The PrequelⅠ
令和記念に急いで書いたから、見苦しいところがあるかも……。
◇◆◇◆◇
視界には雲一つないといえば嘘になるが青い空と緑生い茂る草原とが、地平線を境に水と油のようにくっきりと隔てて広がっていた。
一体なぜ自分がこんな場所にいるのか、どうやって来たのか皆目見当もつかない。そんな不明瞭さをもどかしく感じ、次第にそれは増幅し孤独や不安へと姿を変え始めたので、当てはないがそれらから逃れようと俺は歩き始めた。
日は傾いているがそれがどちらになのかはわからない。いずれにせよ沈む前に何処か人気のある場所に辿り着かなければ危険だ。
ここは未開拓地なのだろうか。足元の草は自由奔放に生い茂り、常に膝下が隠れている。近くに川の一つでも流れていれば人里を見つけるのもそう苦労しないのだが、いかんせん物事はそう上手くいかないものだ。
二時間ほど歩いただろうか。どうやら日の傾いていた方角は西だったようで辺りは夕闇に染まろうとしていた。少し前から右手に森が見えるが肝心の川は依然見当たらない。
恐らく中に入れば川の一つや二つが見つかるかもしれないが、入ったら最後迷うに迷った挙句に餓死するか、花咲く道中で熊さんに出会い、屠殺の後にメインディッシュとなるのが関の山だ。
孤独と不安が焦りと恐怖に変貌し諦めかけたその時だった。風ではない何かが草原を掻き分ける音が聴こえた。恐る恐るその方を見ると、なんと人がいるではないか。狩猟銃を携えた男二人だ。
安堵からか力が抜け、よろめきながら俺は彼らの方へ向かった。相手も駆け足で俺の方へ向かう。
「おい、こんなところで何をしている。ここは立ち入り禁止区域だぞ」
そんなことを言われても遭難中の俺には与り知らぬことだ。
男の一人は侵入者に警戒心を抱いていたが、もう一人は温和に接してくれた。
「君、大丈夫? もしかしてお父さんやお母さんと一緒に来たのかい?」
「……いいえ。一人でここに来ました」
親不孝な話ではあるが、俺は両親の顔も名前も憶えていないのだ。それに気づいたらここに居たなんて言っても信じてはくれないだろうからはぐらかしてそう答えた。
「一人だって? そんなわけあるか。ここから一番近い町まで車で三時間はかかるぞ」
「まぁいいじゃないか。俺はスティーブで、こいつはジョナサン。君は?」
「俺は…………」
思い出せない。自分が誰なのかも。そうやって言葉に支えていると、ジョナサンが「これは重傷だな」と嘲る。それをスティーブが制すと彼は再び優しく、
「……あー、でも身体は元気なんだ。心配ないさ、何とかなる。取り敢えず俺らのキャンプ基地へ行こう」
そう言って男が指したのは森の中だった。一人で入るのは危険極まりないが、彼らと一緒なら大丈夫だろう。
この時は自己紹介もろくにできない自分の情けなさに、相当腹を立てていた。
◇◆◇
スティーブから訊いた話によるとここら一帯は自然保護区域で、人の手が介入しない数少ない原生地域なのだそうだ。
それでは狩猟銃を携え拠点を構える彼らは無法者ではないかと問うと、彼らの獲物はそこに棲む動物ではなくもっと別のモノで、曰くここは成仏できない悪霊の集うブラックスポットでもあり、それらを浄化させるために国から悪霊祓いが時折派遣されるそうだ。
それが彼らであり、ジョナサンは自らをゴーストハンターと称するが、その時はナンセンスなジョークだと思っていた。
「よし着いた……」
道とは言えぬ場所を歩き続け開けたところに出ると、そこには一台の屋根なしのジープと簡易的なテントがあった。
さらに耳を澄ませるとちょろちょろと水の流れる音がするので、音鳴る方を見るとそこには木々から零れた斜陽を反射する橙色に澄んだ湧水があった。腹も空いているがそれ以上に身体は渇きを訴えていたのでまさに神の恵みだった。
水を手で掬って飲んで落ち着いてから、これからのことを考える。彼らと別れた後、身寄りのない俺はどうなるのだろう。おうちをきいても名前をきいてもわからないとにゃんにゃん鳴く俺にあてはない。
そんな一抹の不安を誰かに伝えたかった。スティーブたちは明日俺をどうするのか知りたかった。
「あの、俺はこれからどうなるんですか……?」
「………………」
スティーブもジョナサンも何も答えなかった。二人とも俯いて何かぶつぶつ呟きながら、徐ろにこちらへ歩いてくる。様子がおかしい。
「な、なんです? ちょっと……」
気味が悪くなったので俺はジープの側へと回る。そこで俺はもう一つ奇妙なことに気付いた。
ジープに触れる指が感じ取る硬い金属の冷たさではなく柔い植物の温み。近づくまで分からなかったが苔が生し、それは内側まで侵食しシートにはキノコまでもがびっしりと生え、車内は小さな生態系をようしていた。
これは数日でやそこらで形成されるものではない。つまりは何年もここに放置されているのだ。そして、他に乗り物らしきものは見当たらない。
夕日が完全に地平線へと沈み、迎える暗夜が不安を助長する。
『サテ…………ヒサカタブリノ、エモノダァ……』
『ワカイ、タマシイダァ…………』
ついに聞き取れる言葉を発したスティーブたちだが、その形相は先程とは打って変わりそれまで整っていた服は所々破け、青白い肌の至るところから出血をしている。まさに屍人だ。いや、彼らこそ悪霊と呼ぶべきか。
『アア、モウガマンデキネェ……! 喰オウゼ? 喰ッテイイ?』
『オイオイ……オレモ喰イテェンダカラヨォ……』
そう言うとジョナサンはスティーブに身体を押し付けた。腐敗した肉体はその圧力に耐え切れずに壊れ血が噴き出る。死して魂のみの存在故、肉体への頓着がないのか。
その光景の悍ましきは俺の両足を不自由にさせるのに十分だった。自殺行為にも思えたその行為は、しかし互いの血肉が継ぎ接がれ新たな生命の創造だった。
『ウ……ブグクグ…………! ガルブブブゥ……!!』
血の泡を吹きながら悪霊は叫ぶと胸部から生える片腕と片脚を射出し、俺をジープに押さえつけた。
「…………ッ! 何だ……!?」
飛ばされた腕と脚は落ちずにそのまま俺を固定し続ける。鈍い音を立てながらジリジリと接近する悪霊からの逃走を図るも、ジープを蹴る音が虚しく響くだけだった。
『イタダキマァーース!』
刹那、俺と悪霊の間を光の幕が横切った。悪霊が苦しげな声を上げ立ち退くと、押さえつけていた腕と脚がポトリと落ちる。
男がいた。見た目は俺と同い年か少し上の青年で闇夜に溶ける黒い外套に身を包みこみ、右手には黄金に輝く剣を携えている。彼はゆっくりと立ち上がりながら、
「……やっと見つけた――――神様」
その紅色の眼に俺を映してそう言った。俺は神ではない。今しがた悪霊の食扶持となりかけた、どちらかといえば迷える子羊だ。
「黄昏……、お前の勘は的中したな。一つの魂周りに異常に増幅した黒霊力、流石だ」
青年の剣から光が解き放たれ一条に束ねられると、刀身が何倍にも伸びた。
悪霊はひどく狼狽えていた。つまりは目の前にいる彼こそが正真正銘の悪霊祓いということか。
『霊魂憑祓者――!?』
「あなたたちは三年前にここに派遣されたスティーブ・ルイス二級師とジョナサン・クック三級師。……随分と随分と変わり果ててしまったな」
あの二人が生前に悪魔祓いであることは本当だった。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。
「さて――煉獄に絆される魂よ、贖罪の刻だ」
今度は悪霊が森の奥へと逃走を図るが、光の射程からは逃れられなかった。大きく水平に描いた軌跡は、手前の木々はそのままに悪しき魂のみを両断した。
動力を失った肉体は糸の切れたマリオネットのようにだらんと倒れる。
黒套の男はすかさず右手を遺体に翳すと、遺体は突然燃え始め、たちまち灰となって夜風に舞った。
一件落着。と思ったが、男は未だ剣を鞘には納めず何かを警戒していた。
「ボーっとするな! 早くここから離れないと、奴らに殺されるぞ!」
男は怒鳴り、残った悪霊の遺灰を一掴みしてポケットに入れ、来た道を走って引き返す。奴らとは誰のことだ。引っ切り無しに起こる超常的な出来事に混乱しながら俺は彼の後を追う。
彼の走行はどういう訳か歩幅が5メートル程あり、あっという間に遠くへ行ってしまった。加えて足場が悪く全力で走ることもままならず、俺は遠くで剣の放つ光を見失わないよう必死だった。