第六話
全てを『諦めた』蒼汰は、その日から別人のように変わってしまった。
勉強など一切しない。野球部は突然辞める。生徒会の役員としての仕事もしない。誰とも喋らない。挨拶もしない。視線も合わせない。用意されても――母の手料理を食べない。
幸い、蒼汰は週一でアルバイトをしていた。そのお陰で、食費はどうにかなる。自分で餓死しない程度の食料を買い求めることが出来た。
高校を卒業したらバイトを増やして、お金を貯めてアパートでも借りて自立する。それが蒼汰の人生の最大の目標になった。
中卒というのは外聞が悪いし、学費を両親が払ってくれるなら高校にも通う。もらえるものはもらう。というより、子供を生んだことにより発生する義務は果たしてもらわねば困る。
むしろ母の料理を食べないというのは、自分を『諦める』ための誓い。つまり例外であった。
そんな風に変わってしまった蒼汰。最初は、両親も妹も心配した。そして怒った。幼馴染は泣いてばかりだった。
しかし、そんな全てがどうでもいい。もらえるものはもらって、自分が将来独り立ちする為に利用させてもらう。それ以外で、他人と関わる必要は無い。関わりたくもない。
そんな日々が、二年も続けば、周囲に存在する全ての人が蒼汰を『そういう人間』として認めてしまった。
蒼汰の人生に対する『諦め』を、全ての他人が『肯定』してしまった。
母も、食べてもらえない料理を用意することをやめた。半年程度で、蒼汰の分の朝食、夕食は準備されなくなった。
――という過去を、蒼汰はつい振り返っていた。
久しぶりに、幼馴染が無謀な挑戦をしてきたから。お望み通り、他人となったはずの蒼汰をなぜか求めてくるから。
その、今更都合よくすり寄ってくる様が、何よりも不愉快で屈辱的だから。
蒼汰の心に、怒りの炎が燃えた。
もはや、なにが悪かったとか。
どうすれば良かっただとか。
自分が意地を張っているだけだとか。
そんな全てが、どうでもいい。
どうしても消えない怒りが。憎しみが。心の奥底に、治癒することの無い大火傷を残してしまった。
だからもう、元に戻ることは無い。
蒼汰はかつて『諦めた』時のまま『期待通り』の役割を担う。
今更の撤回など、一切許さずに。
学校に到着し、下駄箱で上履きに履き替え校舎に入る蒼汰。
「――おはよう、蒼汰くん」
珍しく、蒼汰に挨拶が飛んできた。視線を向けると、そこには女子が一人。
恨むような、憎むような。怒りに近いものを宿した目で、蒼汰を睨む女子。名前を四之宮輪廻。中学三年生の時からのクラスメイトで、現在もクラス委員長を務めている。当時は蒼汰と同じく、生徒会役員でもあった。
それなりに、仲は良かった。仕事を互いに手伝い合う程度には。
だが、今となっては違う。何もかも諦めた蒼汰は怠惰で、輪廻にとって認めがたい存在である。
「遅刻しないなんて、珍しいわね」
だからそんな憎まれ口を叩くのだ。
「……家族が煩かったから。二度寝出来なかったんだよ」
「まだ仲直りしてないの?」
輪廻は蒼汰が家族と仲違いしていることを知っている。だが、理由までは知らない。だから軽々しく、仲直りという言葉を口にする。
「私は、本当の蒼汰くんのこと分かってるから。本当は優しいくせに、意地張ってるだけって分かってる」
そう言って、理解者のような態度をとる。
「だから、ちゃんと話をすれば、ご両親ともきっと分かり会えるって――」
信じてる。輪廻はそう告げようとした。変わってしまった蒼汰を許せないからこそ。元の蒼汰に戻ることを期待して。
「――黙れよッ!!」
バァンッ! と、すぐ隣にあったロッカーを殴りつける蒼汰。その音と怒鳴り声に怯え、輪廻は身体をビクリと震わせる。
蒼汰にとって、本来の自分は今の自分。かつての誰にでも優しく、努力家で、一生懸命な蒼汰こそ偽物なのだ。
だから、まるで理解者のようなふりをして、自分の都合を押し付けてくる輪廻のことが不愉快だった。
言葉は不要。対話しても、理解などされないのだから。対話にはどうせ失敗するのだから。蒼汰は、それ以上何も言わずにその場を離れる。
残された輪廻は……蒼汰との間に存在する分厚い壁を感じて、たまらず嗚咽を漏らす。
どうして、こうなってしまったんだろう。
蒼汰を大切に思っていた、全ての人がこれまで幾度となく考えてきたこと。それを輪廻もまた、考えてしまう。