12 婚約者の心
『カメリア・フローレス殿
変わりなく元気にしているだろうか。先日の手紙、楽しく読ませてもらった。私も弟君のもちもちの頬っぺたとやらを触ってみたいものだ。
学園での生活はとても充実している。グリフィス先生が出す課題ほどの無理難題はないが、それなりに手ごわい授業がいくつかある。フローレスならきっとどんな授業も楽しむのだろうな。それから一つ、フローレスが喜びそうな報告がある。いつかユーイン兄様が話していた、アルフレッド・レイン公爵令息を覚えているだろうか。実は彼が学園に教員として在籍している。彼はグリフィス先生の仰る通りの方だ。授業はとても面白いのだけれどな。基本的に研究室から出てこない、口は悪いし人使いは荒い、おまけに栄養不足睡眠不足で頻繁に医務室送りなのだ。どうしようもない方だけれど、能力だけは本物だ。天才、とはこの人のことを言うのだと思う。レイン先生には正直振り回されてばかりだけれど、彼は見ていて飽きない面白い人だ。フローレスも会ったらきっと、話の通りの方で驚くだろう。まだ少し先にはなるが、フローレスの入学が待ち遠しいものだな。それでは、体に気をつけて。くれぐれも無理はしないように。――サイラス・クラーク』
グリフィス先生から受け取った手紙には、いつもの丁寧で少し堅いクラーク様の文字。そして、ビッグニュースが。
「あの、アルフレッド・レイン公爵令息が学園に……!」
学年的に被らないからお会いすることはないだろうと諦めていたのに。
「早く学園に入学したいわ」
――実物のレイン先生を見てみたい。
学園始まって以来の天才。私の中ではもはや伝説上の生き物と化している。学園に入学すれば実物を拝めるどころか、彼の授業を受けられるのだ。今からわくわくしてくる。
――それに。
「クラーク様にも、会いたい」
手紙のお陰で、もうずっと会っていないなんて気はしないけれど。クラーク様の筆跡を見るだけで彼を感じて懐かしくなるほどには慣れてきたけれど。それでも、クラーク様のあの無表情を、緑の中に黄色が散りばめられた不思議な色の瞳を見たい。あの落ち着いた声で名前を呼んでほしい。
「会いたい……」
喉が掠れてほとんど声にならなかった。
クラーク様の文字を指で辿る。
「会いたいです、クラーク様」
一度声に出してしまった願望は堰を切ったように零れ落ちていく。
クラーク様に対しては、自分の本性が出てしまう気がする。弱くて泣き虫で不安がりで、我が儘で子供な私が。誰にも知られたくない、私の嫌いな私が。
――駄目だ。このままでは、駄目だ。もっとちゃんと、強くなりたい。
クラーク様に再び会う日まで。何の変化もない私のままでは、会えない。遥か先にあるその背中を、追うことはできない。
「私も、今できることを頑張らなくてはならないわ」
ひとまず、目下の課題はイーデン様との関係改善だ。アイリスたちと中庭で過ごした時には少し打ち解けた気がしたのだけれど。あれからミラー家の屋敷に何度か訪れたが、イーデン様は浮かない顔をしておられた。
「私といるとどこか落ち着かないご様子なのよね。私が色々と話しかけすぎて疲れてしまっているのかもしれないわ」
関係改善にはまず、互いを知るべきかと考えていたため質問攻めにしていたかもしれない。
――それじゃ気も休まらないわよね。
相手の身になって考えなくてはならない。
――これからはもっと、イーデン様のペースに合わせていこう。
そう、決意したはいいものの。
「……」
「……」
――この空気はない。耐えられない。
フローレス家の応接室にて。重苦しい静寂が私達の間に漂っている。
あまり話しかけすぎないように、と思い始めたらどこからが「やりすぎ」なのかわからなくなってしまい、沈黙が続いてしまっている。
――どうしたものか、この空気。
「……カメリア」
会話の糸口を思案していると、イーデン様の方から口を開いた。
「はいっ」
イーデン様の方から声を掛けてもらうことなどほとんどないものだから、驚いてしまう。
「その、アイリスは元気にしているか」
妙に歯切れの悪いイーデン様の視線は落ち着かない。
「アイリスですか? はい、変わりなく元気にしておりますよ。最近は刺繡に夢中になっているようです。姉の私が言うのもなんですが、とても器用で素晴らしい作品を作るのです。図案も自分でデザインするのですよ。きっとアイリスには才能があるのですわ」
一息に話してから、ハタと気付く。
――また、やりすぎたのでは……?
イーデン様を窺うと少し目を丸くしてはいらしたが、気を悪くした様子ではない。
「そうか、アイリスは刺繍が好きなんだな。作品を見てみたいものだ」
そう呟く表情はとても優しくて。この人の心にも柔らかいところがあるのだなと、失礼なことを考えてしまった。
「そうですね、今度アイリスにお願いして借りてきましょう。とても良い作品なので是非イーデン様にも見ていただきたいですわ」
「あぁ、そうしてくれると嬉しい」
そう言ってイーデン様は微笑んだ。
――イーデン様の笑顔、正面から見るのは初めてね。レアだわ。
私に向けられたものではない笑顔でも、構わないと思った。怒りや苛立ちをぶつけられるよりは、無関心の方がずっとましだ。
イーデン様の心に気付いてしまっても、私にできることなどない。自分の存在が「邪魔」であると気付いたところで、お父様の決定に逆らえるはずなどない。イーデン様には申し訳ないけれど、義務は果たさなければならない。
――イーデン様も、気の毒な方だわ。好きでもない人と結婚しなければならないなんて。想い人が近くにいるから尚更。
イーデン様のことは正直苦手だけれど、「望まない婚約」という点においては彼に同情する。
初めから何も期待などしていなかった結婚生活だが、考えるだけでも悲しくなるほどに私達の未来には暗雲が立ち込めている。この結婚で一体誰が幸せになるのだろうか。
――両伯爵家、ね。
家のために心を無視して好きでもない人と結ばれる。イーデン様もまた、政略結婚の被害者なのだと気付く。
それでも私達に選択肢などない。折り合いをつけてやっていくしかないのだ。
――酷な話だけれど。イーデン様とアイリスをあまり近づけるのはやめた方が良いのかもしれないわ。気休めにしかならないけれど。私と結婚するときに、少しでも二人が傷つかないように。
目の前でアイリスを想って優し気な顔をしている婚約者を見て、人を傷つけることの痛みを知った。




