二章 2話
その日の放課後、和人は特に急ぐこともなく自身の荷物を纏めていると、ちょうど最後に昨日買ったばかりの本を鞄にしまったところで廊下が騒がしくなった。
頭を回すと、扉から出ようとする生徒たちの中から昨日初めて見たばかりの上級生の顔がのぞいていた。それもご丁寧にこちらへ笑顔と小さく振っている手を向けながら。
上級生、それも生徒会役員であり、なおかつそれを抜きにしても美少年といって差し支えない容姿のせいで目立つ彼は、当人の意志によらずかなり目立っていた。
無論、その注目は彼の視線の先にいる和人にも向けられる。
(これは悪目立ちすることは避けられないな)
悪意の無い顔を向けてくる上級生がこれ以上変なことをする前に和人は優樹菜たちに別れの挨拶をした後、速足で廊下に出た。
「わざわざ教室まで来てもらってすみません」
少しの皮肉を交えたセリフだったが、やはり目の前の上級生に気にした様子はない。
「いやぁ、昨日どこで会うか伝え忘れてたからね。じゃ、早速行こうか」
どこにですか、と質問する前に蓮はどんどん歩いて行ってしまう。
最初は生徒会室に向かうと思っていた和人だったが、蓮は生徒会室がある建物と繋がっている連絡路を素通りすると一旦外に出た。
だんだんと、和人の中で嫌な予感が膨れ上がる。
なんだか見覚えのある道順を歩いていると、気付けば二人の足は訓練棟の前で止まっていた。
今朝交わした会話が思い出す。
(まさか、な……)
「あの、そろそろなぜ自分を呼び出したのか理由を聞かせて下さい」
そう聞くと、蓮は心底意外だという様相で驚いた。
「なんだ、もう分かってるのかと思ってたよ」
「いや、いきなりほとんど何も言われずに呼び出されて、その要件が分かるわけがないじゃないですか」
和人は相手が上級生にも関わらず言葉に含まれた険を隠さずに言った。
「あはは、ごめんごめん。でもここに来たってことは、何をするかはもう分かったでしょ」
(昔から嫌な予感がしたときには毎回当たる)
「あの、ここまで来ておいてなんですが、別に戦うことを承諾した覚えは無いんですが」
「嫌なのかい?」
「ええ、まあ」
意外そうなそんな顔をされても困る、と和人はやんわりと断ったつもりだったが、蓮は和人の想像以上にしつこかった。
「まあまあそんなこと言わずにさ、別に減るもんじゃないんだし」
「いや減るものはあるでしょう。お互いの時間はもちろん、自分も勝てないとわかっている相手と戦いたいほどのもの好きではありません」
食い下がる連に対し、和人はあくまで拒否するスタンスで対応する。
「勝てないって思ってるのかい?」
「それはそうでしょう。確かに実力を認められるのは嬉しいことですが、あくまで自分は一年生。一方あなたは二年生で『最速の特殊兵』と呼ばれている程の実力なんですから」
「いやぁ、あの試合を見てもそうは思えないけどなぁ」
蓮は意味深な笑みを浮かべながらそう言う。
これでは埒が明かないと和人は話題を変える。
「そもそも演習場は……」
「大丈夫大丈夫、場所の確保はしてあるよ。生徒会役員って肩書は便利だからね」
だが、予約が無ければ使えないのでは、という台詞も先手を取ってかわされた。
「どうしても嫌かい?」
流石の蓮もここまで拒絶されて少ししょげた顔になる。
心優しい者ならここで罪悪感でも抱くのかもしれないが、和人はそんな心は持ち合わせていなかった。
「はい、私にメリットがあるように感じられませんから」
あくまで真顔で応える和人に対し、蓮はしょげた顔から思案顔になったり忙しなく表情を回すと、わざとらしく手を打った。
「ならメリットがあるならやってくれるのか?」
「……まぁ、そのメリット次第ですかね」
和人にとっては非常に癪に障るが、にやりと笑う蓮にそう回答すると一層笑みを深めた。
「もし俺と戦ってくれるなら今後は君、いや君たちが演習場を使うときに優遇を利くようになる。ってのはどうだい?」
「勝敗を問わず、ですか……」
「うん。さっきはああいったけど、俺も負ける気はしないしね」
悪くない、と思った。蓮の言い方が気に食わないところはあるが、和人はこの程度のことに突っかかったり、こんなつまらないところでの勝敗を気にするような精神はしていなかった。
「わかりました、やりましょう」
「よしきた! 早速付いて来てくれ」
蓮はそう言って意気揚々と訓練等の中へと入っていく。まるでおもちゃ売り場に向かう子供のようなその後ろ姿は、最速の特殊兵と謳われる上級生のものとは思えなかった。
『最速の特殊兵』。気にならないわけではなかったが、それと同時に今戦って大丈夫なのかという不安があった。
(もしまたあんなことが起きたら……)
ここでようやく、印南先生から告げられていたことを思い出した。
「仲嶋先輩、一つ伝え忘れていたんですが前回の一件から俺、じゃなくて自分が演習場を使うときには医務の印南先生らのモニタリングが付く必要があります」
昨日の朝にも言われていたことを今の今まで失念していたが、演習場を使うときにはしっかりと印南先生か三田村先生、そうでなくともその他の教師には必ず報告しなければならない。
通常の利用の仕方なら予約の時点で利用者の名前を記入するため、こちらから報告せずとも先生たちが勝手に対処してくれるはずだが、今回に関してはまず間違いなく問題行動になるだろう。
「そういえば伊丹先生がそんなことを言ってたな」
和人の台詞を聞いた蓮は、記憶の中を探っているような仕草を見せた後そう言った。
(事前に聞いてたのかよ)
と声に出したい衝動を堪えて、和人は学内でも使える生徒用端末を取り出す。
「あーあー、いいよいいよ。それは俺がやる。多分そっちの方が早いからね」
蓮は和人が端末を操作しようとするのを止めると、自分も胸元から同型の端末取り出すと慣れた手つきで操作しだした。
蓮が誰かに連絡を取っているであろう間、和人は手持無沙汰なまま一分程度待っていた。
「オッケー。先生に承認取れたから行けるってさ。どの部屋使うかも決まってるから付いて来て」
蓮に付いて行き、そのまま部屋に着いた流れでギアスーツの着替えまで済ませると、各々流れのままにカプセルの中へと身を沈める。
意識が遠のくのを感じた時には、いつもの白い部屋で覚醒した。
「さて、ルールはどうしようか」
和人と同様に既にギアを身に着けた蓮がスピーカー越しに問い掛けてくる。
「変に凝ったルールにする必要は無いでしょう。実戦形式でなくとも、実力を試すだけなら50mくらい離れた距離から始めればよいのでは」
和人はそう答えながら蓮のギアを注意深く観察する。
タイプとしては和人と同じライトタイプで装甲は和人並みに切り詰められている。ここまでは予想通りだった。しかし推進器の量と大きさで言えば和人のギアが勝っている。
最速の名前から自分以上に偏ったギアだと思っていた和人にとっては想定外のことだった。
(何か特殊な機構でもあるのか?)
だが、正面から見るだけではその全容を知ることは出来ない。
「実力が分かる前に終わっちゃったらあれだけど……。まあその時はその程度だったってことでいいかぁ」
蓮はどこまでが本気か分からない様子で応えると、軽やかに後方へと飛びしさった。ギア自体の重量の軽さも関係しているが、それ以上にギアを制御する魔力の扱いが桁違いに巧かった。その動きは浩太はもちろん、和人と比べても蓮のほうが滑らかだと言わざるを得ない。
「開始の合図はどうするー?」
「お任せします」
離れた位置にいる蓮の問いに和人はそう答える。
「了解! じゃシステムのほうでやっちゃうねー」
蓮はその場で軽く指を振った。フィクションなどで見られる忍者が印を結ぶかのような動作の後、そこにはSF作品に出てくるホログラムのような光の板が現れていた。蓮がそれを操作すると、演習場内に人工音声が流れ始める。
『10 9 8 ……』
10秒から始まるカウントダウンを聞きながら、和人は精神を集中させていく。
開幕に相手はどう動くか。それに対して自分はどう対応するか。相手の得意不得意に合わせた自分の立ち回り。
情報が少ない中でも和人は頭を回して戦闘の展開を考える。
『…… 3 2 1 0』
カウントが0になると同時に、和人と蓮は飛び上がった。和人は後ろに、蓮は前に。
お互い、距離を取りたい和人と距離を詰めたい蓮が起こした結果だった。
両者ライトタイプであるものの、蓮のギアのほうが軽量であるために加速は有利だ。和人のギアの方が推進器の方が多いものの、和人のギアについている推進器は加速や最高速を重視したものではなく、様々な方向に細かく推進力を調整できるように小回りを重視した設計だ。100mという短い直線の追いかけっこでは分が悪い。
和人は手に持つライフルを撃ちながら距離を取ろうとするが、蓮も軽量級ゆえの身軽さでそれを躱しつつ和人との距離をどんどん詰めていく。
ライフルを撃ち切った後は弾倉を直接触らず、グリップを握る手でマガジンキャッチを押して弾倉を落とし、反対の手で腰の辺りから次の弾倉を持ってきて銃下部に嵌め込む。ボルトリリースを押して弾倉から次の弾薬を薬室へと送り込み、再び構えなおす。
入学生とは思えない慣れた手つきの和人が再装填を行う際に晒す隙はほんの僅かではあるものの、それでも再装填の度に距離が確実に縮まっていく。
距離が近くなれば和人の弾も当てやすくはなるが、それは未だに攻撃のアクションを起こしていない蓮にも当てはまることだ。
(このままではジリ貧だな)
蓮が近付いてから何を狙っているのかが気がかりではあったが、とりあえずこの状態が長引くのはまずいと感じた和人は軌道を変える。今まで後方へと直線的に動いていた軌道を、若干弧を描くように変えた。
一時的に連との速度差が広がり急速に距離が縮まるが、クリーンヒットこそしないものの正確な射撃で蓮が急接近するのを防ぐ。
そのまま地面と平行な大きな円を描くように横移動し、さらに蓮に銃弾の雨を浴びせる。
(弾が尽きる前に削り切れるか……?)
予備の弾倉はあと二つ。目に見える程の損傷は蓮のギアには確認できないが、確実にダメージは入っているはずだ。
すると突然、蓮がおかしな挙動を取った。
今までは不規則な軌道で狙いをつけづらくさせていた蓮が、真横にスライドするように動き始めた。
和人は一瞬動揺したが、チャンスであることに変わりはない。
自身と蓮の速度を意識し、着弾までのタイムラグを予測して銃を構える。行動の思惑に不安を感じつつも、引き金に掛けた指に力を入れた。
(なっ……)
引き金が引かれ、解放された撃鉄が銃弾の雷管を叩いた時には、彼の姿は消えていた。後方に引っ張られるような衝撃で視界が揺らいだかと思うと、全身が浮遊感に包まれる。
和人が腰にある違和感と体が落下していく感覚で自分が斬られたことを自覚したときには、和人の意識は新しい体に移っていた。
自分が気付く間もなく、和人は蓮に敗北していた。




