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凛と咲け  作者: 三郷 柳
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5 心の声に蓋をして

ジェンダーやフェミニズムについて少々。


 先日、クラーク侯爵邸へお邪魔した日から数か月経ち。私の日常に新しいルーティンが加わった。週に一度のグリフィス先生の講義のほかに、二週に一度クラーク侯爵邸にてクラーク様と共にグリフィス先生の特別講義を受けている。

 それから、クラーク邸にお邪魔するたびに借りる本の感想などをクラーク様と話す時間も、私にとって心躍る時間になっている。

――毎日がこんなに楽しいだなんて、幸せね。

 ここ最近は、寂しさで心が凍てつくことがなくなってきた。誰にも会わない日も、言葉を交わすことのない日も、クラーク様からお借りした本を読んでいれば一人ではないような気がした。

「これは民俗学の本ね。挿絵が多くて読みやすいわ」

 表紙を捲ると、様々な国、時代の民族衣装の挿絵が載っている。

 読み進めていくと、各時代や地域で様々な文化的慣習があるのだとわかる。

「一妻多夫の文化圏もあるのね……」

 我が王国では基本的に一夫一妻制である。愛妾をおく貴族も稀にいるが、倫理的ではないというのが世間一般的な感覚だ。

 指で文字を撫でるように辿っていく。

「女性が権力を持つ時代もあったのね。少数民族に多いみたい」

 今の王国の構造でトップにいるのは男性ばかり。文官や武官にも女性はいるが、圧倒的に少ない。国立研究所の女性職員もまた同様である。働く女性が少ない国なのだ。貴族のみならず、平民の間でも女性は結婚し子を産み家庭を切り盛りするもの、という風潮がある。

――当たり前と思えばそれまでだけど。正直言って、窮屈よね。

 男性も女性も、その存在に上下はないはず。能力に差はないはず。女性だって、働いて成果を立てている方もいる。国益を考えるなら、優秀な人材は適材適所に充てたほうが良いと思うのだが。

「まぁ、そう簡単な問題ではないわね、きっと」

 何でもかんでも合理的にとはいかない。人には感情があって価値観があって、それは不変なものではないけれど普遍化された価値観はなかなか変わらない。偏見もきっとそう。

 私もきっと、親が決めた相手と結婚する。貴族として、伯爵家のために与えられた役割を果たす義務がある。

――前へ進みなさい。

 グリフィス先生の言葉を思い出す。

 前ってなんだろう。それが新しい時代の価値観なのだとしたら、女性にも人生の選択権が与えられるのだとしたら。私は一体、何を選ぶのだろう。


「クラーク様、こちらの本、ありがとうございました。とても興味深かったです」

 クラーク侯爵邸の図書室で、先日借りた民俗学の本をお返しする。

「フローレス嬢は民俗学にも関心があるのだな」

「はい。時代や場所で変化していく慣習や価値観を見ていると、これから先の未来にも今とは異なる社会的な価値観が生まれるかもしれないと。そう考えるととてもわくわくいたします」

 興奮気味に話す私を、クラーク様の黄みがかった緑の瞳が見つめている。

「そうだな。東の国の言葉に『諸行無常』というものがある。あらゆる事物は絶えず変化し続け、決して永遠のものではないという意味だ。この国の在り方もきっと変わってゆくだろう」

 クラーク様も心なしか楽し気に、この国の未来を見ている気がした。

「お前たちが変えていくのだ。人が変われば国も変わる。その逆もまた然り。変わらぬものなどない。お前たちのような若者がいつの世も未来を創るのだ。決して簡単なことではない。だからお前たちは学ぶのだ」

 グリフィス先生の深い青が私たちを包む。

「学んで、そうして前に進め。それがまた歴史になろう」

 先生の大きな手が私たちの頭を撫でた。

 今はまだ、ただ学ぶことの楽しさに夢中だけれど。私の学びがいつか、誰かの役にたったら良いな。

 未来に起こりうる可能性に心躍らせながら、今日もまた講義を受けるのであった。


 屋敷に帰ってきて、自室で今日借りた本を開きながらグリフィス先生の言葉を反芻する。

――もし、私が誰かの役にたてるような人間になったら。 

 お父様の目に、私が映る日は来るだろうか。

 どれだけ勉強に逃げ込もうと、心の中の臆病で寂しがりな私が離してはくれない。

 本当は忘れてしまいたいのだ。両親に相手にされない自分のことなど。自分の心の声も、聞きたくない。けれど、耳を塞いだって内側から言葉が溢れるのだ。いつか押し留められなくなって外に零れ出るのではないかと不安になる。

――愛されたい。私を見て。名前を呼んで。抱きしめて。お父様、お母様。私を愛してると言って。

 内側を巡る言葉が膨らんで、声になりそうになって口を覆った。

 外に出してしまったら、駄目になりそうな気がする。気付かないふりをしていた自分に気付いてしまう。臆病で寂しがりなカメリアが私のすべてを支配してしまうような、そんな気がする。

「大丈夫よ、カメリア。寂しくなんてないわ。苦しくなんてないわ」

 締め付けられる胸を押さえて、呪文のように唱える。零れる涙には気が付かないふりをして。

――弱虫な私を、守ってやれるのは私だけなのよ。

 私は可愛いくてか弱いお姫様なんかじゃない。王子様なんて現れない。そんな、他力本願な生き方など望まない。強がりだ負け惜しみだと言われようとも。

――生きていかなきゃならないのだもの。

 ただ救いを待っているだけの女の子では、きっと生きてはいけないわ。

 女の子は可愛くなければならない。おしとやかで慎ましくなくてはならない。男性の庇護を受けなければ生きてはいけない。

 そんなのは、嫌。

 若くて美しい女の子も、いずれは大人になる。『諸行無常』なのだ。永遠の若さも美しさもありはしない。いつかなくなるものを武器に闘うなんて、心もとない。ならば初めから一人で立てる女になろう。もっと勉強して知識をつけよう。いつか、誰かと結婚することになったとしても。捨てられることに怯える必要なんてなくなる。

――強くなろう。

 愛されたいと泣き叫ぶ自分を、抱きしめられるくらい。

 寂しさも苦しさもまとめて受け止めて。どんな状況でも自分の足で立っていられるくらい。

 ひりひりと痛む心をギュッと押さえ、零れる涙もそのままに眠りについた。



 

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