変わりたい
あの日から一ヶ月ちょっとが経った。私の体重は一旦は戻ったものの、それから徐々に落ちていっていた。一ヶ月で三キロ落ちた。九十キロになった。
時々無性に炭水化物が食べたくなるが、そういうときはこんにゃく麺を食べたりしてしのいでいた。母親に程々の糖質制限と高タンパク質の食事をしたいことを話したら、とても協力的にご飯を作ってくれるようにもなった。
無理のない食事制限。そして……。
「よっす」
夕食後は戸津との散歩時間だった。時間にしてだいたい一時間を目安に毎日、雨の日以外歩いている。
この二ヶ月で私の苦手意識も大分薄れたように感じる。喋ってみると根は悪い奴ではないのかもしれないとそう思うようになっていた。それでも時折見せる攻撃的な一面は私の壁を完全に突破らうことはできていなかった。
「あーもうすぐ中間試験だな」
そんな他愛もない会話から散歩は始まる。
「お前英語の授業上のクラスだからいいよな。真ん中のクラスのあの男の先生なんてさ、可愛い女の子にはめっちゃ優しいんだぜ。なのに俺らが間違えるとすぐ機嫌に悪くなる。ああ本当、俺も可愛い子になりたいわ。あんな奴先生なんてやめちまえばいいのによ」
「そんなに嫌なら中間試験、頑張るか落ちればいいんじゃない」
戸津の言い方にまともに反応することなく、ようやく普通に会話ができるようになっていた私はそう返答した。
「げえ落ちるのはちょっとな。俺だってだてに医学部目指してるわけじゃないし。頑張らねえと」
そうこの一ヶ月ちょっとで知ったことは沢山あった。
戸津は医者を目指していること。彼女であるマネージャーと何故だがよく揉めていて水泳部に顔を出しづらいこと。勉強と部活の両立が大変なこと。
それからこんなこともあった。
二人で歩いていると小学校の同級生の男子たちと遭遇した。
当然私は冷やかしの対象で戸津には尋問だ。
戸津は最初は笑ってごまかしていたが「付き合ってるのかよ?」と聞かれた際に、真顔になった。
「俺の彼女は部活のマネージャーだよ。ほれ、こいつ」
「げ! 超可愛いじゃんか!」
スマホの画像を見せて男子たちはざわめいた。そう、わかったことは私と並んで歩くことは許せても、私みたいな外見の子を彼女と思われたくないのだと。
居心地が悪くなった私はわざわざ言わなくてもいい言葉を放ってその場を後にした。
「じゃあ今日はありがとう。ダイエットの運動に付き合ってくれて。先帰るから」
この日を境に同級生に会っても直接冷やかされることはなくなった。どうやら裏で噂が出回ったようだった。
別に盛大に傷つくようなことでもなかった。
戸津は過去をなかったことにしたい。私は人生を変えたい。利害が一致した、それだけの関係なんだから。
それでもどこかやっぱり女としての自信は失っていた。もしものことを考えてしまう。痩せても可愛くなれなかったらどうしよう。自信がつかなかったらどうしよう。
一つ少し傷つくたびに、私はその晩少しだけ泣くのだった。
「そういやさ、家庭教師の方はどうなんだ」
そうそう。戸津のことを一方的に知ってるだけでなく私も自分の情報をいくつか提示していた。
家庭教師のお兄さんがいること。私の過去を春ちゃん以外にもお兄さんが知ってること。とてもいい人だということ。来年には遠くへ行ってしまうこと。そして、告白を考えていること。ダイエットのきっかけにもなったことだ。隠さずにはいられなかった。
そんなこんなでいつの間にか戸津とは恋愛相談をする仲にもなっていた。
「変わりないよ。戸津との散歩は大丈夫かって心配は相変わらずされてるけど」
「お前、そいつに何言ってんだよ」
苦笑する戸津に言葉を捜す私。
「そうだね、たまに泣かされてるとは言ってるかも」
「はあ? いつ泣かしたんだよ」
「秘密」
私が夜な夜な泣いているなんて気持ちが悪いだけだ。冗談として受け取ってもらっても構わない。
「それにしても別れ際の告白とか細川も自分の首絞めるよな」
「それは重々承知」
「うまくいっても遠恋だぜ?」
「うまくなんていかないもん、きっと」
そこまで言ってハッとした。この手の発言を戸津は嫌う。
案の定彼は顔を歪め、はぁと大きなため息を一つつく。
「そういうネガティブ発言やめろ。外見がどんなに綺麗になってもその考え方変えねえといつまでたってもモテるときはねえぞ」
それからお決まりの例を出してくる。
太っていても明るくて可愛い女芸人を出しては、世間的に好かれていることを提示する。確かに私もその芸人が好きだし人気があることも知っている。『明るいデブは好かれる』の典型をいく人達だ。でも私の中には過去の闇がそうさせてくれない。
明るくなればそれだけ反発をもらいそうで怖いのだ。
「デブは大人しくしとけ」
って言ったのは確か昔の戸津だった。
このことは言わないでいるつもりだけど、傷というのは簡単に癒えるものではない。
それでも戸津の言うことに納得してないわけでもない。私だって元来は明るかった。もとの自分に戻れたらという欲はある。
戸津に言われてから直さないといけないと思うようにはなっていた。時間はかかるかもしれないけど、それでもゆっくりと前進できれば。
「あ、そうだ。話戻って悪いけど定期試験の直前は散歩無しでもいいか。細川は続けていてもいいけど……さすがにやばいからな」
「いいよ、私も散歩は三十分くらいにして、試験前は勉強するつもりだったし。三十分なら夕飯前に済ませられるからちょうどいい」
散歩が終わりそれだけ話して、じゃあ次回は試験後という話になってその日の散歩は終了した。
勉強もダイエットも恋愛も、完璧ではないがそこそこに順調だった。そう、夏が来るまでは……。