星の河を渡って
これでも頑張ったのだよ…。
白い息と言うのは空気に不純物が混じっている証だと言った。空気が本当にきれいなところでは寒くても息は白くならないのだとも。
都会はもちろんのこと、今訪れている、所謂田舎の山の中でも息は白い。そうなんだ、と言って僕は彼を見て、また視線を元に戻した。
彼はいつも通りの何を考えているのかわからない顔をしていた。きっと、何も考えていないのだろうと言うのは今までの経験から分ることだ。
僕たちは今先ほども言ったように所謂田舎の山に居た。何故居るのかという説明は追々説明しようと思う。ただ、目の前に広がる満天の星はとても綺麗だ。星座なんて全く分からない僕でもなんとなく北斗七星は分った。独特の、ハテナマークのような星座は昔、僕の親の世代にはやった漫画の主人公の胸に刻まれている。親がその漫画を好きで家に全巻揃っていた僕は小学生の頃、ワクワクしながら読んだ。
グロテスクなシーンもあったが、主人公は勧善懲悪であり、公平で、不平等で、素晴らしいと思ったし、僕も主人公と同じことができると信じた。
結果は親に怒られて終わったものの、それもいい思い出である。
「ねぇ、あれが北斗七星でしょ」
「へぇ、馬鹿なのに分るんだ。そうだよ、正解」
一言余計であるが、僕が馬鹿なのは事実である。中学生のころのテストは0点をたたき出すこと数十回。大阪と東京は隣り合っていると、つい最近、そう去年まで本気で思っていた。
「馬鹿でもわかるよ。漫画で何回も見たし」
「漫画…?あぁ、あれね。今でも破けた服が次のページでは直ってるのが納得できない」
「それはきっと同じ洋服を何枚も持ってんだよ」
「服がもったいない」
今でも時々納得ができないが、無理やり納得する。どうでもいい、くだらないことがものすごく気になるのは全人類に共通していると信じたい。
決して僕が面倒なわけではないと。
その証拠に隣の彼はまだぶつぶつ言っているし。
「それよりもさ、この後どうするの」
「ん、えーっと、どうしようか」
「取り敢えずお風呂屋さんに行こうよ」
「えー、下りるの面倒じゃん」
「でも寒いんだけど」
「はぁ、しょうがないね」
しぶしぶと言った感じを出しているが彼もお風呂に入りたかったに違いない。何故なら彼は嫌なことは絶対にしないからだ。マイペース、はっきり言えば我儘で自己中で腹が立つ。だけど彼は誰よりも優しくて賢くて強い。
僕にはないモノを沢山持っている。
うらやましい限りだ。
歩くたびにザクザクと音がするのは霜が降りているからだろう。枯葉を踏むのと同様、霜を踏むのはなぜこんなにも楽しいのだろうか。音が耳に溶けていく。
外灯も何もない山道を迷うと来なく、臆することなく歩けるのは今出ている大きな月のおかげだ。何年に一回だの何十年に一回だの言われている、月がとても大きく見える日らしい。そのおかげで月明かりがいつもより明るく、夜にしてははっきりと周りが見えるのだ。
無言で歩いていると麓についた。もう少し歩けば町につく。町と言うには少しおこがましいような町並みだ。
シャッターの降りた建物やボロボロになった家、そして荒れた土地。コンビニがあるのか不安になるような寂れっぷりだ。
「お風呂屋さんあるかなぁ」
僕の独り言に彼があるでしょと答えてくれた。あるといいなぁ。
何処にあるのかわからないが、一番明るい方向へ歩く。人が居ればその分お店もあるからだ。きっと。
「あのさ、天の川って今見れないんだね」
「見れないこともないと思う。でもやっぱり今は見れない」
「だよね。夏にさ、もう一回来ようよ」
「覚えてたらね」
「やった」
七夕の話は好きではなかった。年に一度しか会えないなんてかわいそうだけどロマンチックだと女の子が言っていたが、元々本人たちがきちんとすべきことをしていれば一緒に居れたのに。どこが悲恋でロマンチックなのか。
自業自得の一言に尽きる。
「天の川かぁ、泳いでみたいなぁ」
「泳げたっけ」
「泳げたよぉ。ビート板があれば。でも天の川だから。水じゃないじゃん」
「星にあたって死んじゃうよ。それだったら泳ぐんじゃなくて只見るだけのほうがいいでしょ」
「分ってないなー。それだと面白くないよ」
「面白いか面白くないかの問題?」
「そうだよ」
「そうか」
「そうだよ」
彼はもういちど小さな声でそうかと呟いた。
「じゃぁさ、泳がなくてもいいから一緒に星の河を渡ろう」
「浅瀬で、だな」
「うん」
それから僕と彼はまたしばらく無言で歩く。十分ほど歩いた。周りは大分賑やかになってきた。電気のついている建物が増えてきたのだ。きっとお風呂屋さんは見つかる。
「あぁ、見つかった。あれでしょ、きっと。銭湯って書いてる」
ほら見つかった。受付にお金を払い脱衣所へ向かう。見た目通り、予想通りのガラガラっぷりに何故か笑ってしまった僕を彼が怪訝な顔で見た。
それに何も言わずに服を脱ぐ。彼も構わず服を脱ぎ、二人で浴場に入る。特有のむわっとした空気や匂いがどこか懐かしいのは小学生や中学生の頃に行った修学旅行を思い出すからだろう。
お風呂ではまず最初に頭を洗ったほうがいいと言うのはテレビで見た。そのあとに体を洗い、最後に顔を洗うのがいいんだと。理由も言っていたが、忘れた。ただ何となくシャンプーやリンスが関係しているのは分る。リンスはぬるぬるするから、体や顔についているとまずいのだろう。
「はぁ~…。気持ちい」
お風呂に入るとなぜか最初に深い息が出るのは何故なのか。暖かい、いや、熱いお湯に安心するからだろうか。体が赤くなるくらい熱いお風呂が僕は大好きな僕はそう思った。
「この後どうしようか」
僕の問いに彼は心底面倒だという顔をしながらため息をついた。彼は僕と同様に自分で予定を立てるのが苦手だし嫌いなのだ。分っているが、彼に丸投げをする。こういうのは早い者勝ちなのだ。要するに弱肉強食。弱きものは強きものに食われる定めなのだ。
「ん~、とりあえず、ゆっくり湯船につかる。その後は体をふいて、髪を乾かして、服を着て、水を飲む」
「で、その後は?」
「うん、二人で考えよう」
「げぇ~」
やられた…。こうなってしまっては僕も考えなくてはならなくなってしまった。僕は彼に、彼は僕に甘いことを失念していたのだ。はぁ、面倒だ。
その後彼の言ったとおりに体をふき、髪を乾かし、服を着て、水を飲んだ。僕も彼も牛乳を一気飲みすると気分が悪くなる。だから風呂上がりの定番ともいわれる牛乳やコーヒー牛乳、そしてフルーツ牛乳を飲むことができない。可哀想である。まぁそもそもの話そんなに僕は牛乳が好きなわけではないので問題はないわけなのだが。
「明日さ、どうする?」
「うん、それも一緒に考えよう」
「うん」
「どのみち行く場所は決まっているわけだし」
「そうだね」
「疲れたか」
「眠い」
「お前は、いつまで経っても変わらないな」
「うん。だから、そばに居てね」
「いるだろ」
「でも…」
「いるから」
ウトウトと彼の肩にもたれる。もう寝ろ、と言いながら彼は僕の頭をなでる。きっと彼はこの後僕と一緒に寝るだろう。先程休憩室に移動しておいてよかったと、薄れる意識の中で思った。
僕と彼が出会ったのはいつだっただろうか。気がつけば彼が僕のそばに居るのは当たり前で、彼が居なくなることなんて考えもしなかった。それはきっと彼もそうだ。それまでに僕と彼は当たり前なのだ。僕は彼に何でも話した。彼は僕に話すことはなかったが、それでよかった。僕の話を聞くのが好きだと彼が言ってくれたから、僕が話す役で、彼は聞く役だ。それは周りから見ればあまり良くないのだろうけど、僕たちはそれでよかったし、満足なのだ。
満たされる。
家の押し入れで一緒に隠れ、公園で一緒にブランコに乗り、一緒に学校に通った。ご飯も、勉強も、お風呂も一緒だった。何をするにも僕と彼は一緒に居た。一緒でなければならなかった。
彼は僕の半身であり、僕は彼の半身だった。
だから一緒に居るのが当たり前で普通で正しいのだ。
懐かしい夢を見た。詳しくどういう夢だったかは忘れてしまったが、ひどく懐かしいと言うのは確かである。寝る前に昔のことを思いだしたからだろう。僕は昔から影響されやすい人間であった。テレビで見たものや、その日一番深く考えたものが必ず夢に出てくる。その時は待っている者が夢に出てくる事なんて日常茶飯事であり、夢はその日その時僕が興味を惹かれたものが反映されるのだ。それ故に、夢には必ず彼が出てくる。彼が夢に出てこなく日は来るのだろうか。
「あぁ、会いたいなぁ」
小さく、しかし確実に僕は寝言でそう言った。誰に会いたいのかは僕自身でもわからない。きっと、深層心理で無意識に願って居ることなのだ。会いたい。
次の日、僕たちはまた山を登っていた。昨日の夜上っていた山とは違う山だ。電車を乗り継いで行く。山をなめきっている僕たちは少し着込んだだけの服装で、きっと今から山に登るなんて誰も思わなかっただろう。彼は昨日と変わらず何を考えているのかわからない顔をしながら歩いている。
早く夜になればいい。そうすれば満天の星がまた見れる。星を見て感動して泣くなんてことはない。凄い綺麗などと言う小学生のような感想しか出てこない。それでも星を見るのは好きだ。
「ふふ」
いきなり笑う僕を彼が不思議そうな顔で見る。どうしたんだろう、と言うよりはいきなり不気味な奴だ、というような顔ではあるが。
「今日も星見れるかなぁ」
「見れるだろ。今日は天気がいい」
「だね」
それから僕と彼はたくさんの山に登り、たくさんの星を見た。命を燃やす輝きは雲や雨によって見れないことがあった。
熱が出て見れない時があった。喧嘩をして、意地を張って見れない時があった。
それでも僕と彼はたくさんの山を登ってたくさんの星を見た。
人間のいなくなった地球で。
「ねぇ、綺麗だよねぇ。本当は、分ってるよぉ。でも、一緒に見たかったんだ」
一人で山を登った。一人で山を下り、一人分の料金を律義に支払い、お風呂で熱いシャワーを浴びた。一人でお茶を飲み一人で寝た。喧嘩だって本当はしていない。全部気のせい、いや幻だ。分っている。
今までずっと一人だったのだ。
「あーあ、本当に、一緒に見たかったのになぁ」
いきなりいなくなるなんてひどいや。
僕もきっとすぐに死ぬだろう。それまで一人だ。すぐに死ぬとはいえそれまで時間がありすぎる。人の気配が無いこの地球と呼ばれていた星の日本と呼ばれた小さな島国。そこで、これから死ぬまでどうすればいいと言うのだ。
「会いたいなぁ」
涙が頬を伝っても、この世にたった一人になっても、音楽の歌詞のようにロマンチックではないし、マンガや小説のように新しい仲間は出てこないし、ドラマのように運命があるわけでもない。
なぜ、たった一人僕だけを置いて行ったのかはわからない。どうして。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
「どうして!」
喉を裂くような叫び声が出た。
会いたい。皆に会いたい。なんでどうして。
いくら考えても答えが出ることはない。でもきっと、僕を置いていった彼はそれでも僕に生きていてほしいと思っているに違いない。
それならば僕は彼の想いに答えなければならない。
孤独でおかしくなること間違いないが、おかしくならないうちは彼と一緒に山を登って星を見よう。
星の河を彼と一緒に渡るために。