6.立ち向かう風に消えて
次の日、蛹は冬月を伴って大浜高校を訪れた。全校生徒の殆どが移った大浜高校校舎は授業開始のチャイムが鳴った後でさえ、人の気配が全くせず、『お化け屋敷』にしか見えなかった。
ペタペタと歩く音だけが響く廊下を歩いていると、俯いていた冬月が蚊の鳴くような声を出した。
「やっぱり帰るわ」
冬月は言うや否や踵を返した。
蛹は冬月が振り返るワンテンポにタイミングを合わせ、大きく低めの後ろ蹴りをした。
走り出そうとした冬月の膝裏へ刺さる蛹の足。冬月は『カクン』と膝から崩れ落ちた。蛹は鼻で笑う。
「何回繰り返すんだよ。もう教室目の前だぞ。覚悟いれろよ」
冬月は尻をこちらに向けた状態で馬の姿勢になると、痛そうに自身の膝裏を擦る。しばらく後、恨めしそうに蛹を睨んだ。
「嫌よ。これ以上話が拗れる事件と関わりたくないのよ。また、私のせいになるじゃない」
「何が悪いよ。残飯にキャビアを掛けたって残飯は残飯だろ。今更何も変わりゃしねえよ」
冬月は口をワナワナと震わせながら立ち上がると顔を真っ赤にしてみせた。
「あなた人生を甘く捉えすぎなんじゃないの!?」
「はいはい。人生なんでもやってみなきゃわかんないだろ」
「さっきからそう言ってるけど、矛盾してるわよ。残飯とやってみなけりゃわからないって。残飯キャビア食べてから言いなさいよ。そういうこと」
「聞く耳持ちませーん」
顔を真っ赤にして怒る冬月を、蛹は肩を竦めて笑って見せた。冬月は更に頭に来たようで、上履きを投げつけようとするが、他の全員がいる教室が目の前ということもあって、唇を噛みながら手を下ろした。
蛹は鼻で笑い飛ばすと、冬月の手を半ば強引に引っ張りながら他生徒のいる教室の扉を開け放った。
「であるからしてこの公式は、多分こうすれば解けるってこと......。ああ。蛹くん、おはよう。今日は遅かったね」
ハゲ先生は虚な視線を蛹に向けた。忙しすぎて中々眠れていないのだろう。ゾンビのような様相を見た蛹は、口の端を引くつかせると咳払いをしなおしてから教卓の前へ陣取った。
携帯電話を触る秋野は視線を逸らすことなく、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
「蛹じゃん。なんか良い方法でも思いついたわけ?」
「ご挨拶だな。ちょっと話がしたくて来た。おい入ってこい」
冬月は申し訳無さそうに頭を何度もペコペコしながら教室へ入って来た。
秋野はチラリと携帯から目を逸らすと冬月を見た。教室に響く二人分の舌打ち。秋野と五月雨だった。
秋野は椅子を飛ばすように立ち上がると冬月を指差した。
「なんでこいつがここにいるわけ!?」
五月雨は机にペンを叩きつけると嫌みったらしく腕組みしながらのけぞった。『ギイィィィ』と音がして背もたれが悲鳴をあげる。五月雨は眼鏡をあげた。
「.....蛹くんに呼び出されて、学習塾をキャンセルして来たんだが無駄だったか?」
蛹はことここに来て五月雨の顔の皺を見て後悔をした。だけど、ここからが正念場だ。蛹は口の端を引き上げた。
「......昨日の話を後々思い返してみたらなんか引っかかってな。どうして当日現場に居なかった奴が、冬月を責められる?」
「お前が調整出来なかったことをコッチのせいにしようってわけ? 信じらんない」
秋野は携帯をドスンと置くと目を釣り上げた。冬月は蛹の後ろでビクビクしている。口を挟む気すら起き無さそうだ。
蛹は秋野の姿を見て唇をとびきり曲げて嫌味を言った。
「いいだろ? どうせ同じ穴の狢だ。仲良くやろうぜ」
「どこが? お前の非をコッチのせいにしないで欲しいわ」
「まあまあ。そう言うなって。これからのことを話しようかと思ってな」
「何? 金の無心でもしてきた訳? それとも、出来ませんでしたって、開き直って謝るわけ?」
「いや、思ったんだけど意外にこの状況が面白いんじゃないかと思ってな」
「何が」
「どうせこれから何の役にも立たない人間達の罵り合いなんて、多分一生見れないだろ?」
「はあ?」
秋野が盛大に口を開けた。五月雨はやれやれと首を横に振った。蛹は続ける。
「だってそうじゃないか。もうまともに他校と組むこともできない訳だし。上手くいけば誰かに便宜を図ってもらえるかも知れないけど。いつも学校にいなかった奴らに便宜を図る良い奴なんていないだろうしな」
秋野は目を瞬かせた。
「何を!?」
「だってお前ら友達いないだろ? どうせ」
「友達くらい居るし」
「ほう、じゃあ俺なんかに交渉ごとを頼らず、友達を介して話してもらえば良いじゃないか」
「それは......」
秋野はそう言って視線を逸らした。蛹は更に口角を上げた。
「出来ないだろ。どうせ。お前らそんな大切に思われるほど、まともな交友関係持ってなさそうだもんな」
秋野は額に青筋を立てると声を振るわせながら呟いた。
「殺してやる」
蛹は笑い声を上げた。
「おーおーこわいこわい。口ばっかり上手だな。これだから使えない奴を見るのは楽しい」
秋野は蛹の言葉に筆箱から鉛筆を取り出すと、机を蹴っ飛ばして蛹に飛びかかろうとした。すんでのところで春鳥が止めに入る。
「怒るのはわかるけどちょっと待てよ。武器はあかんて」
「コイツだけは殺してやる!」
春鳥は秋野の羽交締めにして固定する。時と場合によってはセクハラと訴えられそうだなと、少し冷めた目で蛹は見ていたが、頭が爆発した秋野は気にしていないようだ。
「それで何をしたいんだ? 煽ったからには何かやりたいことがあるんだろ?」
五月雨は少し離れたところでため息をついた。ここ一番だと気合を入れて、手を叩いた。
「そーそー。そう来なくっちゃな。俺はちょっと頭に来てるんだ。三つ星ご令嬢っていうイケスカねぇ奴が居てな。ちょっとぶちかましてやりたいと思ってるんだ」
「戦闘をもう一回やると?」
「大正解」
「嫌だね。三つ星ご令嬢どうこうはさておき、僕はお前が気に入らない」
五月雨は心底嫌そうな顔で蛹を睨んだ。蛹は少し奥歯を噛み締めた。
「ヒュー。怖いねぇ。そんなに睨まれたらちびっちゃうよ」
蛹は笑顔を剥がすと一呼吸を置いた。
「だけど、真面目な話。これ以外策が無いと思えてきた」
「勝てるのか?」
五月雨は鼻を鳴らした。
「そりゃ負けるに決まってるだろ? 人数差だってある訳だし、普通にやれば勝てる要素なんて万に一つもありはしない」
「普通にとはどういう意味だ?」
「お? やる気か? 一回聞かれたからにはもう降りさせはしないぜ」
「話くらいは聞いてやるって言ってるんださっさと話せ」
「そうですか。冷めてらっしゃるご様子で。まあいいや。お教えいたしましょう。実は勝てる要素があるんですよ」
「それは?」
「相手がこちらを侮っていること」
「それが何になる?」
「相手がこちらを侮っているなら相手からすればこちらの策は全て読めていると思っている。であれば、こちらが有利な条件を飲む可能性が高い」
「ハンデくらいはあるかもな」
「戦争も何も準備が大事っていうだろ。桶狭間の戦いって知ってるかよ?」
「織田信長が今川義元を討った戦いだな」
「今川軍2万5千に対し、織田軍5千。勿論、真っ向勝負では勝てない戦いであったものの、本陣を襲い勝ちを取った訳だ。戦争に勝つのは人数もあるが、条件をいかに自分が勝てるように操作することこそが重要だと俺は思ってる。情報で縛り付けて相手が動かなくできるのであれば、それらをすっぱ抜いて襲えば良い」
「相手にそれらを引き出させると? この前交渉を失敗しておいて、そんなことを信用しろと?」
「まさか。作戦の第二弾がありますとも」
「それは?」
「俺の頭の中に......」
「くだらん。帰れ」
「いや、計画を話せないと言うわけじゃない。俺は元々静岡日本帝国大学校にいた」
「だから?」
「地の利があるということだと思う。内情をよく知り尽くしている。良いも悪いも」
今まで黙っていた夏山がボソリと呟いた。蛹は少し鼻白んだ。
「お前はおバカキャラかと思ったんだが」
「初対面におバカは無いでしょ。ちょっとラーメンを食べすぎてるだけだよ」
夏山は遠い目をしながらニヒルな笑みを浮かべた。コイツ意外と頭がいいのかもな。蛹はそんなことを思った。
五月雨は首を振りながら声を荒げた。
「あり得ない。まともに考えろ。俺らが今まで真面目にやって負けてきたんだぞ。他の学生たちも同じように負けて来ている。俺らに勝てるわけないだろ」
「そこで考えたんだが、***とすることは出来ないだろうか?」
蛹の言葉に全員が白い目を向けた。