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第四話




 あの日――遥の真意を知ってしまった蒼汰は、失意のままに帰宅した。

 終業式の後は、何も無いのだから。誰かに告白するような用事など、一つも無いのだから。


 自宅に帰り、蒼汰は静かに扉を開く。普段ならただいま、と声を上げるところなのに。絶望しているからこそ、黙って玄関をくぐった。

 それが、さらなる絶望の原因になると知らずに。


「――アハハ! それってマジ!?」


 リビングの方から声が響いた。女子の声。そういえば、と蒼汰は思い出す。玄関には、複数の見知らぬ靴が並んでいた。おそらくは妹、緋影千里の友達が来ているのだろう、と予測する。

 ということは、クラスメイトでもある。だから少々気まずく、蒼汰は隠れることを選んだ。


 蒼汰と千里は、兄妹でありながら同学年でもある。蒼汰は四月生まれであり、千里は二月。よって学年が同じとなってしまい、同じクラスに所属することも度々あった。中学三年現在、二人は同学年同クラスである。

 その為、千里の友達とはクラスメイトの女子でもある。自宅でクラスメイトと、しかも異性と顔を合わせるのは、なんとも言い難い気恥ずかしさがある。故に、蒼汰は隠れることを選択した。してしまった。


「マジマジ、大マジだよ。うちのお兄ちゃん、ちょろいんだから」


 妹の言葉は、どこか兄を馬鹿にするような口調だった。


「スケベだし、ちょろ兄貴だし。後ろから抱きついて、おねが~い♪ って言ったら、大抵のものは買ってくれるんだよね」

「で、そのバッグでしょ? いくらしたの?」

「四万だって。来年の誕生日プレゼントの分もまとめて、って言ってたけど。どうせ来年になったらまたプレゼントくれるし。おねだり得だよね」


 ……その言葉で、蒼汰は何が起こっているのか理解した。

 来年の二月の分を、先取りして買ってやったバッグ。元々、弓道部である千里が大会で優勝したらご褒美をやる約束だった。そこで千里が要求したのが、四万円もするブランドバッグ。

 さすがに予算オーバーだと蒼汰は告げた。だが、どうしてもと千里が頼んだ。故に、二月の誕生日プレゼントの分を前借りする形でなら、と蒼汰が了承したのだ。


 仲の良い兄妹だ、と蒼汰は思っていた。お兄ちゃん、お兄ちゃんとよく慕ってくれて、相談事にもよく乗ってやった。スキンシップが多く、背中から抱きついてくることが多々あった。それは、家族としての愛情表現の一種だと思っていた。

 だが――もしかしたら。

 スケベでちょろい、と評価される兄を釣り、利用するための手札でしかなかったのかもしれない。


 これが――普段の蒼汰であれば、そうとも限らないと考えられた。特に理由もなく抱きついてくることが、千里には多々あった。むしろ、そちらの方が多い。

 だが、この日の蒼汰は心が沈みきっていた。負の感情が膨れ上がっていた。幼馴染に、遥に無価値な人間であると告げられたせいで。そうだと知ってしまったせいで。

 妹にとってもそうではないか、と疑わずにはいられなかった。


「それにしてもさ、ホント千里って兄貴となかよしだよねぇ」

「ほんとそれ! おねだりされたからって、フツー四万のバッグなんて買ってくんないでしょ」

「っていうか、それだけの為に兄貴とベタベタするとか、アタシらなら無理!」

 友達の、クラスメイトの言葉は、まだ蒼汰に希望が残っていると告げていた。きっとスキンシップが出来るのは、千里が蒼汰を慕っているから。その可能性があるのだという意味があった。


 だが、妹は無慈悲に否定する。

「そっ、そんなことないし! 私だって、本当ならお兄ちゃんとベタベタなんかしたくないし。スケベ兄貴だから仕方なくベタベタしてるの。もっと真面目でしっかりしたお兄ちゃんなら、こんなやり方で言うこと聞いてもらえないし。っていうか、お兄ちゃんみたいな大したことない、そもそもカッコよくもないヤツ、私がそんな、好きなわけないじゃんっ!」


 言われた蒼汰は、唇を噛んだ。

 確かに、妹の千里は幼馴染の遥に並ぶ天才である。遥ほどスポーツ万能というわけではないが、勉学に関しては抜きん出ている。全国模試では、総合成績で三桁の順位に名を連ねるほどだ。

 しかもこれで、蒼汰よりも勉強にかける時間は少ない。兄妹でありながら、才能に関してはまるで掛け離れていた。


 確かに、そうなのかもしれない。と、蒼汰は考えた。千里にとって、兄は凡人でしかない。家族と言えど、親ほどかけがえのないものでもない。眉目秀麗というわけでもない。

 そんな兄を慕う理由など、そもそも存在しないのだろう。

 だからこそ――スキンシップで愛情を煽り、金蔓や労働力として利用される。赤の他人以下。道具のような扱いを受けるのだろう。


 ならば――赤の他人ですらない、道具も同然の存在なら。わざわざ手間をかけて利用しなければ、愛情のかけらすら存在しないならば。

 やはり、緋影蒼汰という個人は、人格は、緋影千里にとって無価値なのだろう。存在してもしなくても、変わらない。むしろ、居ないほうがいい。

 幼馴染と同じように。


 そう思うと、怒りも湧いてこなかった。

 ただひたすら、達観が頭を支配していた。


 もう、どうでもいい。

 最初から何一つ持ち合わせていないなら。

 家族としての愛情のかけらさえ手に入らないのであれば。

 そんなもののために努力することなど、やめてしまおう。

 対話さえ必要ないだろう。


 愛してすらいないのなら。

 妹にとっても、それが最善だろう。


 蒼汰は――足取り重く、自室のある二階へと向かう。

 その足音によって、とうとう千里達は、蒼汰が帰ってきていることに気付いた。


「――あ、お兄ちゃん! 帰ってきたんだね!」

 千里は声のトーンを上げ、蒼汰の方へと駆け寄ってくる。

 もういいんだよ、千里。もう俺を慕うふりなんてしなくていい。お金なら……欲しいと言えば渡すから。それだけの関係でいいだろう。無理する必要なんて無いだろう。

 蒼汰はそう考えて、千里を一瞥した後、何も言わず二階へ向かう足を止めずに進む。


 そんな蒼汰の様子に、千里は首を傾げる。自分の言葉の全てを聞かれていたとは、想像もしていない。

 いつもどおりの『緋影千里』が、蒼汰に話しかける。

「あ、あのね。今日は友だちに、こないだの大会のご褒美のバッグの自慢してたんだ。すっごい可愛くて、今一番のお気に入りでね――」


 そんな必死な言葉が、蒼汰には耳を通り抜けて、逆側から飛び出ていくようにも感じられた。

 仲良し兄弟だと思っていたのは自分だけ。この嬉しそうな態度は可愛くて一番のお気に入りのブランドバッグを手にしているからであって。それの送り主が誰であるとか、蒼汰という兄の思いやりであるとか、そういったもの全てに価値が無いのだ。

 だから蒼汰にとっても――妹の言葉は、まるで価値が無くなってしまう。


 蒼汰とバッグは無関係である。いくらバッグに喜んでも、その妹の気持ちは自分に向かうものではない。ブランドバッグが、物として千里に『愛されている』だけなのだ。

 所詮は他人事――どころか、言うなれば『他物事』である。


 会話をする義理など、一切無かった。


「……お兄ちゃん?」


 困惑する千里の声が、蒼汰の背中に向かって響く。

 だが蒼汰は、何の反応もしないまま二階へと上がる。もう、何もしたくない。静かに眠っていたい。そんな欲求の赴くまま、重い足を動かした。

三話が短かったので、すこし早めに投稿しました。

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