第二十一話
「――彼に、年端も行かぬ子供に死ねと言うのですか!?」
騎士団員が声を荒げる。蒼汰は、あまりにも突然のことで、何も言えなかった。
「それが軍人なら、死ねと言うのが我々の仕事だろう。勇者が騎士の指揮下にある軍人である以上、そう告げるのは我々ではない。諸君の仕事だ」
総指揮官は、騎士団員を睨みつける。
「……前線を知らぬ腕自慢の騎士様には、少々過激すぎましたかな? しかし、これは事実だ。貴様らが綺麗事を都市の只中でほざく間に、ここの兵士に何百、何千回も死ねと告げてきた。それが我々の仕事だ。彼ら勇者とそう年の変わらぬ少年少女を見殺した数も、手足の指では足りぬほどある」
その剣呑な視線に、騎士団員は言葉を失う。
「あげくの果てに、逃げる勇者を守って死ねと? 力ある者が戦わずして、なぜ力なき一兵卒が逃げることも許されず、貴様らの為に死ななければならない!? ふざけるのも大概にしろッ!!」
ダァンッ! と、総指揮官は机を殴りつける。その怒りのあまりか、握った拳は震えていた。
総指揮官の剣幕の前に、誰もが言葉を失っていた。場を沈黙が支配して、数秒後。
「……これ以上、言うことはない」
こうして、口論は一方的に終了を告げた。
天幕から――駐屯地の本丸から、総指揮官は離れていく。既に口論の分、時間が経過している。軍から兵士を借りることが出来なかった以上、現実的な選択肢は一つに絞られた。
いや。総指揮官の一言で、一つ提示されてしまったと言っていい。
女子二名の縋るような視線が。剣城拓海の嘲笑うような視線が。騎士団員の申し訳無さげな視線が。そして佐々木幸次郎の、罪悪感すら感じていないような、嫌に力強い視線が蒼汰を貫く。
「――緋影君。俺を恨んでくれて構わない」
その前置きは、何の意味があってのものか。きっと――生き残る者に、自分は贖罪したのだと示すための行為であろう。と、蒼汰は思った。
「俺は……緋影君が殿を務める他にないと思う。あの魔族の炎を浴びて、ダメージを負わないのは君だけだ。足止めを出来るのは……撤退の時間を稼げるのは、君だけなんだ」
なんて――薄っぺらいのだろう。蒼汰は、そう思った。この男の善意は。正義感は。こんなにもあっさり、人を見捨てる。自分を取り巻く現実を、どうにか都合よく運んで行くために。
そして、それは正しいのだ。他人を自分の都合で食い物にするのは――強者が弱者を踏みにじるのは、正しいのだ。
ただ、自分が蹂躙する側だと思いもしていないような――弱者の味方でいるような面構えが、蒼汰にとって最低最悪の、何よりも唾棄すべき邪悪そのものであると思えてならない。
だから、反撃する。
「ふざけるなよ。俺がここに残って、なんでお前達の時間稼ぎをしなきゃいけないんだ。いいか、俺の耐性は炎しか防げない。爆発は防げないんだよ。爆発一発で、俺は終わりだ。死ぬんだよ。それでどうやって、時間を稼げっていうんだ?」
「でも、君以外にあの魔族の攻撃を、少しでも耐えれる人は居ない。違うかい?」
違わない。それは、紛れもない事実だ。
だが蒼汰が爆破を防げないことも、足止めとして成立しないことも事実だ。
そこで重ねて反論しようとした蒼汰だが、幸次郎のさらなる持論に遮られる。
「それに、殿を置かなければ君も一緒に逃げることになる。そうなれば、あの魔族が追いついて俺らを蹂躙する。君も一緒に、だよ。君があの魔族の攻撃に耐えられないというなら、足止めにならないと言うなら、どちらにせよ君は死ぬ」
事実、であった。緋影蒼汰は六魔帝ヴィガロに対して無力である。これを仮定するなら、殿を務めるか否かに関わらず、蒼汰は死ぬ。
「逆に――君があの魔族を相手に、少しでも戦えるんだとしたら。君が殿を務めた方が、クラスメイトの生存する確率が増す」
事実である。緋影蒼汰が六魔帝ヴィガロに対して有効な殿である、と仮定するなら。緋影蒼汰とヴィガロの交戦時、その近辺に他の勇者が居れば、巻き添えを食らって死ぬ可能性が高まる。逆説的に、緋影蒼汰は殿として、他の勇者と離れた場所でヴィガロと対峙するのが良い。
「だったら、お前も残れよ。戦力は多いほうが、足止めは有効だろ」
「勇者の中で、動ける人は少ない。俺がついていかなきゃ、勇者はまとまらないよ。それに、君と一緒に殿を務めても、俺なんか瞬殺されるだけだ。君とは違って、俺は無力だから」
いかにも悔しい、といった表情で。しかしその被害者気取りは邪悪そのものであって。
蒼汰は、目眩がするほどの怒りに支配されていた。
怒りのあまり、言葉が出ない。息が出来ない。視界が真っ暗になる。
「――緋影君。いや蒼汰! お願いだ! もう、君だけが頼りなんだ……っ!」
何も言わない蒼汰の方を掴み、苦しそうに言ってみせる幸次郎。その言葉に乗せられているのか、期待するような視線を蒼汰に向ける女子二名。
「なにも、あの魔族を倒せとは言わない。足止めだけでいいんだ。それで――出来る限りの足止めをした後は、逃げてくれ。どうか生きて――帰ってきてくれ」
まるで、蒼汰の味方で居るような態度で、幸次郎は言う。
しかしその実態は犠牲の強要。自分たちが生き残るために、蒼汰が死ぬことを求めている。
これが、現実だよ。と、蒼汰は思う。現実は、いつもこうだ。まるで善意や正義のような態度で、強者が弱者を蹂躙する。そこに存在する個人を否定する。蒼汰という人間の意思を認めず、道具のように使い潰す。
それが本来の使い道であるかのように――蒼汰の全てを否定する。
いつだって、世界はそういうものだったじゃないか。何を今更、と蒼汰は自分に言い聞かせる。
しかし……それでもなお、声が出せないほどの怒りに頭が支配されていた。
この場でぶち殺してやる。そんな考えさえ浮かんでくる。だが、理性がそれを制止する。
どんな形にせよ、蒼汰が殿となるのが最善であるとこの場の全員に伝わってしまった。となれば、その情報はいずれ他の勇者、クラスメイトにも伝わる。
そうなれば、もはや逃げ道は無い。もしも蒼汰が殿を拒否しようものなら。恐慌状態にあるクラスメイト達が――蒼汰をクラスの異物としか考えていない者達が、どんな反応をするか。
確実なのは、蒼汰には選択肢が無いということ。クラスメイトをその手で皆殺しにでもしなければ、自分が確実かつ安全に撤退することは不可能だということ。
そして……そこまでやったとしても、六魔帝に背後から追われることに変わりはないということ。
「……はは、そうかよ。そりゃあ、そうだよな」
つまるところ。蒼汰という存在の命は紙のように軽くて――騎士団も、勇者も、軍の兵士も、誰もがその生存を塵ほども望んではくれないのだ。
口先だけの生きてくれ、という願いのなんと軽いことか。正直に死ねとまで言った総指揮官の方が、よほど誠実で好ましかった。