19 私にできること(サイラス視点)
夜中に書いたので、書き直すかもしれません。
ずっと、心待ちにしていた日が来た。
「やっぱり落ち着かない?」
式が終わるまで作業をしようと研究室に篭っていると、昨日から徹夜で文献を漁っていたらしいサリバンに声を掛けられる。
「そう見えるか」
「見えるねぇ。無表情は変わらずだけど。五分に一回はフリーズしてるし、サイラスにしては珍しく山が減ってない」
そう言って指さす先にはレイン先生に押し付けられた書類の山。
「いつもなら機械みたいに処理してくのにね。今日のサイラスは〈人間〉ぽくて良いね」
サリバンは手元の本から視線を上げると、どこか嬉し気に笑った。
式が終わったのだろう、外が賑やかになってきた。ペンを置いてあまり捗らなかった作業を中断する。
「行ってらっしゃい」
「あぁ」
ひらひらと手を振るサリバンを背に、広場へと向かった。
講堂から出てきた新入生で溢れかえっている。あちらこちらで小さな塊ができて、話し込むグループも多い。人の波を避けながら進む。視線を散らせながら、記憶の中の人物を探す。
――いた。
まっすぐな茶色の髪、記憶の中より随分と背も伸びていたが、すぐに分かった。後ろ姿だけなのにと不思議に思うが、間違えようがないほどはっきりと。ようやく会えたのだと、その姿に心臓が大きく跳ねた。
「フローレス」
私の声に振り返った少女の若草色の瞳を見て、懐かしさに心が解れた。面影を残しつつも雰囲気はずっと大人びていて、会えずにいた時間の長さを感じる。風が彼女の長い髪を揺らした。突然の風に目を細めたその表情に心拍が上がる。もう言い逃れようのない感情だと、改めて理解した。
久しぶりに会ったフローレスとの会話はサリバンとコールドウェルの襲来により中断してしまったが、彼らのいつもの慌しいやり取りのお陰で緊張気味のフローレスが笑ってくれたので結果的には良かったと思う。数年ぶりに見た笑顔は記憶の中と変わらず、愛おしいものだった。
「サイラス」
ある日の放課後、いつものように研究室で作業をしていると珍しく暗い表情のサリバンが部屋に入ってきた。
「どうした、サリバン。顔色が良くない。また徹夜で文献を読んでいたのか? いい加減にしないとレイン先生のように倒れるぞ」
サリバンは集中すると平気で何日も徹夜し食事も摂らないことがある。そういった気質はレイン先生に似ている。まぁサリバンは人の言葉を受け入れてくれる分、あの人より何倍もましではあるが。それでも心配してしまう。
「いや、僕じゃなくて。フローレスが妙なやっかみを受けているみたいだ。下級生の間で広まっているらしい」
作業の手が止まる。
「やっかみ……?」
「あぁ。僕もさっき一年の女の子から聞いたんだけど。正直胸糞悪い話だったよ」
いつも物腰柔らかいサリバンが強い口調で吐き捨てる。
「女生徒が首席で入学したこと、婚約者を差し置いてAクラスに入ったことが鼻につく。フローレスは婚約者を見下している、だってさ」
サリバンの表情が歪む。恐らく、自分も似たような顔をしているのだろうと思う。
「……婚約者。イーデン・ミラーか」
あの男。自分の小さな自尊心のためにフローレスを傷つけるとは。許し難い。今すぐに制裁を加えたいところだが、そんなことよりも気になるのは。
――フローレス。
渦中にいる彼女のこと。
席を立ち研究室を出ようとドアに手を掛ける。
「ミラーを殴りに行くの?」
「あんな奴どうでもいい。……フローレスの顔を見なくてはいけない気がする」
「そっか」
研究室を後にして廊下を進む。しかし今は放課後だ。すでに寮に戻っている可能性もある。流石女子寮に押し掛けるわけにはいかない。まだ校内に残っていることを祈って、一年の教室棟へと向かった。
「すまない、カメリア・フローレスはいるだろうか」
廊下にいた女生徒に尋ねると、頬を赤く染めて首を横に振る。
「そうか。ありがとう」
教室棟には残っていないらしい。フローレスが行きそうな場所はどこだろうか。考えながら廊下を進む。
――図書室。
可能性はある。フローレスが関心を持ちそうなところと言ったら研究室か図書室。研究室には限られた人間しか近づかないから、あるとすれば図書室だろう。
図書室に入り、あたりを見渡す。相当な蔵書量を誇る学園図書室は広い。探すのも一苦労である。どうかいてくれ、そう願いながら室内を一周するがフローレスの姿はなかった。
もう寮に戻っているのかもしれない。考えが過るも、どうにも諦めきれず校内を巡る。
――他にフローレスが行きそうな場所。
フローレスと交わしてきた手紙の内容を思い返す。大抵はグリフィス先生の授業の感想や自分なりの考察を書いていた。それからたまに、妹や弟と話せた、遊んだという報告。それから……。
――植物園。
屋敷の中で好きな場所は植物園だと言っていた。お祖父様が作ったものだと。今は自分しか出入りしないから植物を成長させすぎて森みたいになっていると。
学園にも温室がある。入学したばかりのフローレスが知っているかはわからないけれど。行かないという選択肢はなかった。
「温室には私も初めて入るな……」
中に入ると意外と広く、見たことのない植物が大量に植わっている。異国の物も多そうだ。コールドウェルなどはここで薬草を育てていると言っていた。
室内を見渡すと、備え付けのベンチに腰掛けているフローレスの姿があった。
「フローレス」
近づいて声を掛けると、ハッと顔を上げてこちらを向いた。
「クラーク様。クラーク様も鑑賞にいらしたのですか? ここ、なかなか落ち着くのでお気に入りになってしまいました」
若草色の瞳はニコリと笑ったが、その声に力はなかった。
「あぁ。フローレスの手紙を思い出してな。私も植物園が見たくなったのだ」
すぐに本題に入ることはできなかった。口下手な私ではどうやっても不躾になってしまう。少しずつ、フローレスの気持を聞き出していければ良いのだが。
「覚えていらっしゃったんですね! うちの植物園はこんなに綺麗に整備されていないのですが。それでもとても落ち着くのです。心が折れそうなときにはよく逃げ込んでいました――」
フローレスは言い終わった後にはっと口を噤んだ。
「フローレスが辛い思いをしているのではないかと、心配になってな。私はいつまでもフローレスの味方だ。なんでも言ってくれて構わない。もちろん、フローレスが話したいときに話したいことだけをだ」
私の言葉に、フローレスが柔らかい笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、クラーク様。私、婚約者失格だと言われてしまって。少しだけ落ち込んでいました。でも、もう大丈夫です。次、言われたら反論してやろうって決めてるんです」
そう言ってフローレスは胸の前でギュッと拳を作った。そして笑った。
あぁ、まただ。また一人で乗り越えて見せた。傷ついただろうに。怖かっただろうに。苦しくて痛かっただろうに。また一人で踏ん張ったのだ。
彼女の強さが好きで、目を奪われて、憧れて、尊敬する。けれど思う。何故、彼女は強くならなければいけなかったのかと。傷つくほどに強くなっていく人なのだ。彼女はその強さの分だけ、傷ついてきたのだ。傷つけられてきたのだ。もっと強く在りたい、そう在ろう努力するフローレスにはきっと言えないだろう。君が傷つくくらいなら、強くならなくていいと。本当は少しだって傷ついてほしくないのだということを。きっと言えない。だから私は代わりに言うのだ。
――私は何があろうとフローレスの味方でいる。
フローレスがどんな選択をしようと、それだけは絶対に揺るがないのだ。




