第二十二話
足掻く、という気持ちも湧かない。
だが――蒼汰には、まだ手段が残っていた。今も懐に忍ばせている通信魔石。それが、残された希望であった。
通信魔石を取り出し、魔力を込める蒼汰。突然の行動に、誰もが驚く。特に騎士団員は、なぜ通信魔石などという高価なものを蒼汰が持っているのか、という疑問を抱く。
だが、驚きなど微塵も気にせず、蒼汰は通信魔石が繋がるのを待つ。
「――はい。蒼汰様、どうされましたか?」
ネリーの声が、通信魔石から響く。
「……ネリー。聞いて欲しいことがある」
蒼汰は、現状について説明を始める。
何故、ネリーにそのようなことを説明するのか。それは、騎士団の命令系統に理由がある。
騎士団とは各都市所属の治安維持組織であり、命令を下すのは軍部ではなく各都市の領主。つまり貴族である。
貴族が所有する組織であるが故に、騎士団には優先的に優れた人材が配属される。そうした理由もあり、騎士団という組織はその構造だけでなく、組織の末端までもが貴族の恩恵により成り立つ組織である。
そして――それぞれの勇者の専属侍女とは、つまるところ貴族の令嬢である。その多くは下級貴族の長女以下か、上級貴族の三女以下という、高い身分を持っている。これは勇者の血を家に取り込みたい貴族の思惑と、そもそも専属侍女というものが高貴な方々につけられることの多い役割であるため、失礼の無いよう貴族社会の知識をもつ令嬢が選ばれるという理由による。中には花嫁修業と称し、婚約者のいる令嬢もいる。あるいは、実力故に侍女としての格を上げてきた平民や、侍女や執事を排出する名家である場合もある。
が、やはり多数派は貴族の子女が占める。
他ならぬネリーもまた、貴族の子女である。とある侯爵家の、分家筋となる子爵家の次女、という身分を持つ。本家の侯爵家が王都の貴族である為、ネリーの発言は王都所属の騎士団にとって無視できない強さを持つ。
つまり……ネリーが蒼汰の味方にさえなってくれたなら、騎士団もまた蒼汰を守る必要が出てくる。勇者と対立したとしても、蒼汰の立場が守られる可能性が出てくる。殿として、一人死ぬだけの戦いに出る必要が無くなる可能性があるのだ。
そのために――蒼汰は通信魔石を使い、状況を説明した。何も知らないネリーにも分かるよう、簡潔かつ的確に。
説明は、それほど時間もかからずに終了した。
「……そう、ですか。蒼汰様が、まさか、そんなことに巻き込まれてしまわれたなんて……」
「なあ、ネリー。もう君だけが頼りなんだ。助けて欲しいんだ。俺が……殿なんて名目で見殺しにされない為には、ネリーの言葉が必要なんだ」
蒼汰は、自分でも信じられないほど声が震えているのが分かった。そもそも、他人に助けを求める、という行為を久しくやってこなかった。ましてや、状況が状況だ。数年ぶりに求めた救いが命乞いともなれば、仕方のないことであろう。
そして――数秒。ネリーが考え込むような間があった。その沈黙が蒼汰に期待感と、焦燥感を同時に味わわせた。
時間が無いんだ。早くしてくれ。と、蒼汰が急かそうかと思った瞬間。ネリーの言葉が響く。
「――ごめん、なさい」
「……は?」
蒼汰は、自分の耳を疑った。
だが、ネリーは蒼汰が聞きたくもなかった言葉を口にする。
「どうか、蒼汰様。私は貴方様を、本当に、慕っております。ですから、どうか無事にお戻りになられることを、願っております。それは本当に、そうなのです。けれど――それでも私は、この国の貴族なのです。私は、私の意思で、そのような選択をすることが許されない立場にあるのです」
希望が――砕けた。
足元から、何かが崩れていく。身体から何かが抜け落ちていく。
そんな感覚のあまり、蒼汰は腰を抜かす。その場に尻もちを付くように座り込んでしまう。
すっかり力の抜けてしまった蒼汰を追い打つように、ネリーの言葉が続く。
「どうか……蒼汰様。無事にお戻りください。私は、本当に、心から貴方様の帰りを、お待ちしております。いつまでも……どんなことがあろうとも……」
ネリーの声は震えていた。あるいは、涙しているのかもしれない、と蒼汰は思った。ネリーはネリーなりに、出来る限りのことを、伝えられる限りの言葉を駆使して、蒼汰の力になろうとしているのかもしれない。
貴族としての務めもあるのだろう。国の未来を何よりも考えねばいけない立場なのだろう。そして――それを願い、実行できるネリーは、貴族らしい貴族なのだろう。
だが。
蒼汰の命は軽いままだ。
ネリーであれば。あの日、自分のことを認めてくれた、理解してくれたネリーであれば。
もしかしたら――自分を救ってくれるんじゃないか。
自分を利用するような真似はしないのではないか。
なんて、期待をしていた。
しかし現実のネリーは、蒼汰の希望を打ち砕いた。
むしろ、逆なのだ。たとえ信頼していても。自分を認めてくれる、理解してくれる人でも。……好意を抱いてくれる人であっても。
蒼汰という存在が弱者で、都合のいい駒である限りは利用する。自分達にとってよりよい未来を掴むために。蒼汰という存在を、命を磨り潰すことさえ厭わない。
――よく、分かった。
そうか。俺は――生まれてこなければ良かったんだな。
生きてきたこと自体が間違いだった。
何もかもが、俺を否定する。俺が俺である限り、全てが俺の敵になる。
こんなに――生きているだけで苦しいなら。
もう、殺してくれ。
死なせてくれ。
殿なんてやるまでもない。もう、この場で俺の首を切り落としてくれ。
その方がてっとりばやいだろ?
――そんな風に。蒼汰の心を、絶望が支配した。
もはや、反論など湧くはずもなかった。
後は流れるように、事が運ばれていく。蒼汰は殿を務めることとなり、一人駐屯地に取り残される。
幸次郎が最後に激励の言葉を残して――後は、誰も、何も言わずに立ち去った。
そうして蒼汰は、ただ一人だけ駐屯地に、死地に取り残されたのだった。