7 味方
難産でした。
少し短いです。
「目を冷やしたほうが良いな。少し待っていろ」
涙が落ち着いていたころ、クラーク様は図書室を出て使用人から何かを受け取って戻ってきた。
「これを目に当てておくといい」
手渡されたのは冷たいタオル。
「ありがとうございます」
上を向いて熱のこもった目元をタオルで覆うと、ひんやりとして気持ちいい。
「聞いても良いだろうか」
「何でしょう?」
クラーク様の声がして、タオルを下ろそうと居直る。
「そのままで良い。……何故、ご両親はフローレスを、その」
珍しくクラーク様の声が迷っている。
私を傷つけまいとしているのが分かった。
「私、似ていないのです。父にも母にも」
父も母も、金髪で目の色は青。アイリスもそうだ。しかし私は茶髪に緑色の目。そして顔立ちも、私はどちらにも似ていない。
「それで、私は不義の子と。母は否定していたらしいのですが、私の顔を見ると辛くなるのでしょうね。もう随分と両親の顔を見ていません」
使用人の会話から得た情報だ。両親は仲睦まじい夫婦と評判らしい。見合いで出会ったらしいが互いに好き合って結婚したと。そんな時生まれたどちらにも似ていない子のせいで不義を疑われた母を、父は庇ったらしい。私の姿を見ると母が不安定になるからと、父は私と母を遠ざけた。その後生まれたアイリスは両親そっくりの可愛らしい女の子で。三人はきっと絵に描いたような幸せな「家族」なのだろうと思う。
「何だ、それは……。ただの他人の邪推でしかないではないか。そんなもので、何故フローレスが傷つけられねばならないのだ」
声だけで分かる。クラーク様がとても憤慨している。
「クラーク様はお優しいですね」
「優しいのは君の方だ、フローレス」
――私は優しくなんかない。ただ、弱いだけだ。
クラーク様の言葉の意味が分からなくて自嘲気味に笑ってしまう。
「買いかぶりすぎですよ」
「そんなことはない。考えてもみろ、君はまだ8歳の小さな子供だ。それなのに自分が辛い環境にいても誰を責めることもしない。……その優しさが、私には悲しい」
私の熱で温まったタオルを下ろしてクラーク様を見ると、眉根を寄せて歯を食いしばっていた。
「クラーク様?」
「――よく、頑張ってきたな」
クラーク様の瞳が細められる。
「これからは、もう我慢しなくていい。一人で全部抱え込まなくていい」
そう言うとクラーク様はぽん、と私の頭に手を置いた。
「あんまり〈良い子〉でいるな」
その声があまりにも優しくて。心に積み上げていた言葉がぽつりと零れる。
「……私、本当はずっと寂しくて」
「あぁ」
「頑張っていればいつか、認めてもらえるのではないかと。でも」
クラーク様はじっと私の言葉を待っている。
「両親に認めてもらうためだけに頑張っているのでは、いつまで経っても弱虫な子供のままな気がして。私、早く自立した大人になりたいんです」
「フローレスは本当に聡明だな。だが」
クラーク様はくしゃりと私の頭を撫でて軽く息を吐いた。
「そんなに急いで大人にならないでくれ。私を置いて行ってくれては困る」
「私がクラーク様を置いていくだなんて、そんなこと……」
きっと何年かかっても追いつけないほど前を、クラーク様は歩いているというのに。
「ならば約束だ、フローレス」
黄みがかった緑の瞳がすっと細められる。
「ともに前へ進もう。だからもうしばらくは、子供でいてくれ」
それから暫くして、打ち合わせを終えたグリフィス先生が図書室にやってきた。
「課題はできたかのう」
いつもの如く、グリフィス先生の課題は一筋縄でいくわけもなく。クラーク様と協力してどうにか仕上げられた。
「ほうほう。流石だな、よくできておる。もうちっと難しくしても問題なさそうだ」
そうしてグリフィス先生はニヤリと悪戯っぽく笑った。
「先生は案外スパルタですよね」
「何を言うカメリア。お前たちが退屈しないようにという師の心遣いではないか」
そう言ってグリフィス先生は豪快に笑う。
「お前たちの力を過小評価するほうが失礼であろう? 案ずることはない。お前たちは確実に力をつけているさ」
グリフィス先生は楽しそうに目を細める。
「さぁ、そろそろお暇しよう。行こうか、カメリア」
先生に促され、図書室を後にする。
いつものようにクラーク様にお見送りしてもらい、クラーク邸を出る直前。
「フローレス」
「はい」
呼び止められて振り向く。
「私はいつだってフローレスの味方だ。それを忘れるな」
クラーク様の言葉に、屋敷に戻らなければならない心の重さがすっと軽くなった。
「はい!」
今度は心からの笑顔で、返すことができた。
屋敷に戻って、いつものように自室でクラーク様に借りた本を読む。
――子供でいてくれ。
クラーク様の言葉がこだまする。
早く大人にならなければと、そればかり考えていたけれど。子供でいてほしいだなんてそんなこと、初めて言われた。何か、くすぐったい。
それに、私の味方でいてくれると言ってくださった。私の醜い心を知っても、失望しないと言ってくださった。その言葉がどれほど心強かったか。
「グリフィス先生にクラーク様。クラーク侯爵家の皆様も。素晴らしい方々と出会えたのはもの凄い財産ね。きっとこれから先も、いろんな方と出会うのよね。……生きてて良かった」
ふっと息を吐く。
今もまだ、お父様とお母様に愛されたいと寂しくなるけれど。それでいいのだと、今なら思う。無理やりこの心に蓋をしなくてもいいのだと。私はまだ、子供でいていいのだと。
自分を大事に思って良いのだということを、自分のことを大切にしてくれる人たちのお陰で知ることができた。
――勉強以外でも、私は色んなことを学んでいけるのね。
誰かが私の味方でいてくれる、その事実が私に前を向かせる。