1話〜勇者の遺産
僕は……浮いていた。
うん……うん。うん? あれ……なにここ。どこ。夢……雲の上?
足元に広がる、白い綿の様な地面。でも、足が届いていないから、本当に綿なのかは確かめられない。あぁ見えて硬いかもしれない。あぁ、なら、着地したら痛いな……突き指とか。
でも着地する気配はない。上にも下にも、僕は動く気配がなかった。
ここは、じゃなくて、いや、えっと、あの、なんで浮いてるのかな。手品? じゃないよね。夢、かな? 死んで……死後の世界、じゃ、ないよね?
そんなことを考えた時、ふと、頭に、景色が蘇った。
景色が急に傾いで、横目に車のフロントが見えた。
少し、脇腹が痛んだ。気がした。
……あぁ。そうか。僕、轢かれた、のかな。
なんとなくすぅっと理解できた。
そして、ひどく力が抜けた。
思い出した。確か、雨の日。高校に向かう道で、虫に驚いて、足が滑って……その後の光景は、さっきの有り様で……やぁ。そんな。うわぁ。
虫を避けてって……車が来てたんだなぁ。あぁあ。それはほんと、情けないことになったなぁ。
轢かれたことは僕の責任なんだろうなぁ。あぁ、後悔は、少し……たぶん、多めに、あるみたい。
バイトとかしてなかったなぁ。部活も。なにも。なんか、やっておけばよかったかな。
目立ちたくなくて、何もしなかった。
目線を合わせたくなくて、伸びた髪で目を隠してた。
そんな僕が、よくそんなことを考えるものだと、笑ってしまう。死んでようやくじゃ遅いよね。
あぁ。悲しませちゃったかな。
それは、親をなのか、友達をなのか、それとも他の人をなのか。あまり自分でも絞り切れないまま、そんなことを考えて、ゆっくりへこむ。
泣きたい気持ちはないけれど、ただ、むしろ、泣けないことが悲しくもあった。
はぁ。
溜息を吐く。そして顔を上げた。
なんか居た。
「わぁ!?」
目の前に、線香の煙が人を象ったみたいな、そんなのが居た。
人っぽいけど……生き物、なのかな? あぁ、僕死んでた。じゃあ、死に物……? 語呂と縁起が悪い。まさか僕もあんな感じ?
手を見てみる。普通の人の手に見える。少なくとも、煙の様ではない。
ほっと、特に意味のわからない安心をした。
でも、それはそれとして、目の前に人型のあれは……そして、そもそもここは。
何もわからず、首を傾げる。
しかし取り敢えず、今できそうなこととして、目の前のそれに話し掛けることしかなさそうなので……話し掛けることにした。
「あ、あの……話せる、感じですか?」
こんな言葉を絞り出すのに三分くらい掛かりました。人見知りって死んでも治らないんだね。
反応を期待しつつ、怒られたらどうしようとか考えながら、僕はそれの返事を待った。
『……少年よ』
あ、返事来た。厳かな感じで。よく聞き取れなかったけど。
安心した様な、少し怖い様な。
「あ……は、はい。あの。は、話せ、ます、ね?」
会話が出来るとわかった途端どもる自分に泣きたい。
『……き少年よ……か弱き少年よ』
お、厳かな感じで心抉ってきた!
「うぐ……あ、の。はい、弱い、です」
泣きたい。
これはなんだろ、罰せられるのかな。親より早く死ぬと行く地獄みたいなのあったよね……それかな。それなのかな。針の山で石積んだりするのかな……
ゾッとして、目を逸らす。でも気になるから、ちらりと見る。
最初は不鮮明だった目の前の煙の人は、徐々に姿がはっきりしてきて、それに合わせて、声もくっきりとしてきた。
『野心を持たず、陰徳を良しとする、報われぬ少年よ』
……今一つピンときてないけど、特殊な言い方でダメな子って言われてる気がする……
「あ、あの、あなたは……僕の声は、聞こえて、ます?」
『おお。声が届いた。聞こえているか、か細き声の少年よ』
うう、どこまでも……
「あ、あの……あの、ですよ? あの、あなたは、その」
『すまない。気を害させたか。許せ。私は少し人の気に疎いのだ。生前の在り様を探っていただけで、罵倒をする気はなかった』
それ全然フォローになってないですよね! むしろトドメですよね!
……あとやっぱり、死んでるんだね僕。
『あまり時間がない。悪いが聞いてくれ』
「あ、はい。すみません」
萎縮。
この人は、閻魔とか、そういうのなのかな。
『俺は、かつて、魔王と戦った者の残滓』
……魔王?
なにか、およそ想定していない単語が出てきたような。
『俺はかつて、勇者と呼ばれた男の、その肉体に宿った必勝と言う呪い』
随分と縁起の良い呪いだなぁ。
そして更に勇者ときた。
……ほんとは夢なんじゃないかなこれ。
『魔王は再び世に生まれ、人は勇者の身体を復活させようとしている。だが、かつての勇者の心は既に亡い』
話が本格的に僕の理解の外というか、想像していた死後の世界から逸脱して行くので、ただ黙って聞いている。なんだかこう、話は聞こえているのに理解に届いていない。
『故に、心を求めた。もはや勇者の身体には俺(呪い)しか残っていないが、俺は使い方を誤れば世界に危機を及ぼす』
競馬とか宝クジで必勝となると、色々バランス崩れるからかな。あぁ、そういう生活いいなぁ。
『故に、少年を呼んだ。些細な力も悪用するのに躊躇うほど、心の弱き少年。優しき少年よ』
ほ、褒められた!? いや、褒めてないよね!? 純然と貶してるよね!?
というか、勇者なんて無理! 戦うって、剣振ったり、斬ったり……斬られたり。死んじゃう。ダメだ。
「い、いえ、あ、僕も、そんな、悪用しないとか、聖人ではないです、し。それに、よ、弱いし」
『怖いのだろう。それくらいはわかる。だがな、少年も、決してなりたくないというわけでは、ないのだろう』
「いや、でも、僕はそういうのは」
過度の期待は困る。期待には応えられないから、困る。でも、なりたくないかって言われると……卑怯だと思う。
『少年。もう少し卑怯なことを続けよう。勇者は魔法が使えるぞ』
少し、素敵なことを煙の人は言った。
ときめいた。
「え、いや、そこそんなに、重要では、そんなに……どんな魔法が?」
関心を抑えられなかった。
いやまぁ、もう死んでるし、勇者になれるんなら確かにそれも悪くないかもしれない。なんて、こう、魔法という魔法という一言に心が侵食されて、狼狽える。
「僕は、弱いし、臆病だし。逃げますよ。逃げられなければ、その場でへこたれますよ。死にますよ。そんな、そんなダメな僕なんかが、勇者やったら、迷惑というか……僕なんかが、勇者なんか……できたり、その、できるんですか……?」
気の迷い。魔法が使えるという、あまりに魅力的なその言葉に負けて、僕はなんかそんな半端な返事をしてしまった。
すると煙は揺れて、何か、笑った様に見えた。
『大丈夫だ。俺は少年を選んだ。そして、少年は道を誤らないことに賭けた。俺は必勝の呪いだぞ』
それは、ひどく晴れ晴れしく、揺れていた。
そうさらりと断言されるたのに、不思議とその期待も、いつも程重くは感じなかった。
「あの……期待された、のは、わかりました……それであの、要するに、僕は、何を? あなたをどうすれば、いいんですか?」
少し考えると、要するにあれだ。勇者になれとかそういう流れだ。漫画で見た展開だ。
……マジなのかな。夢だよねこれ。夢だよね?
夢だ夢だと思いながら、どこか、なんか、ワクワクしてたりもして、こう、心が落ち着かない。
『手を取れ少年。君は勇者になる。ずっと昔に死んだ男の体に入り、魔王が復活した世界に放り出される。あとは君次第だ。好きに生きろ。君は君でいい』
その言葉の意味も、僕のこの先も、何も考えず、ただ煙の人が伸ばした手に反射的に触れて、僕は……
……目が覚めた。
慌てて身を起こす。寝床が硬い。石版みたいなのの上に寝ていた様だ。そして周囲は、RPGでいうところの、神官的な人たちに囲まれている。そしてみんな、僕のことをじっと見ている。少なくとも、僕の家ではない。僕の家こんなに居心地悪くなかった。
「あ、あぅ」
言葉にならない。状況は煙の人の話もあってふわっとわかっていたけど、周りの人がなんなのか、まるで掴めていない。
「あ、あの」
意を決し、僕が質問をしようとしたその直後、周囲の神官っぽい人たちの歓喜の合唱に僕の耳はやられ、僕はくらくらする。
なんか、取り敢えず、僕は死んで、生き返って、漫画みたいな状況に陥った挙句、過度の期待がのし掛かってきたことだけは、なんとなくわかった。