第二十五話
最初に動いたのはヴィガロであった。
本来、ヴィガロは魔法師に類する能力者である。人類と比べて身体能力に優れるため、格闘戦もこなしはする。だが、本領は爆炎魔法――爆裂と火炎の二重無詠唱魔法による攻撃にある。
故に油断なく、万全の戦いを繰り広げるとするならば。ヴィガロはまず後退する。距離を取り、可能な限り後方から爆炎を放つ。対象との距離が開くほど、安全かつ強力な爆炎魔法を放つことが可能になる為だ。
今回も、ヴィガロは油断しなかった。異様な蒼い炎と化した人間を前に、自惚れはしない。確実に殺す為、後退した――はずだった。
「あ?」
そしてヴィガロの視界には、青一色が広がった。
ほぼ、本能に従った反応だった。ヴィガロは左手を掲げ、顔を守る。
直後――衝撃と、痛み。それが熱によるものだと気付いた時には、吹き飛ばされていた。
起きたことは単純。暴走するほどの魔力を込めたフレイムエンチャントにより、蒼汰の身体能力は異常なほど高まっている。結果として、ヴィガロが認識できないほどの速さで接近し、意趣返しのように顔面を殴ろうとした。
これをヴィガロが左手で庇いつつ、衝撃のあまり吹き飛ばされた。
「――ッハァ!! 冗談じゃねェ!」
ヴィガロはそう言いながらも、笑っていた。尋常ではない。そんな相手と殺し合うのが、何よりも楽しい。
より長く戦うため、ヴィガロは自分の左腕を引きちぎる。守るために掲げた左腕は、蒼炎に侵食されていた。まるでタールのように粘つく蒼炎が、消えること無くヴィガロの腕を焼き続けていたのだ。
全身が焼き尽くされる。そう直感したが故に、ヴィガロは腕を捨てた。すぐさま再生が始まるが、さすがに腕一本ともなれば時間がかかる。特に骨の欠損は、魔族の身体であっても再生が難しい。戦闘中に回復することは無い、と考えるべきであった。
つまりこの一瞬で腕一本を失ったヴィガロだが。それでも、戦意は喪失するどころか、むしろ燃え上がっていた。
「――なんで避けてんだよ、てめえ」
そんなヴィガロを見て、蒼汰は不機嫌そうに呟く。
「イライラするだろうが。なんで、死なねぇんだよ。消えろよ。お前なんかが、生きてていいわけねぇだろ」
「アァン? オレサマがなんだってェ? 生きてちゃいけねえ道理があるわきゃねぇだろォ?」
「あるだろ。俺が、ムカつくんだよ。てめえらみてえな奴らがいると、イライラするんだよ」
蒼汰が呟く言葉は――つまり、今まで蒼汰が他人に言われてきたことへの返答であった。あらゆる他人が、蒼汰という存在を徹底して拒絶してきた。ならば自分も、あらゆる存在を、徹底的に拒絶する。根拠など、一方的な、自分の都合だけでいい。
ただ不快だから。それだけで、人が人を殺す理由になりうる。今の蒼汰は、本気でそう考えていた。
故に――蒼汰はヴィガロを殺す。敵だからではなく。魔族だからでもなく。騎士団長や死んだクラスメイトの復讐でもなく。
ただ、自分ではない誰かだから殺す。
自分にとって不快な存在だから殺す。
「ボォっと突っ立ってんじゃねェぞ! オラァッ!!」
蒼汰に目掛け、ヴィガロは爆炎を放つ。幸いにも、蒼汰の一撃で十分すぎるほど距離が開いた。咄嗟に発動できる最大限の威力で、爆炎魔法を発動した。
その爆心地にて――蒼汰はヴィガロの生み出した爆発と炎に飲み込まれる。
「ヒヒハハハァッ!! どうだァ、さすがにこりゃあ堪えただろうがァ!」
笑うヴィガロ。炎の肉体であろうとも、爆破されて無事で済む道理は無い。そう考えての、魔法の直撃であった。
……だが。
「うるせえっつってんだろ、タコ」
赤いヴィガロの炎が晴れ上がると、その中心からはまるでダメージを受けた様子の無い蒼汰が姿を現した。
「……は?」
目を疑い、ヴィガロは間抜けな声を上げる。
即死でない可能性なら考えた。最悪の場合、僅かなダメージしか与えられない可能性もあるとも考えた。
しかし、まるで効いていないとは、考えもしなかった。
そもそも、ヴィガロの放った爆炎は強力無比なものであった。周囲の天幕やバリケードは、一つ残らず粉砕され、焼き尽くされているほどである。
だというのに、直撃した当の本人は無傷。
「――殺してやるから、少し黙ってろ」
ヴィガロの耳に届いた言葉は、それが最後であった。次の瞬間には脳を揺さぶる衝撃と――顔面を覆う灼熱の痛み。視界を埋める蒼が、自分が攻撃を受けたことを教えてくれた。
最も――それを知ったところで、もはや手遅れであったのだが。
「ギッ、ギギャアアッァァァァアァアッ!!」
ヴィガロの絶叫が駐屯地に響く。蒼汰は今度こそ、ヴィガロの顔面を殴り飛ばしたのだ。それと同時に蒼炎がヴィガロの顔面を燃やす。炎はねばつき、ヴィガロの頭部を絡め取る。払いのけようとするヴィガロの右腕にまで燃え広がり――ついには全身を焼き尽くす。
わずか数秒で、蒼炎はヴィガロの全身を燃やし尽くした。
後に残ったのは真っ白な灰と――燃やす対象を失い、消えゆく蒼炎から飛び散った蒼い火の粉だけであった。