いつか夢で、あなたとワルツ(本編完結御礼小品)
こんなものが出てきたよ、そうマークに呼ばれて改修中の使用人棟へ皆で行ってみれば、そこにあったのは古いピアノ。
一階の奥の小部屋の隅に、押し込まれるようにして置かれていた。
扉の鍵が見つからなくて中に何があるのかわからなかったけれど、部屋を広げるために壁を壊したら意外なものが出てきたのね。
私のよく知っているアップライトピアノよりも、高さも低く幅も少し小ぶりで、茶色の木目。へえ、ペダルは一つなんだ。
掛けられていたカバーにはずいぶんと埃が積もっていたが、中の本体は色こそくすんでいるものの状態は悪くなさそう。
そっと蓋を開ければ同じ白と黒。鍵盤の数はちょっと少ないようにも見える。
「そういえば、昔は母屋にあったような気もするわ。越してきたときに、使わないものは全部こっちに移してもらって……その中にあったのね」
鍵盤をひとつ押してみる……あら、いい音。音階は同じみたい。
長期間の放置でどれだけ調律がずれているかと思ったら、それほどでもなさそう。見た目はよく似ているけれど、もしかしたら仕組みが違うのかも。
大工さんたちが表で作業中だけど、少し弾いてもいいかな。
「マーガレット、弾けるのか?」
多分ね。とはいってもしばらくご無沙汰だから、指の動きに自信はないけれど。
私の唯一の習い事がピアノだった。幼稚園から始めてずっと好きで続けていた……両親が亡くなってからはそれどころじゃなくて辞めてしまったけれど。
短大は幼児教育科でピアノは必須だったし、でも、おかげで覚えているのは童謡や子どもの歌の伴奏が多い。
ワルツが好きだった。長調でも短調でも、あの三拍子が好きだった。
椅子の高さを合わせて、そっと両手を鍵盤に乗せる。
……ええと、そうね。最後の発表会で弾いたのはチャイコフスキーのバレエ「眠りの森の美女」のワルツ。ピアノでは連弾で弾かれることの多いオーケストラのこの曲をソロで弾いたんだったなぁ。
すっごい練習したし辞めた後もこれはよく弾いていたから多分大丈夫、譜面も指も覚えてるはず。
オクターブ、ちゃんと指開くかしら…うん。いけそう。
ぱあっと顔を輝かせたマーガレットはしばし確かめるように鍵盤を触ったあと、おもむろに弾きだした。
……初めて聞く曲。向こうの世界の音楽だろう。
きらびやかな前奏に続いたのは、軽やかな三拍子――ワルツだわ。
なんて楽しそうに弾くのかしら。マーガレットの指から流れ出す音の調べに知らず心が沸き立つ。バディも気持ちよさそうにピアノの横に寝そべって尻尾を揺らしている。
ダニエルに肘をつつかれてマークを見れば、唖然としながらもきらめかせた目でマーガレットを見つめていた。
その瞳は紛れもなく……
「もう一度恋に落ちたようだね」
こっそり耳打ちされて、頷く。本当に、私の娘には驚かされることばかり。
音に囲まれ声のないハミングを口ずさみながら弾くマーガレットの姿を眺めていたら、くっと腕を取られて体が反転する。
「ダニエル?」
「お嬢さん、僕と一曲お願いします」
いたずらっぽく口角を上げて大仰にお辞儀をしてみせると、私の手をとってさっさとステップを踏み始めた。
「ちょ、ちょっとダニエル」
「いいから、ほら」
もう、急に。半ば強引に始まったワルツ。マーガレットの弾く知らない美しい曲に合わせて、足はそれでもリズムをきざむ。
……思い出すのは、遠いあの日。広さだけはある古い実家のホールでお披露目された私のデビュタント。
「二回めのファーストダンスだね」
改修中の部屋は床こそ広いが、瓦礫もまだ残り、壁紙も照明もなく荒れた感じは否めない。
それでも。
「……そうね。またこうして踊れるなんて」
「君を諦めないでよかったよ」
ねえ。楽しく踊りたいのに泣かせないでくれる? ……私だって。
満足そうに弾き終わったマーガレットに、今のワルツについて聞いた。
あちらでは有名な物語についた曲で、歌詞がつけられて子ども向けのお芝居にもなっているという。お姫様と王子様の恋物語ということだ。
曲名は『いつか夢で』
夢で見た運命の人と、森で出会って恋に落ち手を取り合って踊る場面だという。
『いろいろ邪魔が入るけれど、困難を乗り越えて最後はハッピーエンドなの』
ダニエルにねだられたマーガレットが、もう一度弾き始める。
ピアノに片肘で寄りかかって目を細めているマーク。窓からは柔らかな秋の光、外の工事の音は心なしか静まっている。
普段着で、なにもない部屋で、ダニエルと向かい合い微笑んで手を重ねる。
こんなに幸せなワルツを、私はほかに知らない。