一章 1話
プロローグ
目の前で父さんが倒れるのが見える。
誰かを庇うように。誰かを隠すように。
倒れる様子がひどくゆっくりに見えた。夕陽に染まる視界と相まって、まるでスローモーション映画を見ているようだ。
そんな父さんの向こうで、姉さんが吊るされていた。両方の手首を揃え、それを全身機械ずくめの男が片手で持ち上げていた。
姉さんが拘束から逃れようと身をよじるたびに、艷やかな長い黒髪が揺れる。
その男はもう片方の手に剣のような物を持っていた。それが今、姉さんの首元に添えられる。
そこから何が起きるのかを覚り、「やめろ!」と叫ぼうとした。
だが、空気の震えは喉から出ることはなく、体は重い何かに抑えられていて動かなかった。
姉さんの口が動く。顔も目もこちらに向いてはいないのに、自分に話しているのが分かる。
声は聞こえない。でも何を言っているかは分かった。
『逃げて』
口を閉じると姉さんは抵抗していた力を抜く。
最後に姉さんが微笑んだ様に見えた。
世界の流れが更に遅くなる。
男が笑った。
刃が肌に食い込む。
視界が、
赤く染まった。
1
2025年 春。
新たに入ってくる新入生を迎える準備のために、学校の敷地内を生徒、職員問わず多くの人が慌ただしく歩き回っていた。学友と談笑しながら歩く者もいれば、周りを囲う生徒の対応をしながら足早に過ぎ去る教師もいる。
この風景だけを見れば普通の高校と何ら変わりはない。しかし、この学び舎は一般課程の高校とはその学習内容に大きな違いがある。
ここは特殊兵養成学校。魔力を用い、個人で大型兵器級の火力を発揮する戦闘用スーツ『ウォーギア』を扱う兵士。そしてそれを整備する技術兵を育てる為の養成機関。
その、戦場に出る兵士を育てる学校に、今年も多くの「若者」たちが通う。
◇ ◇ ◇
桜が吹き荒れる道を、一年生を示す赤色の襟縁の制服を着た新入生達が何処と無く誇らしげな表情で歩いていた。
彼らの目的地は黒紡特殊士官大学付属高等学校、通称「黒紬高校」。
黒紡高校は国内にも3つしかない特殊兵養成学校、そのうちの一つ。
他の学校が全て国立であるのに対し黒紡は私立でありながら、戦力を育てる学校として国内に存在している。謂わば、国の機関でない集団が武力を保持しているようなものだ。何故それが許されているのか、黒紡がいったいどんな理由によって設立されたのかは、一般人には明かされていない。
しかし、私立なのに国から大量の補助金が出ている現状が、国も黒紡が国防の一環として重要視していることを示していた。
また、黒紡は各方面からも大量の支援金を集めており、その潤沢な資金によって学費はタダになっている。そして、黒紡高校は全寮制であり、その生活における光熱費、食費すらも学校が負担してくれる。そのため、貧しいながらもこの名門校を受けようとする者も多くいる。
しかし、国からの期待が大きい分だけ、そして人が多く集まる分だけ、本校に入学するのは難しくなっている。この道を歩く多くの新入生たちの顔が誇らしげなのも、これが一因となっているのだろう。
雪のように落ちてくる桜の花びらの中、将来なるであろう職業とは裏腹に笑顔の少年少女が歩いている。しかし、時折笑顔でも、不安そうでもない顔をしている人も少なからずいた。
◇ ◇ ◇
入学式に持ってくるよう学校から言われた必要最低限の荷物をまとめた手提げ鞄を持って、誰かと話すこともなく八神和人は一人で歩いていた。
これから寮で生活するにあたって必要な荷物は、既に学校の方へと郵送してある。今頃は、寮内の自分に割り振られた部屋の中に置かれていることだろう。
和人は笑顔ではなく、無表情で歩いていた。別に無機質なわけでも無く、普段町中で人々がしているような普通の顔だ。しかし周りが浮かれた雰囲気のなかだと、かえって目立っていた。
(戦場に出るための学校に行くというのに、なんで皆笑顔なんだ)
和人は周りの新入生たちが浮かべる笑顔にそんな疑問を抱いていた。
新しい生活が始まり、初めての寮生活に期待で胸を膨らませる。それだけでこれから始まる兵士になるための学校生活の不安を上回り、笑顔を浮かべられるだろうか。
別に現代の若者の兵士に対する価値観が変わっているわけでは無い。兵士に対する認識は特殊兵が戦場に現れる前と同じく、国のために働き、国民を守る人。そして人を殺さねばならない職業ということはわかっている。
もちろん、人を殺すという禁忌に対する忌避感が薄れているわけでもない。
しかし、現在戦争を行っている日本にとって、物資の少ない日本の防衛の要たる特殊兵への憧れは大きい。
それ以外にも、不安を隠す脳の防衛反応によって新入生たちは将来への期待だけをみて笑顔を浮かべていた。
現実逃避に似たそれに、和人含め、笑顔を浮かべている当人たちも気づいていなかった。
和人以外にも笑っていない人もいる。そのほとんどが自分の意志ではなく、親や周りの影響で仕方なく、もしくは強制的に入ってきた者たちだ。
しかし、和人はそういうわけではなく自分の意志でこの学校に入った。
だが、兵士になって
人を殺したい、という訳でもないのだから、笑顔を浮かべるなんてことはできなかった。
そんな意識からか周りの同級生と仲良くなりたいとも思わず、黒紡高校だけに繋がるこの路を歩き続けて十分程、誰にも話しかけず、そして誰からも話しかけられず歩いていた。
しかし、突然その静かな登校をする和人に声をかける人が現れた。
◇ ◇ ◇
「よーし、入るからには一位を目指す」
言葉が無意識に口から出ている事に気付かず、奈白浩太は朝から何度目かの決意をする。
「はぁ、早く着かねえかな」
事前に調べてあるのであと十分程で到着することは分かっているのだが、それで逸る気持ちを抑えれるという訳でもない。
それに、本当ならば今頃はもう教室にいる予定だったのだ。しかし、当日の朝に忘れ物をしたり、3人いる年下の兄妹達の世話をしていて、すっかり予定の時間をオーバーしてしまっていた。
朝から多忙ではあったが、今歩いているこの道は黒紡にしか続かない一本道。道を迷う事はないので、物思いに耽ったところで支障を来す物はない。側溝以外は……。
入学前から汚れてしまった靴で一定のリズムを刻みつつ、これから始まる学校生活を思いうがべていた所為で、後ろから近づきつつある足音に気づけなかった。
「おはよー、コーくん!」
「うおっ!」
突然背後から、しかも自分のあだ名付きで話しかけられて、浩太は飛び上がるようにして振り向く。
相手の顔を認識したところで、浩太は二度目の衝撃を受けることになる。
それは声の主の顔があまりにも可愛かったからだ。
大きくパッチリしたアーモンド型の目。つんと鼻筋の通ったキレイな鼻。形の良い桜色のふっくらとした唇。
それら全てがまるで神様が自らの手で作り出したかのようなバランスで成り立っていた。
それを縁取るピンクブラウンの髪を揺らしながら、艶やかなな唇が再度開く。
「なに?私の顔に桜でも付いてる?もしかしてコーくん呼び、嫌だった?それとも私の事忘れちゃった?花凛だよ、吾妻花凛」
思わず見つめていた視線を外しながら、浩太は記憶を呼び起こす。
「いや、何でもない……。にしても久しぶり、カリン」
頭が漂白されてしまうような美貌を前に、なんとかそれだけを返す。
「そうだね。幼稚園以来だから……丁度十年ぶりかな?」
そう言いながら小首を傾げる少女には、小悪魔的なあざとさがあった。
視線をずらすのに苦労しつつ、浩太は幼稚園以来会うことのなかった友人、吾妻花凛にまつわる記憶を必死に頭の中から探し出していた。
沈黙の時間に相手が疑問を持つ前に思い出すことに成功する。しかし、思い出せたその顔に浩太は違和感を感じた。
「あれ、幼稚園の頃からお前ってそんな感じだったっけ?」
記憶の中にある花凛は、女子としては短めな髪に小麦色に焼けた肌でボーイッシュなイメージだった。花凛とはよく遊んでいた仲だったのでよく覚えているのだが、それがどうしても目の前の少女と結び付かず、浩太は頭の中で自分の記憶違いを疑いだした。
「そんな感じ、って女子に失礼だよ。まったくもう」
「あ、ゴメン」
思わず反射的手を合わせる浩太に対し、花凛は笑いながら「冗談だよ」と返す。
「そっかぁ、確かにあの時と今では大分違うもんね。気付かなくても当然なのかも」
花凛は自分の過去を思い出しつつウンウンと頷いている。動作は幼いものだが、花凛がすると全てに蠱惑的な魅力が発生する。
「こんな感じにイメチェンしたのは小学四年生の夏休みだったかなぁ。確かにあの時のみんなの反応もコーくんみたいだった!」
「へぇ、そうなのか」
それはさぞかしクラスメイトも驚いたろうな、と浩太は顔も知らない花凛の同級生たちを想像する。
しかし、違和感が拭えたところで新たな疑問が発現する。
「でも、なんでカリンは俺の事分かったんだ?」
浩太自身は、花凛のように小さい頃から印象が大きく変わるようなことはないと思っている。しかし、それでも変化の大きい小学生から中学生を過ぎたのだ。後ろ姿を見ただけで判別するのは無理だろう。
花凛はそれを聞いて一瞬キョトンとしたした顔をしてから、すぐさま笑顔に戻る。
「それはねぇ~」
ニタニタとした笑みを浮かべながら花凛が浩太に近づく。
浩太がその不気味な笑みにたじろぐ間に花凛は浩太の背後に回り、背中に背負っているバッグの一部を掴む。
「これのおかげだよ」
「それって……」
花凛の手に握られていたのは、幼稚園の頃流行っていたアニメのキャラクターのキーホルダーだった。花凛に言われて、浩太はそれが幼稚園の頃に花凛と一緒に買ったお揃いの物だったことを思い出す。
もちろん今背負っているバッグは幼稚園から使っているものではないので、変えたタイミングで付け替えていたのだが、なんとなく付けていただけでそれにこんな過去があったことなんて思い出すこともなかった。
「うっわぁ、そうだったなぁ。確か仲良かった5人組で一緒に買ったんだったな。懐かしい」
「そうそう。皆でお母さん達にお願いしに行ったよね」
次々と思い出される過去の記憶を懐かしみつつ、疑問が完全には解消されてない事に気付く。
「でも、これだけでは分かんないだろ?」
確かにこのキーホルダーは現在売られていない(アニメもその1期分しか放映されなかった)。しかし、まだ付けている人だっているだろう。今回はたまたま合っていたが場合によっては見ず知らずの人の可能性もあるし、それこそ他の3人の可能性もある。
もしかしたらとても恥ずかしい思いをすることになっていたかも知れないというのに、花凛は特に気にした様子はない。
「それはまぁ、なんとなく」
「なんとなく?」
なんとなくで分かるものなのか、と浩太は困惑する。
「コーくんのことならきっと何十年経っても見分けられるよ」
にへへ、と効果音が付きそうな笑顔を浮かべ、花凛は体を斜めに倒す。
その男なら十人中十人が落ちてしまうような仕草を、浩太は幼馴染という事と、幼稚園時代の花凛を重ね合わせる事によって耐えた。
「それじゃまたね〜!」
そんな浩太を知ってか知らずか、花凛は先の方へと駆けていった。
話し掛けられたときも背後からだったので、後ろから走って(または早足で)来ていた事が分かる。だが、何故か精神的に疲れていた浩太には、花凛が学校に急いでいたことについての考えを巡らせる余裕なんてなかった。
結局、何故花凛がこんな学校に来たのか、という根本的な大きな疑問を質問することは出来なかった。
◇ ◇ ◇
「よっ、お前も黒紡に行くのか?」
突然声をかけてきた見知らぬ男子に対して、和人は振り返りながら呆れた声を出す。
「この制服を着ているからな」
当たり前じゃないか、というニュアンスを込め、ぞんざいにそんな台詞を放つと、相手もそれに今頃気づいたかのように目を丸くする。
そもそもこの道は黒紡に繋がっていない。必然、この道を通っているのは黒紡に用がある者しかいなし、制服を着ているならなおさら疑う余地もない。
こいつは馬鹿なのか、と和人は心のなかで思いながら目の前の男子生徒を見る。
「そっか、たしかにそうだな。オレってバカだな」
和人がそう思った瞬間に男子生徒がそれを口に出す。
(どうやら本当に馬鹿だったようだ)
和人が心の中で溜め息を漏らす。
「それで、初対面の俺に何の用だ?」
早くも面倒くさくなってきた和人がぶっきらぼうにそう聞く。
「ん、ああ。入学式の前に新しい知り合いの一人でも作ろうかなって思ってさ。あ、ちなみにオレの名前は奈白浩太っていうから、よろしくな」
浩太は自分の目的を告げたあと、思い出したかのように自ら名乗る。
初対面で既に馴れ馴れしく話してくる無遠慮さに呆れ半分で感心しながら、和人は浩太の体を観察する。
和人と比べるととかなり身長が低いように見えたが、それは和人が身長180cmを超えてるせいだ。実際には160cm中盤、平均より少し下程度だろう。身長的には普通ながら、体格はスポーツをやっていたことを伺えるような引き締まった体をしていた。
傍から見れば初対面の人の体格は観察している時点で和人もなかなか無遠慮と言えるが、本人達は特に気にした様子はなかった。
「いやぁ、人が見つかってよかったぜ。もうあんま人がいなくてさ」
浩太は和人の返事を待たずにさらに言葉を綴る。
花凛と話し終えたあと精神的に消耗していた浩太だったが、その後すぐに復活し、本人が言ったように学校生活をより楽しくしようと友達を増やすために人を探していた。そしてたまたま目に付いたのが和人だったのだ。
「俺の名前は八神和人。クラス分けもまだ分からないのにこんなことしてもあまり意味はないと思うんだけどな……」
和人は自分も名乗りながら、後半は本心が漏れていた。
「まあ、名前ぐらいは覚えておくよ」
「お、サンキューな、カズト」
いきなりの呼び捨てだが既にこの短期間で浩太がどういう奴か理解していた和人は、呆れはしても気にする様子はなかった。それに、そもそも和人自身そういった事を気にしない質だった。
「でもな、オレ、お前とは同じクラスになる気がするんだよ」
浩太が先程漏れ出た和人の台詞についてそう反応する。
「そうか。まあ、その時はよろしくな、浩太」
根拠のない浩太の勘に対して薄い反応をしながら、浩太、と呼び捨てで、名前を言う。
一種の意趣返しのつもりで呼び捨てにしたが、御生憎様、浩太も特段気にした様子は無かった。
「これからよろしくな、カズト」
それだけ言うと浩太は次の獲物を見つけたのか前方へと走り去っていった。背中越しに手を振るオマケ付きで。
(お前にはよろしくしたいとも、よろしくされたいとも思わないがな)
そんな事を思う反面、和人自身にも浩太の予測が当たるようなそんな予感がしていた。
和人が学校の門をくぐったときには、昇降口前のクラス表には人だかりができていた。現在時刻は集合時間の20分ほど前。丁度ピーク時なのだろう。
まだ時間的には余裕があるので、ある程度の人が落ち着いてきたら見に行こうと思っていたのだが、その人混みの中から赤茶っぽい髪色の男子、というか浩太が飛び出してきた。
人混みから少し離れた位置で背中を壁に預けていた和人を目敏く見つけると、浩太は脇目も振らずこちらに走ってくる。
「良いのか?他にも声を掛けた奴がいるんだろ」
お互いの距離がまだ5m程度の所で和人は浩太に言い放つ。
「それがよぉ、カズト。ほとんどのヤツが中学からの付き合いあるやつか、もうグループになっちまっててよ。入る隙が無いんだよ」
残り数メートルを駆け寄ってきてから、息を切らした様子もなく浩太は現状を伝える。
「そうか。お前には同じ出身校のやつはいないのか?」
「おう。実を言うと、俺の出身校はそんな良いとこじゃないんだよ」
そうだろうな、とは和人も流石に口には出さなかった。
たしかにここ、黒紡に入ってくるような者の大半は元から名門と言われる私立学校に通っている事が多い。既に同じ出身校同士が集まり、一般学校出の浩太のような者があぶれてしまうのは頷ける話だった。
「そういうお前はどうなんだ?」
浩太が流れ的には当然とも思える反問をする。
「俺は……」
しかし、頭の中でその質問が来るであろうことは分かっていたにも関わらず、和人は答えに窮してしまう。
「……中学の時には友達が少なくてな」
「へえ、そうなのか。でも良かったな。高校ならもうオレって友達ができたぜ」
誤魔化すには苦しい間があったが、浩太はそれを友達がいなかったことを告白するのが恥ずかしかったからだと思ったようだ。
和人が、友達ができた事に安心していると思っている浩太は得意気な表情を浮かべていた。
「おっとそんなことよりも、お前のクラス分けも見てきたぜ」
安心したのも束の間、続く浩太の台詞に和人は嫌な予感がする。
あの人混みの中で全てのクラス表を見るなんて至難の業だ。自分の名前を探すだけでも大変だろう。
ならば、自分以外の他人の名前を見る機会なんて無理に探そうとしない限り自分のクラスの名前だけ。
顔がニヤけている浩太の顔が、既に結果を物語っていた。
「オレと同じ1−Cだったぜ」
ほとんど条件の揃った推測の通りだったにも関わらず、和人は落胆の表情を隠せなかった。
「おいおい、それはないだろ、カズト。本人が目の前にいるってのによ」
その顔を見た浩太が至極当然の反応を返す。
「いや、すまん。よく考えれば別にお前と同じクラスになったからと言って変わらないな」
和人的にはうるさい浩太が近くにいる生活を想像してなんとなく嫌だったのだが、性根の悪い奴らよりかは、浩太は何倍もマシなクラスメイトとなるだろう。
「まあ、別にオレも良いけどよ……。よく考えれば、ね」
「それは本当に申し訳ない。俺が考え不足だった」
柄にもなく拗ねたような表情をする浩太を見て、和人が本心からの謝罪を言葉にする。
「ハハッ。ジョーダンだよ、ジョーダン。そんなことよりもさっさと教室行こうぜ!」
「ああ」
昇降口へと背を向けてしまう浩太に生返事を返しつつ、和人も壁から背を離す。
すっかり浩太のペースに飲まれてしまっていたことに和人は気付いていなかった。
1-Cの教室に入ったときには、既に教室内には数人規模のグループで固まって話し合う集団がいくつかあった。
まだ教室にいなければいけない時間まで十五分あるので、廊下に集まっている集団もちらほら見かけた。
和人と浩太はそういったかたまりを横目に、教室の扉に貼ってあった紙に指定された席に着席した。
教室内には横六、縦五の計三十個の座席があった。
なお、机は鉄パイプと木で作られた質素なものから、映像型授業にも対応できるように数年前から一部公立学校でも採用され始めたモニター付き端末内蔵型の、据え置きタイプのものになっている。
椅子の方もそれに伴い、合成樹脂のフレームに座面と背もたれ部分にクッションが付いた物に変わっている。
席の並び順はよくある五十音順ではなく、一見するとランダムにしか見えない席配置だった。
浩太は左から二番目の前からも二番目。和人は左から一番目の最後列、窓際の隅だった。
和人が席に着いた時には、既に隣の席には女子が座っていた。
髪型は肩にかかるくらいの位置で切り揃えられたボブ。顔立ちは整ってはいるが目を引くような美貌ではない。可愛いというよりかは美人といった顔立ちだ。
無論、「整っている」の時点で十分すぎるほどに恵まれた美貌なのは間違いないだろう。
そして、その女子の目には黒いアンダーリムの眼鏡が掛かっていた。
机の内側の側面にあるフックに持っていた手提げ鞄を吊るしたところで、浩太の方から和人に寄ってきた。
「なぁ、この席順ってなんなんだ?」
「さあな」
さっきまで自身が考えて分からなかったことを聞かれたので、和人もそう答えることしか出来ない。
「今まではは普通に五十音順だったはずだ。少なくとも去年は」
和人が自分で調べた限りそのはずであった。
「ふーん、そっか。ま、あんまカンケー無いか」
和人からすると浩太の反応は薄いものだったが、それに何も言わないのは和人自身も浩太と同じように思っているからだろう。
和人と浩太がその後も話をしている間に、教室に着々と人が入ってくる。集まって友達と立ち話をしていた人たちも、徐々に席に座りつつあった。
浩太が自分の席に戻ったのは集合予定時間の5分前。
流石に多くの者は5分前集合が出来ていたが、一番右前の席とその最後列だけ空席のままだった。
なお、一番右側で最後列の席は、座席表に名前が無かったのでおそらくそこはそもそも座る生徒がいないのだろう。
よって、現在教室にはこれから一年学びを共にするクラスメイトが29人中28人いることになる。
和人の席は一番後ろの隅なので、クラスメイト全員を見渡すことができる。もちろん、後ろ姿のみだが。
和人の目がそこに長い黒髪の生徒を見つけた。
脳が、勝手に幻視を見せる。
赫い夕陽。
乱れる黒髪。
遠い記憶の人影。
和人は頭を振ってその幻影を振り払おうとする。
その時、教室の引き戸が開く音が教室に響き、世界が揺らぐ。幻視が続いた時間は体感ではほんの十数秒程度だった。
現実を写しだした視界で和人はスーツ姿の長身の女性が、長い黒髪をなびかせながら教室に入ってきたのを見た。
おそらく、このクラスの担任教師だろう。
和人は、また幻影に捉えられる前に視線を外した。
時計を見ると、既に集合時刻を過ぎていた。女子生徒の後ろ姿を見たのは集合時刻の5分前だったはずだが、いつの間にこれだけの時間が過ぎたのだろうか。
それに集合時間にはチャイムがなるはずだが、それにも気付かなかった。
「よし、1名を除いて全員いるな」
教壇にたった教師が口を開く。
乱暴な口調ではあったが、女性としては低い声とその長身に非常にマッチしていた。大声を出しているわけでもなく、普通に会話しているかのような声だったが、その声は不思議と教室中に良くとおった。
声につられて思わず黒髪の女性教師を直視してしまったが、もう幻影が忍び寄ってくる気配はなかった。
教師はそのまま手に持っているクリップボードを見ながら教室を見渡す。
最後に右手に巻いた腕時計を確認すると、クリップボードを教卓に置いて目線を前に向ける。
和人は端にいるので視線が合うことはないのだが、何故か見られていると思った。他の生徒も同様かは分からないが、教室にいる生徒全員が背筋を伸ばして教師に注目する。
「1人居ないが先に自己紹介させてもらう。私が一年間このクラスを受け待つ三田村伊月だ。呼び方は三田村先生でも伊月先生でもなんでも構わない」
先生はそう言いながら後ろの電子黒板に自分の名前を書く。乱暴な書き方ではあったが、書かれた文字はとてもきれいなものだった。
電子黒板用のチョークを置き、再度口を開こうとした所で、廊下側からドタドタと足音が聞こえてくる。
足音はこの教室の前で止まり、扉に手を掛けたのが気配で分かる。扉には小窓が付いているものの、嵌っているガラスがフロストガラスのせいでその奥に誰がいるかはわからない。
和人は副担任か、それともまだ来ていないクラスメイトのどちらかだと予測を立てた。
果たして、引き戸の向こうから現れたのは制服を着た絶世の美少女であった。
教室中のほとんどの生徒が息を呑んだのが分かった。そこに男女の差はない。
「遅れてすみません!」
美少女がその容姿に相応しい可憐な声で謝る。
ペコリと腰から体を折って頭を下げるその様子は、この学校には似つかしくない小動物のような可愛さだった。
和人は先程見た座席表の記憶を引っ張り出し、吾妻花凛という名前を思い出す。
「用があって遅れることは聞いていた、別に謝る必要はない。それよりも早く席に着け。席は分かっているだろう」
教室内で唯一平静を保っていた先生がまだ廊下にいた少女、花凛に声をかける。
花凛は短く返事をしてから入り口から最も近い自分の席に座る。
「もう一度言うが、私がこのクラスを受け持つ三田村伊月だ」
先生は花凛が荷物を机に掛けるのを待ってから口を開き、今度は先程よりも短縮した自己紹介をする。
「そして、今後の予定についてだが、まずは机の端末を起ち上げてくれ」
そう言って先生は見本となるように、実際に教卓の端末を起動する。
とはいっても、何かしらスイッチがあるわけではなく、普段は机の天板と一体化しているモニターを起こすだけで勝手に起動する。
教卓のものは生徒の机に比べ大型ではあるものの、形を含め使い方は同様のものであった。
それを見て和人も自分の席のモニターを起こす。
ウィーンという作動音がしばらくなったあと、画面には自身の顔と、名前や学籍番号などの情報が載ったプロフィールが映し出された。
「今画面に映っているものは、このあと配る学生証に書かれている。訂正が必要だったら教えてくれ」
和人以外の生徒も、この言葉に声を上げることはなかった。
「よし、なら次だ」
先生は教卓の端末を操作する。それと同時に、生徒全員の端末の画面が切り替わる。当たり前ではあるが、端末は教師側から一括管理できるようだ。
「このあと三十分後には講堂に移動してもらい、そこで入学式が始まる。その後は一旦教室に戻ってから諸々連絡事項を伝え、昼前には寮に行くことになる。昼食もそこだ」
和人の目の前の画面には、先生が言ったことと同じスケジュールが並んでいた。
先生の声だけではなく、視覚情報としてもスケジュールを記憶に刻んでおこうと画面を見つめる。満足して顔を上げたとき、先生は腕時計を見ていた。
「まだまだ移動時間には時間があるな。各々自己紹介でもしてもらおうと思ったが、それは入学式が終わったあとでも良いだろう」
問い掛けるような文面ではあったが、口調的にはただ確認を取っているだけのように聞こえた。実際、生徒は誰ひとりとしてそれに声を上げるようなことは無かった。
「よし。ならば軽く特殊兵、いや『魔力』に関する講義でもしようか」
しかし、続く言葉に生徒の中で軽いどよめきが起こる。
ここにいる生徒は、魔力に関する話など小学校や中学校の時点で何回も聞いたことがある。しかし、いざ特殊兵を育てる現場で聞くとなると、やはり特別ななにかといものがあるのだろう。……先生の右手薬指に着けられた、小さな石が嵌っている指輪のせいもあるかもしれない。
どよめきが落ち着くのを待ってから、先生は口を開く。
「まずは、魔力の歴史についてだ。第二次世界大戦以降、各国が自国の復興と新たな産業の発展に躍起になっているとき、魔力という概念が発見された。その未知のエネルギーを実用化しようと人類は模索し、結果として魔力は存在しても、魔法は存在しないことが分かった」
先生はここで一度話を区切った。
「ただ、人類はそれでも諦めなかった。ただの動力源以外の使い道として、なんとか魔力を活用しようとした。そして発見された唯一の方法、それのための道具がこのマナリングだ」
先生は言い切ると同時に右手を手の甲が見えるようにしてこちらに向ける。遠慮がちだった生徒の視線が、一気に一点へと集まる。
「まあ、ここら辺は何度も聞いたことあるだろうが。……何だお前ら、実物は見たことなかったのか?」
後半の台詞は、生徒の視線が自分の左手に釘付けになっている事に気づいたことによるものだ。
大半の生徒は話で聞いたことがあっても、実際に見たことは無かった。特殊兵の特異性の大きな要因であるそれに、どうしても視線がいってしまうのは致し方ないことであった。
「まあ、後々お前らにもそれぞれのマナリングが配られることになる。じっくり見るのはその時でもいいだろ」
そう言って先生は右手を教卓の下へと隠してしまう。
生徒の間に落胆の雰囲気が漂う。実際に声を出した者もいたのだから、それだけ憧れが強かったということだろう。
「はぁ……。一回ぐらいは実演してやろう」
自分の右手に全員の視線が集まり愉快ではない顔をしていた先生だったが、生徒のその反応を見て可哀想に思ったのか、そんなことを言った。
生徒にとっては願ってもないその言葉に、多少の歓声が出てしまうのも、これもまた無理からぬことであった。
教室内の反応を見て先生の顔にも「仕方ないな」と言わんばかりの優しい笑みが浮かぶ。
「とはいっても実際に『ギア』をこんなところで出す訳にはいかない」
生徒も流石にそれは分かっていたようで、この発言に落胆の表情を見せる者はいなかった。……浩太以外は。
先生は振り返り、後ろの電子黒板からチョークを手に取る。前に向くと、今度はチョークを握った右手を前に突き出すように伸ばす。
すると、その右手の直下10センチの当たりに、唐突に緑色の光の円ができる。光の円と言っても眩しく輝いているのでなく、まるで光の粒子が固まっているかのように見えた。
先生は手の甲が上に向けられた右手を開く。もちろん、手の中にあったチョークは重力に引かれ下へと加速していく。
若干の回転が混ざりつつ落ちていくチョークは、先端の方から光の円へと飲み込まれていく。そして時間にしては一瞬で、チョーク全体が飲み込まれた。
しかし、何秒経ってもチョークが地面と当たる音は聞こえない。
「この様に、人類はマナリングを用いて物質を人それぞれがもつ異空間、通称マナゾーンに送ることができる」
先生の説明は続いたが、初めての「目の前でものが消える現象」それこそ本当に魔法のような現象を見た衝撃から、生徒は立ち直れていなかった。
ここで一旦先生は全員が付いてこられるように間を開けた。
「そして同様に、このマナゾーンに入った物質を取り出すことが出来る」
続きの説明をしながら、今度は右手の手のひらを上に向ける。
全員が予測したように、その直上10センチ程度の所にまた光の円が生まれる。そして、そこから自然な挙動でチョークが落ちてきた。
「このマナリングと、魔力で動く戦闘スーツ『ウォーギア』を使って戦う兵士。それが、これから君たちが目指し、ここで学ぶことになる特殊兵だ」
はじめまして、本書章人<もとがき しょうと>です。
まずは、数ある中から本作品を読んでいただきありがとうございます。楽しんでいただけたでしょうか?
本作品を読む時間があなたにとって楽しい時間であったことを願います。
さて、本作品についてですが、私の初投稿作品となっています。拙い点など多くあったと思いますが、楽しんでいただけたのなら幸いです。また、本作品のタイトルである『Black Birds』についてですが、タイトル回収にはもう少し時間が掛かります。
というように、読めば分かったかとは思いますが、このお話はまだまだ続きます。これはまだ「1巻」の「1話」です。果たして「1巻」が終わるのにすら、どれ程時間がかかるか分かりませんが……。
しかしとりあえず今は、一区切り付けて書き切れたことに胸を撫で下ろしております。完全な素人ではありますが、自分のやりたいことはやれました。自分的には満足いくものが仕上がったと思いますが、どうでしょうか?
私の感想ばかりでもあれですし、内容と、この後の展開についても少し。
まずプロローグに関してですが、別で投稿しようとも思いましたが、詳細に描きすぎるのも野暮ったいと思ったので、今回のように冒頭にちょこっと収まるようにしました。このトラウマの詳しい情景については今後、随時掘り下げていきます。
反省点としては、プロローグは短く収まりましたが、本編はそうも行かなかったことです。予定では最初の方だけをさらっと書くはずだったのですが、「一話だから世界観についていろいろ出るところまで」と書いていたらこれだけ長くなってしまいました。
今後の2話やそれ以降もこれぐらい長くなるかは分かりませんが、話自体はすぐに投稿できるよう頑張ります。
さて、ながながと語ってしまいましたがここらで終わりにします。後書きは本当なら1巻の終わりで書こうと思っていましたが、初投稿なので一話目で書かせて貰いました。
本作品が面白いと思ってくれた方、これからが楽しみという方、またはそれ以外の方も、ぜひブックマーク登録と高評価、そして2話をよろしくお願いします!