2話〜勇者のお勉強(6/7)
僕とエンジュさんは、お互いに目を逸らし合い、沈黙を保っていた。
僕も少し泣いたし、エンジュさんは沢山泣かせてしまった。目が赤いのは、たぶん、僕もだろう。
勝手に泣いた僕と、僕が泣かせたエンジュさんという状況。大変申し訳ない上に僕が途方もなくダサい。
しばらくすると、不意にエンジュさんがスッと立ち上がる。
「アンス様、お茶を、淹れてきます」
「え、あ、うん。あ、ありがとう」
そう言って、戸に向かい、引くのと押すのを間違えたのか戸に激突してから、サッと部屋を出て行った。
心配の言葉を投げる余裕もなかった。
天井を見る。部屋の中を見渡す。改めて、全く知らない場所なのだと認識する。
此処に来て、まだ半日も過ぎていないのに、会った人たちを期待させ、落胆させた。半日も過ぎていない女性を喜ばせ、悲しませ、気を遣わせてしまった。
いいとこないなぁと思う。
でも、いいとこ見せられる様になりたいなとも、思う。
前の世界で何も出来なかった分、しなかった分、こっちでは、頑張ってみたい。前の世界と違い、期待されてるんだから。魔法とか、勇者とか……剣とか槍とか盾とか選ばれし者とか、戦いは怖いけど、憧れていたわけだし。
そう。選ばれし者なんだ。そう。そこはとても、胸躍る……そういうとこしっかり見てポジティブにならないと。
正確には前に努力した人のセーブデータ引き継いだみたいな感じだけど、かつて魔王を圧倒した人の身体を引き継いだんだから、ちょっとメンタル弱い僕でも、かなりの活躍ができる、と思う。
試しに、部屋の椅子を軽く持ち上げてみる。
普通に重くて、特別楽でもない。
なんか少し嫌な予感。
「……なんかこう、超人的なパワーを体感するかと思ったら、前の世界と大して変化がない。なんで、使い方があるのかな」
もし、特殊な呪文とかがあるとすると、その説明書がないと、僕は僕の身体を上手く扱えないことになる。それは、とても困る。
そう考えてから、さらに最悪の場合が思いついた。
「……若返りの影響で、大人の頃に身についたものが全て外れたりしちゃってたり……したらどうしよう」
セーブデータ消しちゃった、という様な最悪の事態。その場合少なくとも消したの僕じゃないわけだけど、それにしても、僕の存在価値が文字通りゼロになってしまう。
……これはエンジュさんに聞きたいところだけど、最悪、さっきの今で更に悲しませることになるなぁ。
やや血の気が引く。でも、知らないままじゃ今後なんか戦いになった時に死にかねないし、聞かざるを得ない。
どうか、せめて、今使えないだけで、失っていませんように。
そう願っていたら戸がノックされたので、思わず跳び上がってしまった。
エンジュさんは、二杯のお茶をお盆に乗せて戻って来てくれた。茶菓子……なのかわからないけどフライドポテトみたいなものもある。
お茶はマグカップに近い容器に入っていて、銘柄忘れたけどよく飲んでた紅茶の様な匂いだった。アッサム、だったかな。色は、カップの色が濃い上に、蝋燭の灯りなのでよくわからない。
「どういうお茶が好みかわからなかったので、その、甘めで落ち着くお茶をと」
「ありがとうございます。いただきます」
啜る。熱い。置く。
舌がヒリヒリしている。熱さとは別に、少しスパイシー。チャイみたい。
「えっと。あの、お口に合いませんでした?」
「いえ、あの……ねこじ……熱かったもので」
猫舌という言葉が通じるのかわからなかったので、言い直した。
「あぁ、すみません」
「こ、こちらこそすみません」
ペコペコと頭を下げ合う。僕はそうだけど、エンジュさんも日本人的ですね。気が合いますね。
この部屋には、椅子が一脚しかなかったので、僕はベッドに腰を下ろし、エンジュさんには椅子を使ってもらうことにした。
部屋の中では、紅茶を啜る音だけが反響していた。あのフライドポテトみたいなやつは、エンジュさんが手をつけないので、僕も手をつけられていない。
しばらくして、真面目な顔でエンジュさんが口を開いた。
「私は、伝説の勇者に憧れております」
「あ、うん。はい」
我ながら相槌下手だなと。
「だから、というわけではないのですけど……いえ、だからなんですけど、アンス様には才能もありますし、その、良ければ、いずれ、勇者様の様な勇者様になって頂きたいなって、思ってます」
「う、ん」
そんな素質は、やはり、あまり、自信がないけど。なんかなくなってる危険性感じたし。でも、やるって言っちゃったしな。
「僕はまだ、勇者じゃないから、様付けなんてしなくて良いですよ。呼び捨てでも」
「それは私が多分耐えられませんので、アンス様が様付けに耐えてください」
「えー」
様付けなのに立場低いなぁ。
そう思ったら、くすくすとエンジュさんが笑っていた。
「冗談です。申し訳ありません。お嫌でしたら呼び方を変えます」
嫌ではない。でも、そんなに持ち上げられるほど、大層な者でもないので、気が引けます。悪い気はしません。むしろ少し良い気分です。
そう言おうかと思って、でも口から出たのは、別の言葉だった。
「あ、あの……気を悪く、してないですか? 僕、こんなに無知で、それに情けないこと言っちゃって」
なんで確認取ったのか自分でもわからない。でもなんか、聞かずにいれなかった。こんな自分でも大丈夫だと、言って欲しかった。自分の弱さが嫌になる。
おずおずと訊ねると、とんでもないと、エンジュさんは首と手を振って答えてくれた。
「あの、こういうと少しなんなのですけど……こういう風に話せて、教えられて、夢みたいで……色々聞きたいこともあったので、残念でもあったんですけど、それでも、本当に嬉しくて」
はにかみながら言われた言葉が、向けられた好意が、胸に刺さる。偽者だけど……と思うのは、減らそう。そして、いつかやめよう。
……うん。本物にならなくちゃ。
そう思った。思ったから、僕は、僕のことを聞くことにした。
「あ、あの……エンジュさん。僕、力の使い方とかわからないのですけど。椅子とかも、普通に重いし……あと、そう、魔法とか。なんかそういうのって、その、どうやったら……勇者としての力って、どうやって発揮すればいいのでしょう……その、えっと、失っちゃってたりとか、しませんか?」
我ながら、会話が下手過ぎだと思います。
「え? あぁ、まだお話ししてませんでしたね。やはり力、あんまりないですか? 詳しくは鑑定してもらおうかと話をしていたのですが」
話が見えない。
「勇者様のお話は魔王討伐の後も少しありまして。勇者様は魔王討伐後に、ご自身でお力を封印されてしまったんだそうです。剛力も、俊足も。魔力も、武器も」
「……え?」
ちょ、え……じゃあ、何……僕……この身体、封印を解かないと、ほぼ一般人なの?