34 二度目の春
春が来た。学園に来てから二度目の春だ。広場の噴水前に集まる新入生を見ていると、去年のことが昨日のように思い出された。
クラーク様と再会して、サリバン様やオーレリア様と出会って、ソフィアや殿下とお友達になれた。レイン先生が実在するのだと感動したことも、つい最近のことみたいだ。
「お姉様!」
「入学おめでとう、アイリス」
「ありがとう、お姉様」
金髪碧眼の美少女、アイリスは注目の的だ。周囲の生徒たちの視線が釘付けである。当のアイリスは気付いてないのか気にしていないのか、華麗にスルーしている。
「アイリス!」
突如聞こえた声に振り向くと、そこにはイーデン様がいらっしゃった。
「イーデン様。お久しぶりです」
「あぁ、入学おめでとう」
イーデン様は愛おし気にアイリスを見つめている。私の存在に気付いていないのではないかと思うほどに、その瞳にはアイリスしか映っていない。二人だけの世界が完成してしまっているが、周囲の注目を浴びまくっているので慌てて二人の間に割り込んだ。
「まぁ、イーデン様。妹のためにありがとうございます。アイリスもとても喜んでいますわ」
周りに聞こえるように少し声を張る。
イーデン様の視線が痛い。私も邪魔をするのは心が痛んだが、放置するわけにもいかなかった。
――良くない噂が出回れば、傷つくのはアイリスだもの。
去年の私のように、廊下を歩くだけで陰口を浴びせられるような生活をアイリスにさせるわけにはいかない。
「おい。お前の話など――」
「ほら、アイリス。授業に遅れるといけないわ。一人で教室に行けるかしら?」
「はい! 大丈夫ですわ、お姉様」
素直なアイリスは自信たっぷりに頷いて教室棟へと歩いて行った。
その後ろ姿を見守っていると、グイと強い力で手首を引っ張られた。
「どういうつもりだ、お前」
「何のことでしょう」
アイリスが去ったとはいえ、まだ人目を集めている状況。声は届かないだろうが、揉めているなどとは思われないよう、にこやかに答える。
「まさか、アイリスに嫉妬でもしているのか?」
「はい?」
「みっともない真似はやめろ。アイリスに何かしたら絶対に許さないからな」
地を這う声で吐き捨てると、イーデン様は去って行った。
とんでもない誤解を生んでしまったようだが、解く手段もない。周囲に異変を悟られないよう、微笑みは崩さず私も広場を後にした。
「嘘、あの方が?」
「全然似てないな」
「ほら、やっぱりあの噂は本当だったのよ」
「あぁ、不義の子ってやつか」
入学式から数日経ち、学園内は新入生の美少女の噂でもちきりだ。言うまでもなく、アイリスのことである。そして、噂はもう一つ。
――カメリア・フローレスはやはり不義の子であった、ね。
それは驚いたことだろう。学園中が噂をするような絶世の美少女の姉が、こんな地味な女だということに。そこに去年の噂が合わさって、私の出生に関する根も葉もない話が出回っている。中には、私がアイリスを虐げているなどという噂まである。
「まぁ、そんな噂が? ですがそれは事実ではございませんのよ。残念ながら」
私を見ながらひそひそと話す集団に笑顔で答える。するとバツが悪そうに教室へと戻って行った。
「何なの、あれ」
「最近また妙な噂が出回っているな」
ソフィアと殿下が不愉快そうに眉をひそめる。
「私は気にしないから良いのだけれど、妹の方が心配だわ。一年生の方にもきっと広がっているわよね……」
アイリスが中傷で傷ついていないかが気にかかる。直接様子を見に行きたいけれど、余計に話が捻じれそうで行動に移せないでいた。
「カメリアが良くても私が許さないわ。どこの誰よ、こんな噂流しているのは。見つけ出して懲らしめてやるわ」
「全くだ。まさかミラーではないだろうな? 一度締めておくか」
「いいですね、そうしましょう殿下」
二人の目は笑っていない。このままだと本当に殴り込みに行きそうな雰囲気である。
「二人とも落ち着いてください。私は二人が怒ってくれるだけで救われているのですから」
「フローレスは寛大すぎる」
「そうよ。許しすぎるとつけあがるわよ」
二人は納得がいかないという様子である。私のためにこんなに怒ってくれているのかと思うと、不謹慎ながら嬉しくなってしまう。
「ふふっ」
「何でここで笑うのよ~」
「ごめんなさい。嬉しくなってしまって」
呆れるソフィアと殿下をよそに、頬は勝手に緩む。
「フローレスは変なところで呑気だな。少しでも困ったことがあったらすぐに私達に言うのだぞ? 危ないことに巻き込まれる前に」
「遠慮なんかしたら駄目だからね、カメリア」
「えぇ。二人とも、ありがとうございます」
教室に戻る道すがら何度も念を押される。心配をかけてしまっていることは申し訳なく思うが、どこかくすぐったくて温かい気持ちになるのだった。
直に飽きてやむだろうと放置していた噂は数週間たっても元気に学園内を飛び回っている。傷つくことはないが少し耳障りではある。それもあってか、最近のマイブームは人気のない校舎裏の芝生で本を読むことになっていた。日当たりも悪いしベンチも設置されていないこの場所には人が来ることはない。学園に通う子息令嬢は芝生の上に直に座ることなどないからだ。
今日もまた、芝生の上に座って本を開く。最近読み始めたのは異世界を舞台にした恋愛小説。今までは恋愛小説を読んでも共感できなかったが、今は見事にハマってしまっている。
――誰か来る……。
サクサクと芝生を踏む足音がして、咄嗟に木の陰に隠れた。隠れる必要はないのだけれど、体が勝手に動いていた。
「大丈夫か、アイリス」
「はい、私は平気です。助けてくれてありがとうございました」
そこにいたのはアイリスとイーデン様。イーデン様がアイリスを慰めていた。
「あんな奴らの言葉に耳を貸す必要はない。アイリスに嫉妬しているのだ。アイリスは何も悪くない。何も心配しなくていい」
そう言ってイーデン様はアイリスの頭を撫でた。アイリスの目からはぽろぽろと涙が流れる。その姿すら、息をのむほどに美しく。我が妹ながら、俗世とはかけ離れた存在なのではと思ってしまった。実際、そうなのだと思う。アイリスは人の悪意に触れたことがない。それ故に、素直で無垢なのだ。
「私がアイリスを守る。アイリスを傷つけるすべてのものから」
既視感を覚えた。どこかで見たようなシーンだと。
――あぁ。お父様とお母様だわ。
まるで騎士とお姫様のようだ。けれど、どこか病的に感じてしまう。騎士はお姫様の目を覆う。汚いものを見ないように。騎士はお姫様の手を取る。小さな石にも躓かないように。
――そしてお姫様の目には騎士しか映らなくなる。
頬を染めてイーデン様を見つめるアイリス。きっともう、戻れない。皆が傷つく結果が見えた。
――アイリスがこれ以上敵意を向けられないように立ち回らなくては。
愛する妹と婚約者の幸せそうな顔を見て、決意を固めた。




