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凛と咲け  作者: 三郷 柳
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31 休暇明け


 長かった夏期休暇も終わり、ようやく学園に戻ってこられた。寮の自室がこんなにも安心できる場所になっていようとは。荷解きを終え、コロンとベッドに転がる。実に波乱の夏期休暇ではあったが、収穫も多かった。お父様に屈しなかったし、バートやグリフィス先生に守られていたこと、ずっと愛されてきたのだということを知った。自分の中の、大切な気持ちも自覚できた。この気持ちを糧にすればきっと、これから待ち受けるどんな理不尽にも負けないような気がする。

 翌日、秋学期が始まり賑やかさを取り戻した廊下を歩いていると、殿下とソフィアに声を掛けられた。

「おはよう、カメリア。久しぶりね」

「おはよう、ソフィア。殿下も、お久しぶりです」

「あぁ。秋学期もよろしく頼む」

 二人とも元気そうで安心する。三人で並んで歩いていると、『あぁ、戻ってきたのだ』という実感が湧いてくる。

「休暇は楽しめた?」

「えぇ。少し長すぎるとは思ったけれどね」

 苦笑する私にソフィアと殿下も頷いている。

「そうね。後半なんて早く学園に戻りたいって思ったもの」

「そうだな。レイン先生やサリバン先輩に振り回されると分かっていながらも、そう思ってしまうのだから怖いものだな。あまり長い休暇というのも」

「そうですわね……けれどまぁそのおかげで怪我も完治しましたし、結果的に良かったのかも――」

 気を抜きすぎて余計なことを口走ってしまい慌てて口を押えるも、二人の耳には既に届いてしまっていて。

「怪我? 何かあったのか、フローレス」

「い、いえ。何も」

「カ~メ~リ~ア~?」

 視線を逸らすもソフィアに顔を覗き込まれ、言い逃れできなくなってしまった。

「ちょっとした騒動を巻き起こしてしまって。お父様の逆鱗に触れたというか、何というか」

「お父上に?」

 殿下の気遣わし気な瞳に申し訳なく思う。

「えぇ、まぁ。でももう完全に治りましたので! 問題はありません」

 笑って答えると、ソフィアがぎゅっと抱き着いた。

「わ! どうしたの、ソフィア」

「問題なくない。カメリアが傷つくの、私は嫌よ。傷つけられることに、慣れてしまわないで。……いいえ、違うわね。慣れてしまうくらい、カメリアは頑張ってきたのよね」

 そう言うと、ソフィアの抱き着く力が強くなる。

「ソフィア?」

「カメリアの強いところも、繊細で優しいところも、私は大好きよ。私がカメリアのことを好きだということ、忘れないでね」

 ソフィアの言葉にハッとしていると、殿下も重ねて仰った。

「そうだな。相手が誰であろうと、フローレスを傷つける人間を私達が許さない。フローレスが怒らなくても、私達が怒る。フローレス、君は〈傷つけられていい人間〉ではない。私達の〈大切な友人〉だ。大切に、愛されて然るべき人なのだよ」

 学園に入学して、気付いたはずだった。自分を大切にしていいのだと、皆が気付かせてくれた。けれど、長年の思い込みというものはそう簡単には解けないらしい。咄嗟に出てくる言葉や思考に、諦めに似た感情が絡みつくことがある。そしてそれは誰かに指摘されなければ気付かないほど、あまりに自然に私の中に居座っている。

「ありがとうございます。頭では理解しているのですけれど、頑固に染みついてしまっているようで」

 苦笑して言うと、ソフィアが腕をほどいてまっすぐに私を見つめた。

「いいのよカメリア。私達が何度だって言うもの。あなたが大切だって。カメリアを愛しているって。そうでしょう、殿下?」

「あぁ。ベネットの言う通りだ。私達は君の友なのだから」

 あぁ、分かる。彼らの気持ちがよく分かる。人を大切に思うことも、自分を大切にすることも彼らが私に教えてくれた。

「ありがとうございます。私もお二人を大切に思います」

 心から零れた笑顔に、つられて二人も笑った。

――この良縁に感謝いたします。

 誰に感謝しているのかわからなかったが、心の中で手を合わせずにはいられなかった。


「フローレス。隣に座ってもいいだろうか」

 放課後、中庭のベンチで色が変わり始めた木々を眺めていると、優しい声が私を呼んだ。

「お久しぶりです、クラーク様。どうぞ、こちらへ」

 クラーク様は長い足を折って隣に腰掛けた。

「変わりはなかったか」

 クラーク様の黄みがかった緑色の瞳に私が映る。鼓動はいつもより速い。

「はい。久しぶりにグリフィス先生とお会いできました」

「そうか。先生も元気でいらっしゃっただろうか」

「えぇ、とても」

 いつも通り、話せているだろうか。自然に振る舞えているだろうか。クラーク様の姿を見ると、その声を聴いていると、幸せで仕方がなくて。気を抜くとつい浮かれてしまいそうになる。

「それは良かった」

「クラーク様の方もお変わりはありませんでしたか?」

「あぁ。ほとんど研究の手伝いに駆られていたから、研究室でレイン先生の手伝いをするのとそう変わりはなかったが」

 クラーク様はそう言って言葉を切ると、私を顔を覗いた。

「フローレスの顔が見られないのはなかなか堪えた。昔は文通でも耐えられたというのにな。やはりこうして顔を見て話したいと思うのだ」

「――っ」

 咄嗟に顔を伏せた。きっと真っ赤になっているに違いない。耳までもが熱い。心臓は走った後のように暴れている。

「フローレス、どうかしたのか。具合でも悪いのか」

 心配そうな声が降ってくる。

「いえ! 何ともありません!」

「なら、良いのだが。無理はするなよ」

 動揺が過ぎる。浮かれないようにと思っているのに、上手くいかない。

 ちらりと横目でクラーク様を窺うと、秋風に揺れる木の葉を眺めていた。その横顔にさえ心臓が跳ねるのを、どうしたら良いのかわからない。それでも隣に座っていたいと思ってしまう。

――イーデン様もきっと、こんな気持ちなのね。

 抗いがたい気持ち。きっとどんどん欲張りになってしまう気がする。この気持ちを手放したくないから、ずっと大切にしたいから、節度を守らなければならない。近づきすぎないように。顔に出さないように。態度に現れないように。

――先生、恋とはなかなか大変なのですね。

 秘かに人を想うことの大変さに小さく息を吐く。

 欲張りだとは思うけれど、全てを大切にしたい。この気持ちも、クラーク様も、アイリスやイーデン様も。そして、フローレス伯爵家令嬢としての役割も。だから、この大変さを受け入れる。全てを大切にするために。

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