第二十三話
――呆然と、立ち尽くしていた。
駐屯地がもぬけの殻となってから、どれほどの時間が経過したか。蒼汰には、もはやわからなかった。
だが、そう長い時間ではなかったのだろう。騎士団長、アルバートが命を掛けて生み出した時間は、一人の人間が持ちうる持久力と同等であるのだから。
全力でぶつかり合い――しかし、魔族は即死でなければ傷が塞がる。
体力が尽きた時点での敗北が確定していた、絶望的な状況であったはずだ。
それでも……勇者達が、そして蒼汰が生き残ることを信じて、一人残ってくれた。
(――すみません、団長。おれ、もう、生きたくないです)
生きろという単純極まりない命令すら守れない自分を、蒼汰は恥じた。一方で、もしも団長があの場に居たら、と考えてしまう。あの人ならば、自分を庇ってくれたのだろうか、と。
理屈で言えば、それはイエス。蒼汰が残るよりも、アルバートが殿を務める方が有効な足止めとなる。しかし――だからこそ、アルバートは南端の戦場に残ったのだが。
「……何だァ? 一人ものこっちゃいねぇと思ったが、一匹だけってのはどういうつもりだ」
姿を現したのは、六魔帝、爆炎のヴィガロ。その右手には――切り落とされたと思わしい、生首が一つ。
「……だん、ちょう」
騎士団長、アルバートの首であった。
「アァン? ボウズ、こいつの知り合いかァ? ケッ、こりゃあいいぜ!」
次の瞬間、ヴィガロはアルバートの首を上空に放り投げる。そして――炸裂。爆炎が生首を飲み込み、一瞬にして消し炭に変えてしまう。
「どうだァ、憎いかァ!? 憎いだろォ!! だったら戦え! オレサマを殺しにこいよォ! 死力を尽くして、本気でなァッ!!」
宣言と同時に、ヴィガロは蒼汰に向かって駆け寄る。これに、蒼汰はほぼ反射的に対応する。
「……フレイムエンチャント」
それは、短縮詠唱と呼ばれる技術。魔法の発動に必要な呪文詠唱を、意識の内で実行する技術である。これを極めることで、詠唱は無詠唱へと近づいていく。
この世界の言語が竜言語と呼ばれる、意識そのものと深く繋がる言語であるからこそ、可能な技術。
それを駆使して、一瞬にして魔法を発動した蒼汰は――しかし、身動きもとらず、ヴィガロの繰り出した拳を顔面で受ける。
途端、蒼汰は吹き飛ばされ、十メートル以上後退し、地面に倒れ伏す。
「――アァン? なんだ、テメエ。やる気あんのか?」
訝しむヴィガロ。まさか、蒼汰がこんな場所で、わざわざ殺されるために待っていた人間だとは、微塵も考えては居ない。
「オレサマが恐ろしくて、手も足も出ねえってか? それにしちゃあ、ビビってる風にも見えねえ。何なんだ、テメェはよぉ」
歩み寄る。そして、蒼汰の髪を掴み、持ち上げるヴィガロ。
「……ほう。アルバートと同じ身体強化だなァ?」
そして気づいた。蒼汰の魔法――フレイムエンチャントについて。
蒼汰が使った魔法は、火炎属性を持つ身体強化の支援魔法、フレイムエンチャントである。攻撃力を高め、火炎の魔法属性を攻撃に付与する効果がある。ただし、炎熱が使用者の身体に負担をかける為、長時間の使用には向かない。効果こそ他の属性と比べて高いが、使い勝手が悪い為にあまり使用されない魔法である。
だが、蒼汰は火傷耐性を持つ。その効果により、蒼汰が自分自身にフレイムエンチャントを使用する場合、メリットだけを享受可能となる。
また、蒼汰はアルバートからある『小技』を伝授されている。
それは、身体強化の中でも、属性を付与するエンチャントタイプの魔法にのみ有効な技。魔力を各属性に変換し、直接肉体に送り込み強化する。というのが、エンチャントの身体強化の仕組みである。
これを武器に使えば武器に火炎属性が付与可能であり、拳にのみ付与すれば拳だけが火炎属性を帯びる。つまり――エンチャントタイプの身体強化は、本来は魔法的な属性を武器に付与する魔法であった。
それがいつからか、肉体にも付与することで高効率な身体強化魔法として応用されるようになった。
そして、魔力を直接送り込む魔法であるからこそ――その量は、術者のさじ加減で調整可能である。
本来、魔法というものは過度な魔法を注ぎ込めば崩壊する。制御を失った魔法は崩壊、暴走、あるいは体内で魔力が炸裂して即死、といった現象を引き起こす。
しかし、エンチャントタイプの魔法はその許容範囲が広く、より多くの魔力を注げばその分だけ身体強化が強く発揮される。
アルバートはこの性質を利用し、暴走ギリギリまで魔力を込めた身体強化を行っていた。ホーリーエンチャントは術者への負担が最も低いエンチャントであるため、それが可能であった。
蒼汰の場合は、また話が異なる。未熟な蒼汰は、アルバートほどの魔力操作能力は無い。故に、暴走ギリギリまで魔力を注ぎ、その状態を常に維持するなどという人並み外れた技は持てない。
だが、蒼汰はフレイムエンチャントに限り、デメリットを無視できる。つまり、魔力をどれだけ注いでも、効果が高まる一方となるのだ。
その体質を利用したのが、本来の三倍ほどの魔力を注ぎ込んだフレイムエンチャントである。フレイムエンチャントの強化率の高さもあり、それだけでも一般の騎士団員を遥かに凌ぐ身体能力を発揮可能となった。
とは言え、未だに技術的には未熟である為、魔力の制御が荒く、油断すれば注ぐ魔力の量が一倍から五倍程度の間で変動してしまう。安定性に欠け、かつ五倍の魔力を注いだとしてもアルバートの身体強化には及ばない。
そうした理由もあり、未だアルバートからは免許皆伝を貰っていないのだが――それでも、技術としてアルバートのものであることに違いはない。
つい先程見たばかりの魔法でもあるため、ヴィガロがそれに感づかないはずが無かった。
「テメエがどういうつもりか知らねぇがなァ。アルバートは強かったぜ。テメエみてえなつまんねえ男じゃなかった。……そうだ、テメエとは違ったんだよォ!!」
ヴィガロは蒼汰を掴んだまま、腹に膝蹴りを入れる。ドスッ、と鈍い音が響く。衝撃で、蒼汰は胃の中のものを吐き出してしまう。
「クソつまんねえ。テメェがアルバートの技を使うってのが気に入らねぇ」
ゴミでも捨てるかのように、ヴィガロは蒼汰を放り投げる。今度は十数メートルを転がり、天幕に突撃してようやく停止する。
「死ねクズ」
ヴィガロの爆炎が、蒼汰に向かって放たれた。