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どんぐりの命  作者: 夙の三郎
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茂平の心


茂平は五歳になった辺りから本格的な訓練を受け初めたが、実質は訓練とは程遠い虐待そのものだった。

殆ど加減のない打撃を休む事も予告もなく続けざまに打ち込まれると人間は痛みを回避する為に逃げるものだが、これは第一段階ですらない、彼ら独自の体術訓練の初歩なのだが、問題は茂平そのものよりもとらに起こってしまった。

茂平は産まれた時そのまま無表情に近い顔で十に一つは避けるようになっていたが、躱す技術が磨かれるごとに打撃の速さはどんどん増していく… とらは茂平が死ぬまで永遠に殴られ蹴られるのではないかという恐慌に駆られた為に忍びの者として在るまじき行動に出てしまった。

「あれじゃあんまりです!もうちょっと待ったって下さい… まだ茂平は小さい子供です。」

とらの真っ当な意見を自室で聞いてるうちに老人=棟梁の顔は限りなく優しい相貌へと変わっていった。

自らとらの横へにじり寄り、優しく肩を掴みながら "可哀想なとら" を労る。

「何も心配する事あらへん。皆やっとるこっちゃ。お前も覚えあるやろ?ちゃーんと加減させとるから安心せぇ。」

「せやかて… 」

「儂ぁ嘘つかへん。お前は永いこと独り身やったさかい、物事を大袈裟に感じとるだけや。」

棟梁は片膝になるととらの背に廻り、両肩へ手を伸ばしながら更に睦言のように声を絞って言葉を続ける。

「な? 安生するさかい気ぃ揉まんとき。」

「へぇ… 」

返事をした瞬間に天井が回転し辺りは真っ暗になった。

とらは不思議に感じたが、音まで何も聴こえなくなると茂平の呆漠とした顔が暗闇から此方に近付いてきた。

しかし、それも竹を折るような乾いた音と共に全てが闇の奥へと消え去った。



あらぬ方向に首を向けたとらが村外れに埋められたのを知る者はごく僅か。



そして、茂平は増々他人に心を開かなくなった。

それはとらが居なくなった事に起因しているのは間違いないが、棟梁は寧ろ歓迎すべき事態と見ている。

忍びの者としての資質を考えれば至極当然であり、任務に差し支えるであろう人としての感情を持ち過ぎてしまっては忍者などという裏稼業は成立しえないからだ。

例え剣術で勝ったとしても、表の世界でなら名誉はあるが裏にはない。

"試合い" などという概念など金輪際この身の上にも下にも置かないのだ。

だからこそ表を仕切る人間たちを裏から支える存在としての価値があった訳だが、その表の人間たち… 報酬にしても、商人なら払いは綺麗なのだが、武士階級は分割でしか支払わないのが常だったし、場合によっては一方的に反古される事も稀では無かった。(家そのものが滅亡してしまい支払いが不可能になったケースもある)

「せやから儂らは目の前の仕事を全うせにゃならん。それが次への信用になり、銭になるんや。」

一つのしくじりが任務の失敗を招き、終には組織の崩壊へと繋がる事態だけは絶対に阻止しなければならない。

「もうアカンと思たら死ね。そう思う事で相手の隙を誘え。いざとなったら腕や脚の一つもくれてやれ!その間に逃げろ! 」

知り得た情報や依頼人と敵対してる人物の命の奪取は何よりも優先するし、己が命よりも任務と自分たちの組織の固持が全てなのだ。

だが…

「ええか、儂らの "てっぺん" は天子様(天皇)や。銭くれる客も大事やが、それを忘れたら儂らはただの盗っ人や人殺しと変わらへん。」

これは一族のみならず、山に住まう者どもや諸芸を売る者どもも含む、いわゆる公界往来人くかいおうらいにんとしての矜持を言ったまでなのだが、まだ幼い茂平には何の事やら理解の外。しかし朧気ながら棟梁よりも上の存在が居て、そこに自分たちの "何か" が大事に仕舞われているという事は辛うじて理解したらしい。

ともかく、周りの普通ではない大人たち相手に心を閉ざし続けてる茂平の意固地なまでな精神は、忍びに忍んで事を為す者としての能力を見事に備えていると謂えた。

「ちょっと早いけど部屋へ移ろか」

15歳以下の子供ばかりで集団生活する《部屋》と呼ばれる施設への移動が決まったのは9歳の春先、未だ朝晩は冷え込む時節だった。

















数年経ち、成長期の只中で他の子供たちの身長が五尺(150cmほど)や五尺五分を越える中、茂平だけはそれに届かない小さな体のままであるのが本人だけが知る秘かな悩みだったのだが、棟梁は『ええやないか』と歯牙にもかけない態度を通した。

"寧ろ好都合"

極度に小さいとなると大きな不利となりえるが、少し小さいぐらいなら人や物に潜むのも難なくこなせる利点があるからだ。

そして、精通による体の変化が起きる頃には流石に茂平は周りの人間に対して少しは心を開いているフリぐらいは出来るようになっていた。

しかし、それは何も訓練でシゴかれるのを免れたいとか村に馴染もうとかいう健気な心境によるものではなく、単純に同じ歳頃の女の子に好意を寄せるようになったからだ。

彼女の名はよね

木刀などではなく真剣を用いた実戦形式での訓練が開始された夏、小刀を手にし強い眼差しで組手相手を見据える姿に言葉にならない羨望を越えた想いに囚われた。

好意を寄せたのは体の変化と関係なくはないが、なにせ産まれてより異能の里しか知らない茂平にとって世間の当たり前や男女の機微など分かる筈はない(まだ教育は施されていない)し、体の奥から突き上がってくる衝動への対処抑法など理解できない。

それでも… ある夜、遂に堪えきれず寝床を抜けだしてよねに近付いてみた。

よねは余程に疲れていたのか、口を薄く開いたまま、起きる気配も見せずに他の女の子たちと並んで熟睡していたのだが、その寝顔に吸い寄せられるように茂平はもっとよねに近付くと彼女から甘い香りが発せられている事に気付いた。

(なんや、これは?)

確かめるべく顔を寄せると発生源が開いた口からだという事が判った。

(えぇ匂いや… )

初めて嗅ぐのに懐かしい気もする不思議な芳香は茂平の心を鷲掴みにし掻き回しもした。

桃源郷という言葉はまだ知らなかったのだが、茂平は鼻一つで確実に隠されていたその地へ心を飛ばされてたのだ。

しかも心の昂ぶりは増すばかりで出口を求めて苦しんでいる!

すると褌の中で膨張し切った一物が既に発露し萎えだしている、少し冷えた感覚を股間に感じて茂平は夢の世界から引き戻されてきた。

(うわっ)

強い未練を残して逃げる自身の滑稽なまでな姿など想像できないほど狼狽え当惑したが、達成感とも謂える高揚した気分を味わえたのも事実だ。

未だ脈打つ未熟な一物が持ち主へ肯定するかの如く頷いている。

裏の川で濡れた褌を洗いながら先程の事を頭に思い返してみると、まだ少し興奮が奥深くから湧き出してくるのが実感できた。

(…。)

下半身まる出しで夜中に川で褌を洗ってた姿を警備に叱責されたのすら何の苦にもならないぐらい、これまでに感じた事のない幸せな気分だった。



その翌年、年増のさねに抗議も虚しく快楽の園へと堕とされた日、隣の部屋からよねの嬌声が発せられた時の放出が茂平の淡い想いに別れを告げさせた。






















「ぐへっ!」

突然、訓練の最中に年老いた男が子供たちの輪の中へと数人の男たちの手で放り投げられた。

既にかなり痛め付けられていて、至る箇所から出血しており、息も耐えだえで男の命も残り僅かな事を示していた。

「よう聞け!こいつは儂らを売りよったんや!」

"売り" … 敵へ内通したと断定された男は体の痛みの為か、はたまた子供たちに対して恥ているのか、少しヨレた姿勢で横臥しかかっている。

そした子供たちを束ねる威三と呼ばれる男は普段からの大声を更に倍して大見得を切っただけでなく、双腕を左右へ拡げ、少し顎を突き上げながら、まるで歌舞伎役者かのように場を()め回した。それはこれから始まる事への布石としては充分すぎるほどの効果があった。

そして、勿論それは作為的な行為だった。

「ええか! 仲間を裏切った駄賃はこれや‼︎」

言うなり間を置かず、右脛辺りを抜き打ちの早業で切断した。

「ぎゃあぁぁ!」

食う為に動物を屠殺する事はあっても人間相手は初めて目撃する。

しかも鮮血を撒き散らした男の腫れ上がった顔をよく見れば、なんと見知った村人の弥太郎だった事から子供たちの動揺は一気に膨れた。

「静まれ! …おいっ茂平、こっち来い。」

突然名指しされるも怯まず足を前へ出したのは厳しい訓練の賜物か、しかし心は暗澹たる予感に襲われ鬱そのものだった。

しかもストレスからなのか、下腹辺りが急激に収縮しだし便意を催したが、まさかこの場でそれを言える訳にもいかず歯を喰いしばり耐えた。

「やれ、まだ生きとるぞ。そいつのせいでアブ八と熊左が死によったわ。他にも怪我人がおって絶対に許されん!」

顔ぐらいは知っている人間の名前が次々出てくると男に対して "裏切り者" としての実感が少しずつ湧いてくるが、やはり恐怖心は簡単に抑えられるものではない。

「どないした、お前も "売り" か?」

促され仕方なく弥太郎に近付くと、遂に叱責が飛んできた。

「なんで手ぶらや‼︎」

その言葉は茂平に産まれてから感じた事のない強烈な意識の萎縮を齎したのだが、また新しい何かを醸成させる作用を強く果たした。

一度仕舞っていた直刀(忍者専用の反りなし刀)を背から抜くと下腹を押さえながら、擦り足でにじり寄った。

「お… お前… 」

茂平と視認した事で弥太郎は自分の終わりを "陽が沈むように" 受け入れたが、その意識とは別に涙が溢れ出てきて止まらない。

何かを言おうとするのだが、全く言葉を紡げずに項を垂れると茂平の短い足と直刀だけが視界の全てを支配した。

逆らうように見上げると、何を考えているのか判らない、いつもの呆けた少年の顔が無言の圧力となって自身の運命に蓋をする。

「 …お前」

なんとか言葉を一つ搾り出した瞬間に胸へ直刀が突き立ち吐血した。

茂平の顔に血しぶきが飛んでくるが、それも構わずに刀を抜いて様子を見ると弥太郎はガクッと前のめりになった。その背中に再び直刀を突き立てて実技と弥太郎の生を終わらせた。



流石に周りの子供たちのショックは大きかった。

知っていたとはいえ目の当たりにした光景をすぐには受け入れられずにいたのだが、やはり茂平同様あからさまに態度に出すような真似はしなかった。

それよりも『ついに来たか…』という感じの方が強かったのだ。

たまたま茂平が扉を開いただけで、ひょっとするとその役目は自分だったかも知れなかったと悟り、やはり鬱に陥ったが別の新しい何かが自身の中に醸成されていく感覚に囚われ、それに浸っていた。

「今日の稽古は終わりや」

威三の言葉で子供たちは広場から散ったが茂平の目は何が気に障わったのか、まだ弥太郎の "その後" を追っていた。

そして教官たる大人たちが無造作に袋詰めにし、荒縄できつく縛るその様子を観察していて卒然ととらの姿が何故だか浮かんできた。

(そうか… )

涙は出ない。

事実を受け入れた心は少しだけ傾いたが、すぐに元の呆漠とした表情となり "忍者になる為に拾われた" 者へと戻った。

もうとらもよねも景色の一つとしてしか見えないし、自分の命が何なのかなど知らないし、また知る必要もない。

下腹の痛みは消えた。

雲一つない抜けた青空の下、茂平と名付けられた惨めな存在は成長期の只中で忍者として本当の第一歩を踏み出そうとしていたのだ。








茂平は特殊な人間ではない。

感情表現が乏しい以外は他者と何ら変わらない普通の人間なのだ。

その人間が《人でなし》の世界へと足を踏み出す。



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