表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/17

その1 間違っている!

 翌朝、と言っても、三時間後の午前五時。スマホのアラームが部屋に鳴り響く。ほとんど眠れなかったその頭でぼんやりと宙を見つめた。正直言ってまだ眠い。遅く寝たし更にいつもより三十分も早く起きている。全然寝た気がしない。


 横になっているとそのまま瞼がゆっくりと閉じていくのがわかる。

 ああ、ダメだ。起きないと。


 心の中でそう呟くと、息を吸い込んで気合いで目を見開き上体を起こした。そしてそのままベッドに座りこみ顔をぱんと一度叩く。


 眠気からくる胸の気持ち悪さを覚えながら私はすっくと立ち上がる。一瞬目の前が暗くなりふらつくも、すぐさまベッドの足もとに置いてあるタンスを漁った。中からTシャツとジャージのズボンを取り出すとそれに履き変える。

これから毎朝三十分間、それから放課後の一時間は運動の時間に当てることにした。寝る前に考えたプランを思い出す。朝の時間は十五分の筋トレと十五分の縄跳びだ。放課後の一時間はひたすら走ることにする。


 そう決めたはいいものの重い体は簡単には言うことをきかなかった。たった数分の筋トレで筋肉がぷるぷると震えた。まだ薄暗い庭での縄跳びも一回ずつの跳躍が膝や足首に響く。それでもなんとか三十分のメニューをこなす。私の心臓は悲鳴をあげ、その音が直接耳に聞こえるのではと思うほど強く早く動いているのを感じ、そして呼吸も荒れた。乾いた咳を何度かして、私はフラフラと部屋に戻ると床に膝を着き、ベッドに上半身だけ突っ伏した。


 辛い、辛すぎる。


 それでも時計は無情にも五時半を指す。シャワーを軽く浴びて学校へ行く支度をしなければならない。時間もそんなに猶予はない。私は休む間もなく動き出した。


 それから学校へ着き午前中の授業も受け、昼休み。私はコンビニで買ったノーカロリーのゼリーを一つ鞄から取り出す。一緒の机でお昼ご飯を食べようとしていた春ちゃんがそれに驚いて「え」と声を漏らした。


「お昼ごはんそれだけ?」

「うん」


 早朝の運動後のうえに朝食も抜いてきたので相当お腹は減っている。その状態で私はゼリーを一口頬張り一言返した。春ちゃんのお昼ごはんはお母さんのお弁当らしく、色とりどりですごく美味しそうだった。いつもなら私も学食やコンビニ弁当を食べているところだ。


「どうしたの急に?」


 それを尋ねられ私は二口目を口に入れた。


「ダイエットしようと思うの」


 私が空腹で少しイライラしているのを隠すように、にこりと笑ってみせる。


「ダイエット? 突然どうしたの?」


 春ちゃんが不思議そうに尋ねてくる。私は昨日お兄さんに言われたこととダイエットの内容について語る。

 すると春ちゃんは、気難しそうな顔をして、顎に手を持っていき何か考える仕草をした。


「ねえ優奈。それあんまりよくないよ」

「え?」

「痩せる前に優奈の体が壊れちゃう」


 春ちゃんが心配してきていた。確かに……それは私も自分でルールを作った時に思った。でも私は一刻も早く痩せたい。痩せて可愛くなって、お兄さんに告白するんだ。


「大丈夫! 脂肪なら沢山あるから!」

「そういう問題じゃ……」


 私はこの話題から話を反らしたくて最近買った漫画の話をした。

 大丈夫。これで大丈夫なんだ。

 放課後になり家にたどり着くと気分が悪かった。冷汗は出るし手足が小さく震える。今日は休んでしまおうか。そういう衝動に駆られるもだめだと首を振る。今日からするって決めたんだ。絶対に痩せてみせる。


 ネットで調べた情報によるとゆっくり走る人で時速八キロらしい。私は運動不足だったからきっと途中で歩いてしまうだろうし、時速五キロくらいだろう。そうなんとなくの計算をして、私はまた運動着に着替えると、ゆっくりと走りだした。


 最初の数百メートルで呼吸が上がった。やばい、これ。一時間走りきれる気がしない。心臓がまた朝のように悲鳴を上げ始める。

 きつい。呼吸がままならくなりすぐに歩いてしまった。耐えられない。こんなにジョギングってきついのか。


 どうしよう。私は肩で息をしながら、ゆっくりと歩く。ダイエット一日目にして挫折しそうだった。いや、でも挫折する訳にはいかない……。そう思うも体は一日でがたがたになっていた。そのあと走ったり歩いたりを繰り返しながら長い長い一時間を終えた。


 それからシャワーを浴び夕飯はサラダだけ食べて、私は横になった。親にはそんなダイエットはやめろと忠告されたがやめるわけにはいかない。ただ疲れているはずなのにお腹が空きすぎて全く眠くならない。いつもなら夜食を食べる所だがここで食べたら一日の努力が水の泡だ。私はなんとか眠ろうと目を瞑る。だが、それから一時間かけて眠りそして結局夜中の二時に目が覚めた。

 数分後――


――やってしまった!


 私は空になったお皿を見て呆然とした。

 ここ数分の記憶をたどる。

 インスタントラーメンをおもむろに取り出し手順通りに作っていく。出来上がったラーメンは湯気を立ち上げ、いつもは気にならないのに味噌の匂いがしっかりと鼻の奥を刺激した。それにふらふらと顔を近づけ箸で麺を持ち上げる。

 麺が食べてくれと言わんばかりに私を誘ってくる。口に含むと炭水化物の味が口いっぱいに広がる。

 おいしい!!

 そこからはもう無我夢中だった。

 汁まで飲みほし一気に眠気に襲われる。最高である。

 だがそんな時間もほんのしばらくの間だった。私は眠気に襲われながら空になった皿を見て罪悪感に駆られた。


 やってしまった。食べてしまった。私の一日が全部全部ダメになった気がした。


 でも食べてしまったものはどうしようもない。明日からは絶対に間食しない。

 翌日以降、私は本当に間食をやめた。そして運動も続けた。食事制限もした。毎日体重が面白いように減っていく。だが体が健康になっていく感じはしなかった。膝は痛いし体は重い。それにニキビも増えてきた。額と鼻の下と頬にできてしまった。


 なんで? チョコレートとか油ぽい物食べてないのに?


 洗顔も頑張ってるのに。化粧水だって美容液だって乳液だってつけてるのに。

 鏡を見ると、ダイエット前より酷い顔になっていた。体重は減っているのに、なんで?


 それでも減っていく数字は励みになった。私は一週間で三キロ落ちた。辛いけどこんなに簡単に落とせるならなんでもっと早くしてなかったんだろう。




 翌週になりなんとなく頬が痩せた気がした。今日はお兄さんが来る日だ。


 何か言ってくれるかな?


 期待半分で気持ちは浮かれる。そしていつも通り手帳を確認して、いつも通り登校した。だけど学校に行く足取りは重く、ここ数日授業中も集中ができない。黒板を書き映してはいるけども、内容は頭に入ってこない。終始頭にもやがかかっている。


 何かがおかしいと感じつつも午前中の授業が終わる。私は春ちゃんにまた痩せたよと報告して、恒例のマスカット風味のゼロカロリーゼリーを取り出す。薄緑色の半透明のそれは匂いだけは一人前に美味しかった。


 春ちゃんはそれを見ては毎日苦笑していた。それが何を意味しているのかわかってはいた。けれど、体重計の数値が減っていく楽しみは変えがたい。

 ゼリーを食べながらたわいもない会話をする。そんな時だった。


「お前、ダイエットしてるの?」


 戸津が学食から戻って来たらしく、私の『昼食』を見てそう尋ねてきた。最近話しかけられていなかったのでびくりとして恐る恐る顔を上げる。

 上から見下すように眺められていた。ただでさえ馬鹿でかい身長の奴なのに、こうして見下ろされると何故だか自分が今凄く小さく感じる。


「そうだけど」


 何か文句あるの? そう心の中で付け加える。

 それが通じてしまったのか彼は鼻で私の事を笑った。


「でもなんかあれだな。ダイエット前の方がよっぽどマシだったな!」

「え?」


 突然放たれた棘のある言葉に私は眉間に皺を寄せる。

 今なんて言った? ダイエット前の方がマシ?


「何言って……」

「今のお前、鏡で見たか? 凄い不細工!」


 食べかけのスプーンに乗せていたゼリーが、机の上に落ちた。


「あっ……」


 ティッシュ出さないと。

 戸津の言葉に反応することもなく、私は胸ポケットからティッシュを取り出す。それから一枚引っ張り出すと失敗して途中で破けた。


「あ」


 破れちゃったと呟き、もう一度ポケットティッシュからペーパーを抜き取る。そしてそれで落ちたゼリーを拭った。

 ゼリーを覆っている液体が、ティッシュにじわりと染み込む。


「ゆ、優奈?」


 その状態で固まってしまった私に春ちゃんが声をかけてくる。


「え?」


 顔を上げると春ちゃんがおどおどとしていた。いつもの春ちゃんらしくない。彼女がそんな態度を取った事に気付いてから、私は初めて自分の状態がわかった。


「あ……」


 またやってしまった。


 私は何回こいつの前で泣いてしまうんだろう。感情を押し殺すことなんて造作もないはずだったのに。私は中学三年間でぬるま湯に浸かりすぎたらしい。

 涙が頬を伝って口の中に入った。さっきまで食べていたマスカットの味は塩味に変わり、掌のペーパーの中でゼリーは音もなく潰れる。


「そんなに変わりたいなら手伝ってやろうか」


 それに対して何も発せられなかった。食欲も失せた。鳩尾みぞおちに色んな物が詰まっていく感覚がした。


「あ、っそ。無視すんのね。じゃ俺もどうでもいいわ」


 そう言って戸津は席に座ってスマホをいじりだす。


 この感情に名前をつけるならなんていうのだろう。ただの悲しみ? それとも違う。じゃあなんで涙が出た?


 もやもやしたものが、頭の中を駆け巡る。

 それから午後の授業はよくわからないまま終わり、よくわからないまま帰宅した。今日はお兄さんが来る日なのに。なんでこうも楽しくないんだろう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ