第二十一話
彼女――斎藤遥が思い返したのは、蒼汰と仲が良かった頃の思い出であった。
優しい蒼汰。気が利く蒼汰。いつも自分を大切にしてくれて、優先してくれて、一緒にいて心地よい気持ちになった人。
そんな人を、遥は恋愛対象ではない、家族のような、兄や弟のような存在であると思っていた。
だからある時、ひと学年上の先輩に告白された時、それを受け入れた。人気者で、イケメンの先輩と付き合うことになった。
だが、付き合ってみれば相手は大したことなど無かった。蒼汰でも出来る気遣いが出来ない。蒼汰のように自分を優先してくれない。むしろ自分ばかり見て欲しいと言うかのように、自己主張ばかりする。
うんざりした遥は、わずか半月でその先輩と別れた。
そうした経験を、何度も繰り返すこととなった遥は、ようやく悟る。緋影蒼汰という少年が、どれだけ特別であったか。
目立って優れたところがあるわけではない。と、思い込んでいた。しかし、あんなにも一緒にいて心地よい存在は他に居なかった。そして、勉強もスポーツも出来た。
改めて考え直すと、蒼汰こそが理想の彼氏に最も近い存在であったのだ。
何よりも、自分が優秀な人間であると理解している遥は、彼氏には優しさを求める度合いが強かった。その点で、蒼汰を超えるような男は一人も居ない。足元にも及ばない。
そして……皮肉にも、それを理解した途端、蒼汰と過ごした過去の日々が、特別なものだったと理解できた。
思い返すたび、蒼汰という存在が大きくなる。記憶の中の蒼汰が優しくしてくれる。だから――変わってしまった蒼汰を見て、苦しくなる。
あの頃のように、戻りたい。自分を一番幸せにしてくれる蒼汰に戻って欲しい。
そんな思いから仲直りをしたいと望んで……結局、出来ないままに蒼汰を失った。
悲しい。そして、許せない。自分から、大切な人を奪った魔族を。
だから遥は――蒼汰の死がほぼ確定した今、さらに強く決意した。
魔族へと、復讐をすること。中でも、六魔帝のヴィガロだけは、必ず見つけ出して八つ裂きにしてやる、と。
四之宮輪廻の場合は、悲しみよりも蒼汰の生存を信じようとする感情、そして思考が渦巻いていた。
蒼汰の死体を見たわけでもない。蒼汰を殺したと、ヴィガロに証言されたわけでもない。それなら、蒼汰はきっと生き残っている。
そう信じて、蒼汰を持つしかないのだ、と考えていた。今も昔も、変わらずに。
かつて輪廻は、蒼汰に対して淡い恋心を抱いていた。きっと遥と結ばれるのだろう、と思っていたから身を引きはしたものの、思いは変わらずにあり続けた。
きっかけは、些細なこと。クラス委員の仕事を手伝ってくれた蒼汰は、それはもうよく気が利いた。何かと輪廻を手助けしてくれた。
そして――誰よりも努力家であった。野球部で、エースで四番という活躍をしながらも、夜遅くまで勉強をして、成績も優秀であった。
そんな蒼汰に、輪廻は聞いたことがあった。なんで、そこまで頑張れるのかと。
「あいつらに……遥と千里に、負けたくないから、かな」
その答えに、輪廻は納得しながらも、一方で反論の言葉を口にしていた。輪廻から見てもその二人は天才であり、いくら蒼汰といえども、努力だけで勝つことなど不可能な相手に思えたのだ。
だが、それにも蒼汰は真摯に答えた。
「でもさ、諦めたらそこで終わりなんだよな。何にもなれない、何者でもないまま終わる。それに――一度でも諦めたら、たぶんもう立ち上がれない。そんな情けない姿を、あいつらには見せたくないしさ。だから、あいつらが居てくれる限り、俺は頑張り続けられる」
その、とても前向きな考え方に感銘を受けた。そして有言実行し、どれだけ天才的なことを遥と千里が成し遂げたとしても。腐らず、文武両道で努力を続けていた蒼汰をずっと見ていた輪廻は、気づくと恋に落ちていた。
だからこそ、ある日を境目に変わってしまった蒼汰のことが許せなかった。
あの頃の、諦めない蒼汰を、優しくて、強かった彼を返して欲しかった。
故にどこか強い言葉をぶつけてしまう時もあった。
それが結局、蒼汰との関係を悪化させる原因となった。しかも、蒼汰は未だに行方不明。
今になって、輪廻は恥じる。もっと、やり方を考えるべきだった。今すぐにでもやり直したいという気分だった。
だからこそ――今は、できることをする。
蒼汰の生存を信じて、蒼汰を探し続ける。どれだけ苦しくても、努力し続ける。
それこそ、あの頃の蒼汰と同じように。
そんな二人と違って、千里はさほど強い反応は見せなかった。
何故なら、蒼汰の生存の可能性を信じていなかったから。見殺しにされた事実。兄が決して、天才などではなく、努力で格差を埋める人だとよく理解していたからこそ。
ヴィガロのような理不尽な存在に、対抗できるような人ではないと、分かっていた。
だから蒼汰は死んだものだと思っていた。そして、蒼汰を殺した魔族に。見殺しにしたこの国の人々に。深く昏い怒りを覚えた。
それは今も変わらない。蒼汰の死の可能性を強く示唆する情報が手に入ってもなお。
むしろ、憎悪は深まってゆく。
――かつて、千里の心を支えていたのは『大好きなお兄ちゃん』であった。
人より優れている部分の多かった千里だが、自覚する欠点が一つだけあった。
それは、コミュニケーション能力。自分が優れているからこそ、そうでない人への配慮が欠けてしまうことが多かった。無意味に他人を煽るようなことを言ってしまい、時に傷つけ、時に敵対した。
そうした時、いつも味方になってくれたのはお兄ちゃん、蒼汰であった。
千里が口下手なのは分かってるから、と言って、千里に理解を示してくれた。幼い子供の世界で、そうして千里の内面を汲み取ってくれるのは蒼汰ただ一人だけであった。
だから、千里は依存した。お兄ちゃんなら、きっと私のことをいつも理解してくれる。いつでも私の味方で居てくれる、と。
だが、そんなものは幻想だった。
ある時、友達にバッグを自慢した。ただでさえ野球と勉強で時間の無い兄が、自分のためにバイトまでして買ってくれたバッグ。胸が温かい気持ちで満たされた。
そんなバッグを、そしてプレゼントしてくれた兄を、見下すような発言をしてしまった。
そうやって、敵を作るような形でしか、うまく他人と関われない。それが、千里の欠点であった。
だから、駄目だと分かっていても、蒼汰であれば許してくれると考えた。
しかしその日、自分の発言を聞かれてしまってから。蒼汰は変わってしまった。
自分の軽率な発言が悪かったのだと、すぐに理解した。
だが……最早、後の祭りであった。どれだけ本心を語っても、蒼汰にはもう二度と伝わらなかった。信じて貰えなかった。
影で友達に言っていた、自分の欠点を誤魔化すための嘘の方が本当だと、思い込まれたままとなった。
悪いのは自分だから。そう分かっていても、千里は蒼汰に許してほしかった。自分を理解してくれる、世界で唯一人の人。大好きなお兄ちゃん。
兄弟では結婚できないというのが残念に思えるくらい――高校生になっても、それは変わらなかったぐらい、千里は蒼汰が大好きだった。
しかし、蒼汰に謝罪の気持ちは伝わらない。どれだけ謝っても無意味。
なら、どうすればいいのだろう? コミュニケーション能力の低い自分が、蒼汰の信頼を取り戻すには?
千里の結論は――蒼汰が死んでしまってから、ようやく導き出された。
行動で示せばいい。お兄ちゃんに信じてもらえるような人物だと。そういう人間でなければ出来ないことをすればいいんだ、と。
それが――千里にとっての復讐であった。
まずは魔族。あの虫共を一匹残らず潰す。皆殺しにする。次はヒルヴェイン王国。そして蒼汰と敵対していたクラスメイト達。
その中には当然、遥と輪廻も含まれていた。
みんな敵だから。確実に、皆殺しにしたいから。千里は、今日も味方のように振る舞う。まるで魔族だけを恨んでいるかのように。周囲の全てに向かうはずの怒りを魔族にぶつける。
そうして、全員殺した暁には。
最期は――自分を殺して、お兄ちゃんに会いに行こう。
それが……最愛の兄の死で壊れてしまった、愚かな妹の考えであった。