上手くはいかないものである。
そんな和人を横目に、冬美は和人とは反対方向から回り込むように森の中を駆けていった。
空き地へとある程度まで近づいた和人が森の先の方を伺うと、明るく照らされた先に三人の影を見つけた。
和人から見て正面に克己が構え、その背後を残りの二人が警戒するように円を描くような陣形で守りを固めていた。
ちょうどその時、冬美からの通信が入る。
『位置に着いたわよ』
「分かった。俺が3人の注意を引くから、お前はその後に出てきてくれ」
『貴方が注意を引けなかったら?』
冬美の声に意地悪やからかいの色はなく、あくまで真面目な質問として和人に尋ねていた。
「臨機応変に対応する」
和人の投げやりとも思える回答に納得しているのかは分からないが、冬美はそれ以上なにも言わずに突入の準備を整えた。
「行くぞ」
そう言いながら冬美の返答を待つことはせず、最初から全速力で克己へと突き進む。
森の中から広場の中央にいる克己までの距離は約50m。これぐらいの距離ならば、加速するための前段階がなくとも和人ならば3秒とかからない。
この戦闘での本命はもちろん冬美の奇襲ではあるが、和人のこの突撃もただの陽動というわけではない。
ヘビータイプであれば突然の急襲に対応するのは困難。和人は冬美との挟撃を待たずして、開幕の一撃で早々に一人を墜とすつもりだった。
和人は両手で握っているアサルトライフルを前方に構えながら、人差し指をトリガーに掛ける。
森から飛び出してから1秒後、克己もアクションを起こし始めた。
(思ったよりも反応が早いな。だが、もう間に合わないぞ)
克己が右手に持つ武器を持ち上げようとするが、和人の目測では銃口がこちらに向く前にその内側へと入り込める。
克己がアクションを起こしたことにつられて、背後を警戒していた残りの二人も和人へと注意を向ける。
振り向く二人に対して注意を引けたことに満足しつつも、ゆっくりと狙いをつけることはせずに牽制射撃としてアサルトライフルを撃つ。
数発しかまともに当たらなかったものの、多少怯んだ様子の二人は無視して、和人はすぐに克己へと集中する。
最初は克己以外の二人を狙う予定だったが、脅威度が高い克己の方を先に仕留められるのならば、今のうちに仕留めておきたいというのが和人の考えだった。
しかし、克己への距離があと10m程になったタイミングで、和人は違和感に気付く。
(銃じゃ、ない……?!)
克己が持ち上げようとしていたのは、浩太がもつブレードよりも何倍も刀身が分厚い大型の近接武器だった。
(普通、ヘビータイプが近接武器なんか持つかよ!)
大型の重火器だと思っていた和人は、予想外の武装に多少困惑しつつも、すぐに冷静になってこの後の対処法を考える。
和人の持つ武器では重装甲の克己を一撃で仕留める事はできないが、逆に克己の大剣をもろに喰らえば和人は一撃で戦闘不能になるだろう。
勢いが付いていたせいで既に和人は克己の間合いに入っており、今逃げようとすればその背中を斬られるだろう。体勢的にその場で躱すことが難しいと判断し、克己から見て右下から左上への切り上げとなる大剣を咄嗟に左手で持ち替えたナイフでなんとか上に逸らすことに成功する。
大剣をすかしてことで隙を晒した克己にアサルトライフルの残弾全てを撃ち込むが、至近距離から放たれた弾丸に対してもヘビータイプの装甲はその堅牢な防御力を見せ、その装甲を貫通した弾は一発も無かった。
克己は怯むことなく振り上げた大剣をそのまま振り下ろしてくる。
執着するとやられると判断した和人はライフルをその場に放棄し、ナイフを両手で握って克己の大剣を迎え討つ。
重量が乗った分、先の一撃より強烈な攻撃を両手プラス姿勢制御用のスラスターをフル動員することによってなんとか逸らす。
この時、残りの敵を克己の背後に来るように位置取りしたことで、向こうからはこちらが撃ちにくいようにしていたことが効いた。克己の背後に立つ二人は、同士撃ちを恐れてまだ発砲できずにいた。
それでもこのままではジリ貧になると和人は思ったが、その目に克己と残りの二人以外の姿が映しだされた。
和人は逸らしたことで軌道が崩れた大剣を上から押さえつけるように踏みつけ、大剣の半ば以上地面に食い込ませる。そして、冬美が和人から見て左側にいる敵を狙っているのを確認し、右側の敵に向かって素早く抜いたハンドガンを向ける。
敵は自身が引き金を引き切る前に和人と冬美の射撃をもろに喰らった。
和人のハンドガンでは致命傷となるダメージを与えることが出来なかったが、冬美のライフルはしっかりと敵の頭部を撃ち抜き、名前も分からない克己の仲間の一人は光の欠片となって散った。
「なんだ!」
克己の声がギア越しにも聞こえてくる。
スタンダードタイプを数発で撃破した冬美は、そのままマガジン内の弾を背中を向けている克己へと撃ち込んだ。
背後からの、しかも10mと離れていない距離にも関わらず、克己に大した損害は無く、克己はそれに反撃しようと大剣を持ち上げる。
しかし、和人がそれに対し踏む力を強めたことで、大剣が地面から引き抜かれることはなく、ただその分厚い刀身をより一層地面へと沈ませていくだけだった。。
「チッ!」
『チッ!』
冬美と克己の舌打ちが重なる。
残った克己の仲間が今度は冬美に銃口を向けようとしたところに、和人は右手に持ち替えたナイフを投げる。
なんの仕掛けもないただの投擲ではあるが、強度確保のために持ち手部分まで金属でできたナイフをギアの膂力と速度で投げることで、至近距離に限りその威力は銃弾をも超える。結果として、和人の手から放たれたナイフは相手の注意を引くだけにとどまらず、持っていたアサルトライフルの機関部に刺さった。
冬美は実質戦闘不能になった敵には目もくれず、確実に克己を仕留めようとライフルをリロードしながら素早く克己の背後に近寄る。
堅牢な装甲を持つギアといえど、人の動きをする故に弱点というのは多くある。
代表的なものでいえば関節部。
関節の内側は可動域を制限しないように、金属装甲を配置することは出来ない。動きに合わせて装甲自体が動く可動装甲というものはあるが、その可動装甲ですら多少の制限がかかる上に、場所と重量が嵩んでしまう。
そんな関節部の中でも特に守りづらく、攻撃されれば致命的となる箇所というのが、今まさに冬美が狙おうとしている首元だ。
しかし、克己を討ち取ったと確信した和人の脳裏に、二度目の違和感が過ぎる。
(なんで手を離さないんだ?)
背後から狙われていることに気付いているはずなのに、克己は一向に大剣から手を離さない。和人が抑えている限り、ヘビータイプのパワーと言えど容易に動かすことは叶わないことは克己も分かっているはずだ。
(他に武装がないから大剣にこだわっているのか?)
だが、それだけではこの状況で手を離さない理由としては足りない気がする。
(自身の防御力を過信しているゆえの行動?)
ほんの僅かな時間で巡らせた思考では、その答えが出ることはなかった。
違和感を無理矢理飲み込んだ和人の視界に、今度ははっきりと違和感の元となる奇妙なものが映った。
重量が命とも言える大剣に空いた複数の穴。それが何を意味しているのか気付いた瞬間、和人の中にあった違和感が悪寒へと変わる。
「冬美離れろ!」
冬美が銃口を克己の首に突きつけたその刹那、大剣にかけていた足を力点に和人の体が宙へと舞う。反転した世界の中で、普通ではありえない姿勢から冬美に大剣を振りかざす克己の姿が目に入った。
大剣を振るというより大剣に振られるようにして体を反転させた克己によって、真後ろに張り付くように立っていた冬美は弾き飛ばされてしまう。
片足が浮くほどに姿勢を崩した冬美に、更に加速した大剣が襲い掛かる。
右脇腹から頭にかけて切り上げられた冬美の体は、和人と同じく布でできた人形のように空へと打ち上がった。
「冬美!」
しかし人の心配をする間もなく、和人に対してもより加速した大剣が迫ってきていた。
真横から襲いかかってくる大剣は、右腕で庇ったにも関わらず体中に鈍痛をもたらした。
かろうじて空中で体勢を整えた和人だったが、正面から直撃をもらってしまった冬美は受け身を取ることもなくドサッ、と地面に激突する。意識が無いのは確実だろう。
和人の方も意識があるというだけで、体の至る所が悲鳴を上げていることに違いはない。大剣から体を庇った右腕に至っては、本来曲がるはずのない場所からポッキリと曲がり、今は肩から力無くぶら下がっているだけだ。
地面に倒れている冬美を背後に、克己は重量を感じさせない動きで大剣を持ち上げながら、こちらへと歩いてくる。
「どうしたよ、これで終わりか?」
メットの下には、愉悦に笑う克己の顔があった。
お読みいただきありがとうございます!
まずは謝罪を。
またしても投稿間隔がおかしくなってしまいまいましたが、次回からこんなことはありません。……そのはずです。
次回が一章の最終回となります(エピローグはまた別に書くかもしれませんが)。今まで通り、いえ、今まで以上に気合を入れて書くのでぜひ楽しみにしていてください!
最後に、よろしければブックマーク登録や高評価をしてくださると嬉しいです!感想などもお気軽にどうぞ!!
面白いと思ってくれた方や、次の話が楽しみという方はぜひよろしくお願いします。
それではまた、次の話で!!