第三話
あれは、蒼汰が中学三年生の時だった。
あの日も、夏休み前の、終業日だった。
当時の蒼汰は……当時はまだ特別に親しい間柄にあると『思い込んでいた』幼馴染、斎藤遥に恋をしていた。
だからこそ、中学生活最後の夏は思い出に残したかった。遥と過ごす時間を、幼馴染でなく恋人として過ごしたかった。
きっと受け入れてくれるだろう。そう考えて――告白の為に、空き教室に呼び出した。
妙に緊張していた蒼汰は、約束の時間の三十分以上も前に、空き教室に向かってしまった。
そして、聞いてしまう。
「――でさぁ、遥は実際んとこ、緋影くんのことどう思ってるわけ?」
空き教室から、遥のものではない女子の声が響いた。
「どうって……幼馴染だよ。千里と同じ、大切な友達だよ」
「でもさぁ、こんな日に呼び出しって、絶対告白してくるじゃん?」
また別の女子の声。そして、その予想は的中していた。自分の行動を読まれた為に、蒼汰は恥ずかしく思った。照れた、と言っても良い。
だが、その程度で済めば御の字だったのだ。続く女子同士の会話は……当時の蒼汰にとって、あまりにも無慈悲だった。
「で、実際に告白されたとして、遥は緋影くんと付き合うの?」
それは、蒼汰が何よりも気になっていたことだった。
告白する前に結果を知るなんてまずい。そう思って、一度引き返そうとした。
だが、もう遅かった。
「――それは無いかな」
遥の答えは。
蒼汰にとって、予想外のものだった。
何よりも――迷いすらせず、即答であった。
それが蒼汰には一番恐ろしかった。
「マジ? でも緋影くんと遥って、けっこういい雰囲気じゃない?」
「そうかな。一応、家が隣同士だし。お父さんとお母さんが蒼汰のご両親と交流があるから、昔っから色々お世話を任されてたけど。でも、男の子として見たことなんて一度も無いよ」
一度も無い。それはつまり、脈すら無いということではないのか。
蒼汰は緊張のあまり、心臓の鼓動が早まり続けるのを感じていた。
それでもなお、聞きたかった。遥の本心。直接本人に言わないからこそ知ることの出来る、語られることの無かった思いについて。
「親同士は、けっこうそういうつもりっぽいんだけどさ。正直、期待されても困るっていうか。私にも、彼氏を選ぶ自由ぐらいあると思うし。だから、お父さんとお母さんに蒼汰の彼女みたいな扱いをされるのって、結構苦しいっていうか、嫌なんだよね」
そうだったのか。そんなにも嫌がっていたのか。
蒼汰は絶望した。時折、遥の家に遊びに行くこともあった。自然と遥の両親とも顔を合わせる。その度にからかわれて、蒼汰は顔を赤くしていた。
でも……遥は嫌がっていたんだ。
気づいてしまった蒼汰が、遥の真意を悟るのはそう難しくなかった。
つまり、幼馴染という立場、両親の縁から仕方なく友達付き合いをしているだけであって。
本当なら、迷惑であって。
告白などは……以ての外だということ。
「でもさ、緋影くんけっこう女子の評価高いよ? 優しいし、勉強も運動もそれなりだし」
期待と違う展開だったのだろう。女子の一人が、一転して蒼汰を庇うような言動を始める。
だが、それでも遥は無慈悲であった。
「平均より少し上ぐらいでしょ? それぐらいじゃあ、正直あんまり魅力的じゃないかなぁ」
「まぁ、そっか。遥、成績も良いしスポーツも得意だもんね」
女子の言葉通り。斎藤遥という少女は天才の部類である。成績が学年上位であり、バレー部ではキャプテンを務めている。運動神経も良く、人に好かれる性格もあり、体育の授業ではクラスの中心人物となってチームをまとめ、活躍している姿を幾度となく見せてきた。
それをずっと見てきたからこそ、蒼汰は理解した。確かに、自分では不釣り合いだと。
「それに優しいって言っても、女の子に優しくするのは普通でしょ? むしろ他の男子が子供っぽいっていうか、情けないかな?」
「うっわ、遥ってけっこう理想高いタイプ? 意外~」
「っていうか、緋影くんでダメならもうみんなダメじゃない?」
「そうでもないよ? 陸上部の本木くんとか、けっこういいかなって思うし」
「あぁ、あいつね。でもあいつけっこう性格悪いらしいよ? 付き合うと変わるらしいし」
だが、陸上部の本木ならば蒼汰にも理解できた。勉強もスポーツも出来る男。蒼汰のような、必死に努力してどうにか平均より上程度のダメ人間とは違う。
人間としてのレベルが、そもそも桁違いなのだ。
遥の隣には、きっとそういった人間の方が相応しいんだろう。
最早――これ以上、聞く必要など無かった。
むしろ聞きたくなかった。
何も知らずに告白して……玉砕していれば、普通に友達としての関係に戻ることも出来たのに。
こうして全てを知ってしまえば、もう戻れない。
自分が、いかに友達としてでさえ遥に釣り合わないか。
一緒にいるだけで迷惑しているのだから、蒼汰にはどうするべきかが手に取るように分かった。
もう……終わりにしよう。
幼馴染として隣りにいるだけで、苦しいとまで言われるなら。
今まで遥という天才に釣り合うよう、努力を続けてきた。
その全てが無価値だったと言うなら。
自分自身が無価値であることも同義であって。
だったら遥にとって、無価値な存在になろう。
決して交わることの無い、赤の他人になろう。
そう決意した蒼汰は――その後、結局は約束の時間になっても空き教室を訪れることは無かった。
呼び出しておきながら、すっぽかしたのだ。
それ以来、蒼汰と遥は他人の関係である。
少なくとも、蒼汰にとっては。