10 カメリア・フローレス(サイラス視点)
今回はサイラス・クラーク視点です。
『サイラス・クラーク様
先日無事母が出産を終えまして、弟が生まれました。妹似でとても可愛らしいと聞きます。クラーク様の方はお変わりありませんか。グリフィス先生から、クラーク様が新たに発見した解読法のお話を伺いました。学会誌に掲載されたのだとか。お聞きしたとき、胸が高鳴ってその日の夜は眠れませんでした。クラーク様はもう随分と前を歩いていらっしゃいます。いつの日か私も追いつけるよう、精進したく思います。クラーク様もどうか、お体にお気をつけて。――カメリア・フローレス』
週に一度、グリフィス先生を通して受け取るこの手紙が私の心の癒しだ。
カメリア・フローレスと出会ってから2年が過ぎようとしている。グリフィス先生に連れられて屋敷にやってきたあの日のことは今でも忘れない。
腰までまっすぐに伸びた茶色の髪に、若草を思わせる緑色の瞳。そして、見るからに緊張しているのにも関わらずまっすぐに私の目を捉えたあの視線。気が弱そうなのに所作には一切の隙がない。私より二つ下だと聞いていたのに、行動も話す言葉も何もかもが子供らしくなくてどんな人間なのだろうと興味が湧いた。
フローレスは真面目で勤勉な少女である。クラーク家の人間も代々頭を抱えてきたグリフィス先生の難問にも、果敢に取り組む。そして時に、私も気付かなかった小さな解法への道をスッと開けてしまうのだ。私は彼女を尊敬している。同じ志を持つものとして、そして人として。
手紙に視線を戻す。フローレスの少し右上がりの癖字が並ぶ。
「弟、か。この話ぶりでは会うこともできていないのだろう」
フローレスを取り巻く環境は彼女を蝕んでいる。両親のことでさえ彼女の心を苦しませているというのに、次は婚約者か。社交界から流れてくる噂はどれもフローレスへの心配が絶えなくなるものばかり。
――元気でいるだろうか。泣いてはいないだろうか。怖い思いをしていないだろうか。
「手紙では、分からない。せめて顔さえ見られたら……」
自分が情けなくて仕方がない。どんなに難しい古文書を解読できても、フローレスの手紙からその本心までは読み解けない。情けなくて、悔しい。
カメリア・フローレスという人間を見ていると感じる。感受性が強く繊細だが、その内には真っすぐで折れない芯があると。柔和な人柄だが自分の信条は決して曲げない頑固さがあることを。私はフローレスの生き方を尊重したいと思っている。本当はあれこれ手を焼きたい。不安に思うことはすべて取り除いてやりたい。けれど、フローレスはきっとそれを望まない。だから私は、どれだけ己を情けなく思おうと、無力さを感じようともそれを受け入れなければならない。
癖のある文字を指でなぞる。
「フローレス、君の強さは計り知れないな。傷つきながら前に進む君を、私は見ていることしかできない。本当に、いつだって君は私の想像を超えてくる」
彼女の内に秘める強さは、私の目を惹きつけて離さない。抱えている危うさや痛々しさが、フローレスをさらに頑なにしていく。
――守りたい、なんて言葉が失礼だと思ったのは初めてだ。
不思議な人だ。傷だらけで、心もとなく佇んでいても容易に手を差し出せないのは、「手出し無用」と彼女自身が発する雰囲気があるからだ。一体、彼女の強さはどれほど深いのだろうかと思う。彼女のことを「知りたい」と思ってやまない。きっとこれは、研究者の知的好奇心とは別の何かなのだろう。
「私は、君が幸せならなんだっていいんだ」
ぽつりと零れた言葉は半分本当で、もう半分は自分への暗示だった。今更気付いてももう遅い、そんな己の気持への。
「グリフィス先生、今週もよろしくお願いします」
手紙を手渡す。
「わかっておる」
受け取った手紙を懐に入れた。
「先生。フローレスの様子はどうですか。元気にしていますか」
私の言葉にグリフィス先生が声を上げて笑いだした。
「本当にお前たちはよく似ておる。カメリアにも同じことを聞かれたよ。あぁ、元気にしておったぞ。お前からの手紙が嬉しくてなんでも頑張れると」
先生はニヤリと笑って私の様子を窺っている。
「それなら良いのです」
ばつが悪くなって顔を逸らすと先生は余計に楽しそうに笑う。
「サイラスよ。お前の道もまた、前途多難だな」
「……なかなか上手くいくものではありませんね」
グリフィス先生の前だから思わず零れた弱音。
「そうだな。人生とは試練の連続だ。悩み、間違い、挫けながら進んでいくのだ。最悪と思われる状況の中でも、自分なりの正解を見出すことを忘れてはならん」
グリフィス先生の大きな手が頭を撫でる。
――私の、正解。
どのような状況でも変わらず願うのは、フローレスの幸せ。そして私自身が願うのは、彼女の隣に在りたいということ。現在、後者を望むことは叶わない。だから「今の」私の正解は、フローレス自身の幸せを願うこと。彼女がどのような選択をしようと、彼女の味方であり続けること。
「わかりました、先生」
私の顔を見るとグリフィス先生は満足そうに笑った。
「それで良い。どのような状況でも今この瞬間の最善を尽くしておれば、未来はきっとそう悪くはないだろう」
深い青がすっと細められる。
「お前たちならきっと、解法を見つけてしまうさ。私の自慢の教え子なのだから」
その声と瞳は慈愛に満ちていて何かを懐かしむように、私の奥に別の誰かを見ているようだった。
それから3年の月日が流れ。私、サイラス・クラークは13歳になった。
――これから学園での生活が始まる。
学園は全寮制のため、長期休暇にしか屋敷には戻らない。フローレスが入学するのは二年後。それまでの手紙のやり取りは、私がグリフィス先生に送ったものを先生からフローレスへ渡してくれる手筈となっている。
――学園の話はきっとフローレスが喜ぶだろうな。
あの若草色の瞳が好奇心いっぱいに輝く姿が目に浮かぶ。
「あら、随分と楽しそうねサイラス」
見送りにいらした母様の指摘で初めて、自分の口元が緩んでいたことに気付き手で覆う。
「ふふっ。まぁ、お前の思うようにやると良い。上手くいくことを私も祈っている」
父様は悪戯っぽく笑って私を見送った。
「行って参ります」
馬車に乗り込み、両親の見送りを背に新たな生活へと走り出した。




