一章 6話
自主トレーニングとして仮想演習場を使った翌々日の日曜日。その午前11時の和人の部屋には、浩太もいた。
入学一週間にして、暇なときには和人の部屋に来る、というのが浩太の当たり前に成りつつあった。和人もそれを自然と受け入れているあたり、二人の関係は和人が思うよりも順調に近づいているのだろう。
「にしても大変なことになったな」
和人は2日前に起きた出来事を思い出しつつ言った。
和人と冬美の模擬戦が終わり、早速次の訓練で何をするか話し合っているときに、女子と言い争いをしている堂島克己と遭遇した。
話を聞くに、どうやら克己たちが使用したあと、女子がその後の時間を予約していたらしい。そして、克己たちは利用時間を消化したあと、その後も使い続けようとして女子たちにゴネていたらしい。
明らかに克己たちに非がある状況。もちろん和人たちも女子に加担した。
ただ、そこからが問題だった。
克己たちに妨害されていた女子たちを先に仮想演習場の中に入れたあと、いつの間にか論争の主役は克己と優樹菜、冬美の三人になっていた。
「お前らには関係ないだろ!」
「関係なくなんかありません。それに関係なかったとしても、こんな横暴許せるわけがありません!」
「順番を守るなんて当たり前の事よ。幼稚園児だってできるわ」
「なんだと!」
「そうやって、自分の思い通りにならないとすぐに癇癪を起こすところとかね」
売り言葉に買い言葉。完全に和人と浩太が置いていかれているなか口論は白熱していき、最終的に何故か、和人たちのチームと克己たちのチームの模擬戦を行うことになった。
優樹菜はあまり乗り気ではなかったが、むこうの圧に押されて承諾してしまった。
もしかしたら、克己は冬美との再戦の機会をずっと伺っていたのかもしれない。リベンジを果たすために。
「それなら二人だけで戦えば良いものを……」
和人の口から無意識に漏れた声を、浩太の耳が拾い上げる。
「何がだ?」
「いや、何でもない。チーム戦はどうしようか、と考えていた」
「そっか、チーム戦か。オレも戦えるようにならないといけねぇな……」
浩太は思い出したように言いながら、苦虫を噛み潰したような顔をする。
それから察せるように、浩太の訓練の成果はあまり芳しくなかった。基本動作こそ慣れてきたものの、未だにちゃんとした飛行はできていなかった。
和人が見る限り、浩太は出力の調整はできているのだが、それの向きを調整する魔力操作が不器用だった。
翼の揚力で飛び、向きを変えている飛行機と違って、ギアで空を飛ぶには推力自体の方向を変えて飛ばなければならない。一応飛行機と同じように姿勢を安定させるための小さな補助翼のようなものもあるが、それはそもそも速度を出して飛ばなければ機能しない。
ライトタイプのギアなのに空を飛べていない、それが普段はあまり悩むことのない浩太の心境すら暗くしている悩みの種だった。
「まあ試合まではあと一週間ある。それまでに何か掴めるよう頑張るんだな」
模擬戦を行うことになり、冬美たちは今すぐに戦っても構わないという勢いだったのだが、克己は何故か一週間後の日曜日を指定してきた。
「おう……」
浩太は力無く答える。
「今日の午後にもあるんだぞ。そんな調子でどうする」
返ってくる覇気の無い返事に心の中でため息を吐きつつ、和人は浩太を連れて食堂へと向かう。
それから三日後の水曜日。その日最後の授業である特技科(特殊技能科の略でギアの訓練として仮想演習場を使っているのもこの授業)を終え、その場で解散の号令が成されたあと、和人は三田村伊月先生に呼び出された。
「ここで良いんですか?」
「ん、ああ。そこら辺に積んでおいてくれ」
先生の指示を聞きつつ、和人は両手で抱えるほどの大きさの段ボールを床に下ろす。
「よいしょっ、と」
隣に立っていた浩太も和人の箱に重ねるようにして段ボールを置く。
場所は整備棟の1-C用の部屋。先生に呼び出された和人は、仮想演習場がある訓練棟からそのまま整備棟へと移動し、荷物の運搬を手伝っていた。
ちなみに黙って付いてきた浩太だったが、和人の近くにいたというだけで別に呼び出されたわけではない。だが、働く手はいくらあったところで困りはしない、と先生にも容認されていた。
「これで全部だな。お疲れ様」
同じく段ボールを床に置いた先生は、横で床に座っている和人と浩太に労いの言葉をかける。
「よし、浩太。外でなんか買ってきてくれ」
そう言って先生は、ポケットにあった財布から五百円玉を抜くと、浩太の胸元に投げる。
『外で』というのは出口からすぐ側にあるちょっとした広場の中の自動販売機の事だろう。ちなみに黒紡の構内にはコンビニなどの売店もある。
「うおっと」
床に手を着いていた浩太は、慌てて上体を起こしながら器用にキャッチする。
「良いのか、センセイ?」
「ああ。買ってきてもらう代わりに、お前は2本買ってきて良いぞ」
「よっしゃ!」
私はアイスコーヒーを頼む、という先生の言葉を聞くか聞かないかの早さで浩太は部屋から出ていった。
自分には何を買ってくるのか軽く戦慄しながら、和人は近くに立つ先生を見る。
先生も和人たちと同じ量を運んでいたはずなのだが、二人と違って疲れた様子は見られない。服装は入学式を終えてからもスーツのままで、体格はその上からおおよその目測を立てることしかできない。
今更だが、特技科を指導する教師は三田村先生だった。普段はギアを身に纏った状態しか見ていないが、いつかギアスーツ姿を見られる機会があれば、そのスーツの下にどんな引き締まった身体があるのか分かるだろう。
和人がそんなことを考えているのを機敏に察してか、先生が冷たい目を向ける。
「女性をそんな不躾な目で見るものじゃないぞ」
「すみません」
慌てて謝るが、和人の声に焦りはなかった。
(冬美にも似たようなことを言われたな)
精々心の中で反省するくらいだ。
そんな和人の反応を見て、先生はつまらなさそうにため息を吐く。ただ、すぐに何かを思いついたように胸の下で腕を組むと、和人に顔を近付ける。
「それに、もっと他に見るものがあるだろう?」
強調された胸部が和人の視界に映し出されるが、それでも和人の顔に動揺の色は無かった。
「先生も冗談を言うんですね」
目をまっすぐ見つめ返しながら言う和人に、先生は馬鹿らしくなった、と腕を解きながら和人の横に座った。
「まったく……。少しも男子高校生らしくないな、お前は」
「自分ではよく分かりませんが、おそらくそうなんでしょうね」
和人は入学してからの一週間を思い出しながら言う。
「チームのメンバーからも何度も言われました」
「だろうな」
先生は声に出さずに笑う。
「それで、俺になにか用があるんですか?」
和人が唐突に話を切り出すと、先生は一瞬目を丸くする。
荷物を運ぶ手伝いなんて、誰でも良いはずだ。それをわざわざ一翔を指名してきたのだから、なにかあるのは誰だって気付くだろう。
「そんなに驚くことですか?」
「あ、ああ。何でもない。いやなに、個人的に興味があったという話だ。ライトタイプに乗る奴なんかほとんどいないしな」
ここで和人は、先生が乗るギアもライトタイプだったことを思い出す。
「それなら浩太もそうですが……」
「あいつはそこらへん何も考えていないだろう。お前もそう思わないか?」
和人は何も答えなかったが、それが一番の答えになっていた。
「それに、だ」
先生は和人を見る目を強めながら不敵な笑みを浮かべる。
「お前、ここに来る前にもギアに乗ったことがあるだろう?」
「なぜそう思うんですか?」
和人は顔色一つ変えずに反問するが、先生は更に笑みを深めた。
「女の勘ってやつかな」
先生は冗談めかして言うが、和人は笑えなかった。
(先生といい冬美といい、恐ろしいものだな)
「それにそもそも高校で初めてギアに乗るってやつが、わざわざあんなギアを選ぶとは思えんしな」
先生は記憶を掘り返すように視線を和人から外した。
「単純に格好いいと思ったからですよ」
「いったいどこで、なんて不粋なことは聞かないでおこう」
先生は、和人の誤魔化しの台詞を無視しながら言う。
和人は否定することもなく黙ったままだった。
「一度ちゃんと見せてくれないか。普段の授業では一人に集中なんてできんからな」
「はあ……」
和人はもはや気力のなくなった声で返事をしつつ、先生に促されるまま和人の作業台へと向かう。もう何回も繰り返した動作で台にギアを出すと、先生は初めて和人のギアを見た浩太や優樹菜の様に、全身を隈無く見回す。
「経験者とはいえ、こんなピーキーなギアを扱い切れるのか?」
私でも流石にこれは、と呟く先生の中では和人が経験者だということはもはや確定となっていた。
先生がさらに踏み入ったことを聞く前に、丁度良く浩太が戻ってきた。
「なにしてんだ?」
腕に4本のペットボトルを抱えつつ、浩太が、小走りにこちらへと駆け寄ってくる。
「って、カズトのギア見てたのか。誰もいないのかと思ったぜ」
和人の作業スペースはこの部屋の入口から最も遠い所にある。体育館程度の広さとはいえ、天井から電動工具用のケーブルなどが垂れ下がっている状態では、パッと見どこに居るのか分からなかったんだろう。
「先生はコーヒーだったよな。カズトはほら、これ」
先生にアイスコーヒーを手渡しながら和人に投げ渡されたのは、シンプルなストレートティーだった。まだ浩太の手に抱えられているペットボトルは、和人が貰ったものと同じブランドのミルクティーバージョンと、和人が見たことの無い炭酸飲料だった。
その後もしばらく和人のギアについてのあれこれがあったが、5分ほど経ったところで先生が口を開く。
「そういえば。話は変わるが、お前らなかなか面白いことになってるじゃないか」
和人と浩太の二人は、すぐに克己との試合の事だと分かった。
「それで、どうなんだ。勝てそうか?」
「どうでしょうね。現時点では断言できませんが、勝てると思いますよ」
予想していたよりも強気な発言に、先生は笑みを深める。
「ほうほう、結構自信ありげじゃないか。確かに経験者である冬美と克己の一対一は、冬美が勝っていたが、今度はチーム戦だろう?」
先生が意地の悪い笑みを浮かべながら、和人の顔を見る。
「お前も経験者みたいだが、相手だって実力を隠しているやつがいないとは限らないだろう。それに向こうは五人チームだ。いくら個が強いからと言って、人数の戦力差を甘く見ていたら足元を掬われるぞ」
「もちろん、分かっています。なのでそれに負けないようチームの連携力と個を力を鍛えようとしているんですけどね」
和人の発言を聞き、浩太の顔がなんとも言えない顔になる。
「お前もライトタイプだったな、浩太。その顔を見るに、おおかた、飛ぶことすらままならない、といった感じか?」
「うっ……」
浩太は気まずそうな顔を逸らしながら、ポリポリと頬を掻く。
「ハッ、だろうな。初心者がライトタイプに乗って一週間で飛ぶなんて普通は有り得んからな」
先生は意味深な目線を送るが、視線を送られた和人はそれを完全に無視した。
「先生、笑い事じゃないんですよ」
和人的にも1番の懸念点である浩太の問題を軽く笑われ、溜め息を吐きそうになるのをぐっと堪えた。
「最近ずっとそれに悩まされてますから……」
そのまま頭を抱える勢いで沈んだ声を上げる和人だったが、次に先生の口から放たれた言葉に目を見開く。
「なら、私が直々に教えてやろうか?」
それを聞いて、和人は大きな衝撃を受けた。
(そういえば先生は先生だったな)
特技科の先生であり、なおかつライトタイプに乗っている。しかも和人が見る限り、かなりの腕前を持つ人物が目の前にいたではないか。
当たり前の事であるのに、それに今まで気付かなかった。
目から鱗。棚からぼた餅。
これを逃す手はない。
「よ、よろしくお願いします!」
和人が言う前に本人が申し入れを受け入れる。
「丁度いい。私も暇してたんだ。まったく、どうしてお前たちは私に聞きに来ないんだ」
とうやら入学してからの間、先生に課外で個人的に教えてもらおうとした人はいなかったようだ。
三田村先生は、業後はすぐに職員室に戻ってしまうし、実際に話すまでかなり近寄りがたい雰囲気がある。話しかけたくても話しかけれない人は多いだろう。
先生の態度が良くないのでは、とは流石の和人も口には出さなかった。
翌日の朝。始業前に和人たち四人は教室の隅、和人と優樹菜の席の周りに集まっていた。
「ふーん。それで、美人の先生に直接ご指導いただいて、そんなにご機嫌なのね」
昨日起こったことを話し終えると、冬美は軽蔑の色が混ざる視線を浩太に送る。
「おう。……ってその言い方だとなんか変な意味に聞こえるだろ!」
「あら、そうかしら?」
「お前の冗談は疲れるぜ」
小首を傾げる冬美に、浩太も毒気が抜かれたように肩を下ろす。
「それで、浩太さんは飛べるようになったんですか?」
話を戻した優樹菜に、和人が答える。
「いや、結局自由、とまではいかなかったな。ただ、なにか掴めたようだが……」
そう言いながら浩太の方をチラリと見ると、浩太は自信満々な顔を取り戻して言う。
「おう!今日のチーム練習の時には自由自在に飛び回ってやるからな。覚悟しろよ!」
「その台詞はぜひ、克己に対して言ってほしいものね」
浩太と冬美の掛け合いに、あはは、と苦笑いしていた優樹菜が何かに気付いたように、和人へと顔を向ける。
「今日の、って仮想演習場の予約、今日も取れたんですか?」
「ん、ああ。昨日先生と別れる前にな。そういや、お前ら二人に言うのを忘れていた、すまん」
「いえいえ、どうせ予定なんてありませんし。むしろ、練習できるなら願ってもないことです」
「そうね、まだまだ詰めるところはあるし、負ける訳にはいかないもの」
そう言いつつも、余裕綽々な顔を見せる冬美に、和人は足を引っ張る訳にはいかないと気を引き締め直す。
(自分のミスの所為で負けたら、大変なことになりそうだ)
そんな和人に、冬美が微笑む。
「まあ、連絡は早めにしてほしいけれどね」
「あ、ああ。分かった」
和人はそれに苦笑いしながら返すしか無かった。
「ぐわっ!」
空中でバランスを崩した浩太が地面に激突して、今日何度目かの情けない声を上げる。
「おい浩太。明日が本番なんだぞ、その調子でどうする」
「くっそー。ワリと良い感じになってきたと思ったんだけどなぁ」
独り言のように返事をしつつ、浩太は背部のバーニア部分が干渉しないように器用に立ち上がる
本番を明日に控えた土曜日。和人たちは最後の練習を行っていた。
本当は実戦形式の訓練を行う予定だったのだが、予想よりも浩太の飛行訓練の方の進展が芳しく無く、結局まだ個人練習をしているところだった。
浩太も全く進展していない訳ではないのだが、壁を乗り越えるためのあと一歩が足りていないようだ。
「ってなんだこれ?!」
いつものように墜落してからまた飛ぶ、といった練習風景を見せていた浩太が、急に素っ頓狂な声を上げる。
「どうした?」
チームの中で唯一ライトタイプの心得がある和人が浩太の一番近くにいたので、必然的に和人が声を掛ける。
「いやなんかさ、ここ削れてるんだけどよ。なんでだ?」
浩太が指した腕部分を見ると、確かに鑢で削られたような跡があった。床と当たってへこんだわけでもなく、深さ2センチ程度の溝が一直線に出来ていた。
被弾したわけでもないのに、いきなり金属装甲が削られていることに、浩太は困惑していた。
ただ、和人には見慣れた現象だった。
「ああ、墜ちた時にスラスターと当たったんだろ」
和人の言っていることが分からず、浩太の頭上にはなおもクエスチョンマークが浮かんでいる。
「どういうことだ?」
「お前、先週の授業受けてなかったのか?」
浩太は口で応えず、ただ苦笑いを返す。
「ったく、仕方ないな。お前なぁ、自分がどうやって飛んでいるのかさえ知らないのは、流石にどうかと思うぞ」
和人は落胆の息を吐きながら、掻い摘んだ説明をする
魔力というのはそのままでは現実世界の物質にはなんの影響も与えない。つまり、魔力そのものでは物理的な力は持たないのだ。
しかし、金属筋繊維などにも使われているように、銀や金などの一部金属と重なる《・・・》ことで、魔力は現実世界の物質にも干渉するようになる。この場合の「重なる」というのは、文字通りの意味で、魔力は現実世界と重なるように存在しているため、そのまま金属を通過するように重なることで魔力は現実世界に干渉できる、つまり、観測出来るようになる。
そして、スラスターに使われている金などの物質を通した魔力は「発振状態」や「活性化魔力」と言われ、物質を押し出す力を発生させる。離れ合うではなく、ただ一方的に押し出す力だ。
これによって、ライトタイプは魔力によって推進力を発生させている。質量体を飛ばし、その反作用で飛ぶ通常の推進機とは違う方法のため、現代でもギアに使われるスラスターの規格や効率化は未熟なままだ。
そして、浩太のギアの装甲が削れた現象。それは活性化魔力が物体と重なった時に起こる。
前述した通り、魔力は現実世界の物質に影響されず、重なるようにして存在している。それは活性化魔力にも同じことが言え、物質を一方的に押し出す力、それが物体に重なるように存在したとき物体は内側から発生する力によって崩壊する。内側といっても、内側の一点ではなく、物体の内部全体にそのように力がかかる。
結果として、物体を構成していた分子同士の結合などが壊れ、浩太の装甲のような跡が残る。
魔力を使ったビーム兵器なども、この活性化魔力を用いた武器である。
無論、金属結合をバラバラにするような強い力を出すためにはそれなりの魔力量が必要だが、浩太はバランスを崩した時に力任せにスラスターを使って、たまたまそれが装甲に当たってしまったのだろう。
そんな説明を終えると、浩太は理解できたのかは分からないがとりあえず頷いた。
「つまり、スラスターは危ないってことだな!」
「まあ、噛み砕いて言えばそうなるな」
なんだか真面目に説明するのが馬鹿らしくなり、和人は投げやりに言いながら浩太に続きの練習を促す。
浩太に発破をかけながら、自分もそろそろ個人練習をしようと思った瞬間に冬美に声を掛けられる。
「一つ聞いてもいいかしら?」
そう訊いてきた冬美の背後には、優樹菜の姿もあった。
「なんだ?」
「克己は本番もヘビータイプで来るでしょうけど、貴方はどうするの?」
「対処法の話なら、最終的にはこれを使う事になるかもな」
冬美の質問は少々言葉足らずな気がするが、和人は冬美が聞きたかったことを誤解すること理解し、答える。
「ふーん。これで、ね」
冬美は和人が取り出した大振りのナイフを不思議そうにまじまじと見つめる。
克己のような装甲が厚いギアに対して、和人が持つ(特殊兵にしては)小型の銃火器では有効打に成り得ない。冬美はそれについてどうするか質問したのだが、その答えがナイフ一本だと言われれば、首を傾げるのも無理はない話だろう。
「装甲の継ぎ目を狙えば、こんな小さい刃でも斃せなくはない」
「近付くのはお得意ってことね」
冬美が一週間程前に苦汁を飲まされた経験を思い返していることが、和人達からも分かった。
「でもそれだけで本当に大丈夫ですか?」
優樹菜が冬美の横に出てきながら発言する。
「あっ、もちろん和人さんの実力を疑っているわけじゃないですよ!」
言った後に自分の発言が解釈によっては失礼だと気付き、慌てて訂正する。
「ただその、相手もそれは警戒してるでしょうし、その……」
「大丈夫だ、優樹菜。言いたいことは分かる」
既に、目にうっすら水の膜を張っている優樹菜を見て、和人も焦りを覚える。
「俺もそれは分かってるし、なによりもチーム戦だからな。火力ということではお前に期待しているからな、優樹菜」
「は、はいっ!」
和人の台詞は思いの外効果があったようで、優樹菜はいつものように花のような笑顔を見せてくれる。
「あの、良いかしら?」
蚊帳の外になってしまっていた冬美が、少し不機嫌な声で会話に入る。
「それで、そういう問題もあるからそろそろ個人練習以外もやるべきだと思うのだけれど」
「あ、ああ。そうだな」
実は前から個人練習以外の連携の練習もしていたのだが、最終日くらいもっと時間を取ってやるべきだということだろう。
遠くの方でまた情けない声を上げている浩太を呼び、数日前から練習している連携パターンを復習し始めた。
◇ ◇ ◇
「まだ残るんですか?」
デスクに座って、慣れない事務仕事をしている伊月に、恰幅のいい男性教諭が話しかける。
「はい。もう少しで終わるので」
伊月は腕時計を確認しながら、相手と目を合わすこと無く言った。
時刻は午後六時半。土曜日の勤務時間としてはかなり遅めだ。
学校に来ていたほとんどの教員が帰ったあとで、まだ学校に残っているのは生徒から指導をお願いされた者や、伊月のように翌日までに仕事を持ち越したくない者たちだ。
教員は生徒と違い自宅から通う事ができるが、如何せん交通の便が良い立地とは言えないので、職員なら無償で利用できる職員用の寮に泊まる人も多い。
伊月もその一人であり、それ故に遅い時間まで残っているのだ。
「そうですか。頑張ってください」
「ありがとうございます。そういえば、岩峰さんは自宅通いでしたね」
伊月は最低限の世間話として、そう問いかける。
目の前に立つ偉丈夫の男、岩峰優也は伊月と同じ一年生を担当している教師だったが、この年から学校に勤めることとなった伊月は同じ学年が担当の岩峰ともあまり会話したことはなかった。
ようやくパソコンから目を離した伊月と目があった岩峰は、その強面に微笑を浮かべながら答える。
「ええ。とはいっても、家で迎えてくれる人は居ませんけどね」
伊月の記憶が確かなら岩峰は今年で29歳。特に気にする必要は無いと伊月は感じたが、本人も笑っている辺り誤解では無いのだろう。
「岩峰先生なら、かなりモテるんじゃないですか?」
校内でも噂ですよ、と冗談交じりに言うと、身体同様ゴツゴツと引き締まった相貌を柔らかく崩す。
「ハハッ、そんな事無いですよ。三田村先生こそ、かなりお美しいですけど?」
人によっては不快感を感じるかもしれない台詞だったが、岩峰が言うと純粋に裏のない褒め言葉に聞こえる。それ程までに岩峰からは朗らかな好青年のオーラが出ていた。
「お世辞は良してください」
無論、伊月のこの台詞も本気で嫌がっているわけではない。
「私は生涯でまだ一人の男性としか付き合ったことがありませんよ。まあ、まだ関係が続いているので良縁に恵まれたのかもしれません」
「ほうほう。確かに三田村先生は身持ちが堅そうだ」
全く嫌味を感じさせない岩峰の声を聞き、人徳を感じるとともに長らく会えていないパートナーに思いを馳せた。
「岩峰先生なら、きっと素晴らしい人と出会えますよ」
伊月は今年で27歳になるが、伊月から見ても岩峰はかなり好印象を持てる。
「そうだと良いんですがねぇ」
筋骨隆々な身体から爽やかな雰囲気を撒きながら、岩峰は鞄を持って職員室から出ていこうとする。
「あ、待ってくれ!」
扉に体が半分隠れてしまった岩峰を急いで呼び止める。
「なんでしょう?」
急に呼び止められて、岩峰も驚いた様子で体を戻す。
「明日、うちのクラスの生徒同士の試合があるんだ。良かったら見に来ないか?」
思いもよらない提案に開いたままだった岩峰の口が、三秒ほどの空白時間をおいて言葉を紡ぎ出す。
「生徒同士の試合、ということは一年生同士ということですか?」
「ああ、そうだ」
質問に是と帰ってきて、岩峰は言いにくそうに口を開く。
「こういうのもなんですが、一年生同士の試合はなんとも……」
事実、余り口に出したくはなかったのだろう。台詞の後には、誤魔化しの愛想笑いが浮かんでいた。
岩峰が口に出さなかった部分も、伊月は理解していた。
つまり、「一年生同士の低レベルな試合は面白くない」ということだ。流石にそこまでは思ってないかもしれないが、そもそも試合と呼ぶに相応しいものになるかどうかさえ、疑っていることだろう。
岩峰は伊月と同じく特技科の先生でもある。黒紡に所属している他教科の教師ならいざ知れず、岩峰なら新入生の実力の平均を正確に知っているはずだ。それが、試合が成り立つレベルなのかどうかを。
しかしそれも仕方のないことだ。一年生はまだ入学してから2週間も経っていない。そんな彼らが試合をするなんて、車校に通って一週間の子供が突然スポーツカーに乗ってレースをするようなものだ。期待すること自体が間違っている。
しかし、だ。
「そうとは限らないぞ」
「え?」
岩峰は愛想笑いの顔を崩し、宙に浮かせていた視線を真剣な目をする伊月へと戻す。
「どういうことですか?」
「その試合はチーム戦なんだがな。なかなか面白い奴らが集まっているんだ」
「それは、経験者が多い、と……?」
「それは明日のお楽しみだな」
不敵に笑う伊月を見て、岩峰の胸が怪しくざわめく。相手の方が2つほど歳が下だが、岩峰は時々、伊月が自分より歳上なのではないかと感じることがあった。
「なら、明日を楽しみにしていましょう。丁度、明日は暇ですからね」
胸の内の迷いを振り払い、今度こそ岩峰は職員室から出ていった。
「あっ、言い忘れてました」
デスクに向き直ろうとしていた伊月は、岩峰の声を聞いて扉から上半身だけ見せている岩峰を見る。
「三田村先生はその話し方のほうが似合ってますよ」
岩峰はそれだけ言って体格に見合わず小さな足音と共に、廊下の奥へと消えていった。
「しまった……」
伊月は途中から自分が敬語を忘れていたことに、ようやく思い至った。
お読みいただきありがとうございます!
またまた前回の投稿からかなりの期間を空けてしまい、申し訳ありません。執筆のための時間を取るのが難しく、今後も不定期になってしまうかと思いますが、なるべくお待たせすることがないよう善処します。
次回は和人達と克己達の試合ということで、気合を入れて書きます。次が一章のラストになるかは分かりませんが、間違いなく山場なので、ぜひお楽しみに。
……しかし、果たして私は読者様が満足できるようなかっこいい戦闘シーンを書けているのだろうか。不安で胸がいっぱいです。
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面白いと思ってくれた方や、次の話が楽しみという方はぜひよろしくお願いします。
それではまた、次の話で!!