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どんぐりの命  作者: 夙の三郎
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茂平の始まり


ドングリは、一部または全体を殻斗(かくと)に覆われる堅果であるが、これはブナ科の果実に共通かつ、ほぼ固有の特徴である。

耐陰性の強いものを除き、日の当たる方向へ傾く性質があり、それを目指して樹木の根元を曲げてでも伸びていくが、そうなると修復させるのは難しい。
















天文九年(1540年)

国中からの寄付によって後奈良天皇の践祚(せんそ… この10年前に後柏原天皇の崩御で即位となる筈だったが、朝廷の財政難により延期されていた)が明けて、正式に新たな天皇として即位し四度目の春=現代の冬が過ぎた頃、尾張の国で農民の女が一人の男児を産み落とした。

先に長男がおり、後に女児どもを幾人かこの世に送り出してはいたが、どうも女は子共に対して深い愛情を持てない性質たちだったようで、野良仕事もそこそこに村内や行きずりの男と奔放な時間を楽しむ癖があった。

それが少し歳の離れた夫の癇に触って離縁寸前にまで紛糾する事たびたびだったのだが、夫はある日の昼に突然死んだ。

まるで卒中でも起こしたみたいに「はっ!」と声を発したかと思うと、手にしていた粟の握り飯を潰しながらあぜの上で果てた。

現代社会でも決して楽ではない農作業の担い手かつ大黒柱を失った一家が路頭に迷うのは避けられない必然かと思われたが、そこで発揮されたのが母=女が持つ逞しいまでの生存本能であった。

喪も明けきらぬ頃に ”そこへ通りがかった” 男が子供らの新しい父親として一家へ転がり込んで窮地を救う形となったのだが、最初こそ優しく接してきてた男は慣れてくると残忍な本性を隠そうとはしなくなった。

番(つがい=セックス)の邪魔だと言って、まだ産まれて間がない赤子を小突いたのを見た時に、奔放な女は少しだけ母親としての気持ちを取り戻して冷静に今後の事を考えてみた。

(このままやと危ういな… )

世間体などではなく、ただ純粋に現状を分析すると先に産まれた長男は成長するにつれて利発な面を見せ始めていた事もあり、大事な男手として残したい。

猿というか鼠のような醜い顔が我が子ながら、不憫よりも不快な気分にさせられるのが珠に傷ではあったが… 。

この先、夫が遺した産まれたての子を捨てる事で(新しい男との間に子共やわ作る事を見越して)家そのものを新しくするのは悪くないアイデアのように思われた、正に渡りに舟が頼みもしないのに向こうからやってきた。

夫が戦役として徴兵された挙げ句に大ケガが元で早逝した親類が子を分けてくれないかと話を持ちかけてきたのだ。

女は胸を撫でおろした。

これで我が手を汚す事なく、この面倒な存在を放出できる! と。

(ごめんなぁ… 死ぬよりかマシやろ?)

子には聞こえぬ声を心の中で何度も呟いたのだが、それが誰の為であったのかは本人しか知り得ない。

因みに利発な長男は十五の歳を越えた頃に家を出た。

遠江国(静岡県浜松市)辺りで武家に奉公しただのと風の噂に聞こえた頃には「そんな子も居たねぇ」などと嘯いたとか。


世は戦乱と疫病が蔓延り、京の都でも市中であるにも関わらず行き倒れや腐乱した死体が放置されたままという有り様を憂いた後奈良天皇が祈祷に明け暮れたと謂われた時代。

その民を慈しむ心を嗤うかのように、この二年後にはポルトガルから鉄砲が伝来されて、この世界の凄惨さは洗練されていく事となる。








なんだか良い匂いがする "ふっくらしたもの" が唇にあてがわれるが、それを吸うとひどく濃厚で甘美な汁が空いた腹を充たしてくれる。

腹が痛くなり、その後に尻が濡れて気色の悪い状態になっても、何故だか知らない内にすっきりしている。

(悪くないな… )

言葉にすれば簡単なものだが、彼の意識が現世に目覚めてから感じたのはそれだけの事だ。

たった、それだけ。

しかし彼は満足していたし、それ以外それ以上を望むという考えは持っていなかったのだが、何の予告もなしに全てが崩壊する日が訪れてしまったようだ。

それまでに聞いた事がない荒んだ音が連続して起こったかと思うと、何か硬い場所へ落ちてしまったらしく全身が痛い。

恐らくは始めて感情に起因する悲鳴を上げたのだが、いつもは柔らかい音で包んでくれる存在がいつまで経っても自分の許へ来ない状況と嗅いた事のない匂いが場を包み、彼の心をある方向へと押しやった。

(考えたらアカン… )

どうやら、理由はよく判らないが "世界" は激変してしまったらしい。

彼は心の扉を閉じ、厳重に施錠した。

自分でも開けられないようにカギは捻って壊しておいたが、その効力は如何に。

そんな彼の魂を試すかのように、気が付けば周りは火の海だった。


そして、いつも優しく接してくれていた存在となる若い女は中年と若者二人組の男たちにくみ敷かれ続け苦悶の血と涙を流している。

男二人は余程に女体から遠ざかっていたのか、小屋は火の勢いに押されて壊れかかっているというのに厭きもせず交替で凌辱し続けていた。

そんな時…

傍らの小さな赤子が一つも愚図らず、ただ不思議そうにこちらを眺めていたが、その姿が気に入らないらしく原因を作った一人が汚れた口を開いた。

「なんや、気色悪い餓鬼やな。」

三度目の放出で女から離れた若者が不機嫌そうに洩らす。

「んなモン放っとけ。」

二度目となる女への侵入で頭と下半身が一杯な中年男は小さく無害な存在への関心など微塵もない。

あるのはただの肉塊へと堕ちていく腕の中の女… しかし彼女の反応は体から魂が分離したかのように小さくなりだしていた。

「なんや?」

唐突に中年男は女から離れると忌々しげに彼女の顔に唾を吐いた。

「もう死ぬんかい!」

明らかに筋違いな怒りを命の灯が消えかかっている存在へ容赦なく投げ付ける性根は年来の行動の成果と謂えるものだが、欲望が少しだけ軽くなった若者は畳み掛けて場を更に陰惨なものへと変える。

「下がアカンのやったら上を使こたらえぇやろ。」

言うなり、大の字に倒れている女の頭を無造作に片手で持ち上げると中年男に向けた。

そして、彼女の口の中へ指を突っ込み拡げて顎を逆の手で支える… その滑るような動作は二人が何度も同じような事を繰り返してきた事を確かに物語っていた。

「もうえぇ。シラけたわ。」

殴り過ぎたんやな…

当然ながら女を窮地に至らしめた事への悔恨などではなく、自分たちの快楽を削られた事への抗議であり、またあるであろう "次" への反省だったのだが、その対象となった彼女は時間の経過と共に男たちの声など届かぬ世界へと旅立とうとしている。

若者が女の頭から手を放すと継ぎ接ぎだらけの板敷きが大きな音を立て女の頭を受けとめた。そして、その途端に赤子の癇にも火が点いた。


ぎゃぁぁぁ…


「やかましい餓鬼やな!」

構わず斬ろうと抜刀した若者を中年男が落ち着いて制止する。

「やめとけ!放っといても死ぬわい。」

火の勢いは今や小屋の全てを焼き尽くそうとしている。

「せやけど煩いわ!」

「どうせワシらは出ていくんや。誰かに留守番してもらわなアカンやろ。」

その冗談とも何とも取れない会話の終わりと共に女の命も琴切れた。

その寸前に意識を振り絞って子供へ目線を送ろうとしたが、それは叶わなかったのだが、それを待っていたように中年男がせっつく。

「おい、行くで。」

「せやかて… 」

幾つもの命を享楽の末に奪った若者は明らかに血に酔っていたが、年長者への義理からか刀を鞘に収めると不承不承ながら後を追って小屋を出た。

陰惨な出来事とは全く関係ない晴れた初秋の空の下を二人の男は軽くなった足取りに任せて国境いへと向かう。

雲一つない出鱈目な空の下。









小屋は半壊した辺りで鎮火した。

元々は旅人や野良仕事を終えた百姓の為に作られた簡素な出来だった為に隙間が多く、それが結果として火の伝わりを少し遅延させたのが全壊を免れた理由のようだ。

すると、まだ煙を吐き続ける床下から場にそぐわない隠居姿の老人が焼け焦げた板を破って外へ出て来た。

(なんちゅう奴らや… )

一瞬の後、慈悲めいた心は紙のように捨てられ、何の感情も持たなくなった眼で小屋を見渡した。

少し探ると "探しモノ" は簡単に見つかったが、それはやはり泣きもせずに我が身に落ちてきた木片の陰で此方を不思議そうに眺めていた。

(そら斬りたなるわな… )

あんまり可愛げがなさ過ぎる仕草が "逸した人間" をその気にさせてしまう不条理は嫌というほど見てきたが、この赤ん坊は度が過ぎていた。

しかし老人にその気はない。助ける気も…

「!… お、お前 !? 」

本当は捨て措くつもりだったが、赤子のおしめから匂う生きてる証しは老人を刮目させるには充分な威力があった。

「根性があるのか… 」

自分に起きた不遇を理解できないのは当たり前だが、排便するという事は無表情な相貌とは裏腹な精神構造を顕しているとも謂える。

成人であれ幼児であれ、体の基本的な構造はどちらも全く同じであり、それを司るのは心というか魂の領域なのだ。

老人は考えを改める事とした。

(仕込むか… )

やや腹立たしい気持ちを抑え、おしめ替わりとなる布きれを見つけて赤子の尻を覆うと外へ出た。

そして赤ん坊を小脇に抱えると、老人とは思えない足取りで通常の道ではなく小屋の後で鬱蒼と繁る雑木林へと向かった。

その速さで踏みだすと、やがて疾走に変わった。

(おもろい(面白い)奴やのぉ)

樹上を跳びながら改めて子供の顔を眺めてみるが、相変わらず呆漠としていて感情の機微など一つも見受けられない。

(拾いモンかもな… )

部下から連絡を受ける為に潜んでいた村外れの休憩小屋で、突如くり拡げられた鬼畜の戯れを床下でやり過ごさねばならなかった苛立ちは漸く霧散しようとしていた。

経過し過ぎた時の流れは放った駒たちが土俵から弾かれた事を意味している為、これ以上留まる事は危険の拡大に繋がるのだが、もう今はそこに想いはない。

「むっ !? 」

自分の腕の中から再び匂ってきた生きてる証しが老人を思念の世界から無理やりに引き摺り出し、現在の最優先事項の履行を促していた。

(ふざけた奴やのぉ… )

途中の川で赤子の尻を洗うと握り飯を包んでいた竹革を新たなおしめの代用とし業務遂行を果たした。

パシッ!

右足首を掴んで逆さにし、敢えて強めに尻を叩くが、やはり反応は鈍い。

「ええか、命令するのは儂や。これきりやぞ。」

老人と赤子の姿は再び樹上に戻った。

(使い処を考えなアカンな… )






宵闇が空を包む前に二人は地図に載らない村へと辿り着き一息ついた。

老人は失敗に終わったであろう作戦の練り直しに腐心する傍ら、赤子の面倒を見させる女を呼び寄せた。

名はとら

夫は数年前から任務途中に音信不通となっており、事実上の寡婦となって長すぎる余生を送っていたのだが、突然の送り物で塞がっていた女としての矜持が甦ったようだ。

そして彼女は還って来ない夫の名前を赤子に付ける事によって自身の心の在り方を内外に昂然と示したのである。

「アンタは今日からウチが育てたる。今日から母ちゃんやで。」

赤子をあやしながら自身に言いきかせるよう語りかける姿は母そのものだが、消えた夫との間に子はない。

それが故に折れそうになる心を必死になって繋ぎ留める日々を過ごしていたのだが、その彼女は確かに母となった強い自覚と義務感で再び生きる目的を見つけたのだ。


突如手にした事象が人間の生きていく張りになる事を老人こと村を治める棟梁は知っているが、敢えて今は何も言わない。

(どうせ "大きゅう" なるまでや… )

彼らの村で大きいとは十歳にも満たない辺りを指し、その頃から少しずつ親から切り離され、ありとあらゆる術を第二の本能となるよう仕込れていくのだ。

従って親の干渉は邪魔でしかないし、村はそうやって有力者たちの信任を得て生き延びてきた。これからもそれは変わらない。

世の中が変わらない限り…








鎌倉幕府が瓦解し始めたのを皮切りに名だたる戦国武将達たちが策略と血みどろの戦いを繰り広げていた頃、一つの命が捨てられ、一つの命が拾われた。

"茂平" と名付けられた不憫な魂はそうとは知らず、乳の出ないとらの胸を無心で吸い続け自分の居場所を束の間だけ取り戻したようだ。

依頼された仕事の為なら相手が誰であれ遅疑なく殺す集団の一員になった事で彼の人生は始まった。

運命は彼に生きるよう働きかけ、彼は無表情で応える… ある意味、どちらにも好都合な状況と謂えたのだろう。


茂平は乳の出ない胸をまだ必死で吸い続けている。




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