彼女が地獄に落ちる理由
「判決、鬼籍190組107番を地獄行きとする」
スーツ姿の眼鏡をかけた女はそう言った。ここに立って約5秒。いきなりの地獄行き判決に少々驚きはしたが、慌てたりはしなかった。
「そっかぁ、やっぱり私地獄行きなんだ」
私は思ったことをそのまま口に出した。強がったわけではない、何の混じり気もない純粋な考えを言っただけだ。
「まるで他人事ですね」
「いやいや、ちゃんと自分の事だって分かってるよ」
ここはどうやら死後の裁判を行う場所で、目の前にいる無表情の女は裁判官であるらしかった。女が巻物などを広げている机はかなり高いところにあり、思い切り見上げないと女を視界に入れる事が出来ない。首を痛めてしまいそうだ。いや、死んだからもう体を痛めることもないのか。
そして先ほど女に言われた通り、私は地獄行き。まぁ、覚悟はしてた。
「恐くないのですか? 地獄が」
私は首を激しく横に振った。
「ううん。それより、死後の世界があって良かった。ほら、死ぬと何にもなくなる、何も感じなくなるって言う話もあるじゃない? 私、死ぬときそれが一番恐ろしかったの。だから地獄でもなんでも自我が残ってて良かったって思うわ」
「なるほど。そういう考えもあるのですね」
女は納得したように小さくうなずく。そして、小さく「あぁ」というため息にも似た声をだしてから、思い出したように口を開いた。
「ところで、あなたは自分の罪状を分かっておられますか」
「自殺でしょ?」
私は即座に答えた。
ここに来る前、私は自ら命を絶ったのだ。
自殺は地獄行きっていう話はしばしば耳にしていた。だから、覚悟していたのだ。
「どうして自殺なんかしたんですかね。もしよろしければ理由をお聞かせいただければと」
「別に良いけど、そんなん聞いてどうすんの?」
女は一切表情を変えず、淡々とした口調で理由を説明しだした。
「死後裁判官として、自殺者の心理というのは掴んでおきたいのです。日頃勉強していますが、時代によって自殺の理由も様々でして。生の声が聞きたいのですよ」
「ふーん。裁判官も大変なんだぁ」
私は首を回しながらそう返事をした。ポキポキと軽い音がする。死んでも骨は鳴るらしい。
女に視線を戻す前に、目の前にある大量のガラクタを見やった。白い布をかけられた馬鹿デカい何かや、大量に積まれた巻物、そして秘書らしき正装した鬼がじっと私を見ている。
そしてまた、視線を女に戻した。女と目が合う。
「お聞かせ願えますか」
「良いよ、別に。まずこれから話した方がいいかな。私はね、1人で自殺したんじゃないの。彼氏としたのよ」
「心中ですか」
「そう。私、彼の事が大好きだったの。ううん、大好き。今でも好き。それでね、彼が言ったの。『一緒にいるのは無理だ。だから死のう』って。なかなかロマンチックでしょう?」
「自殺は推奨できないのでそれを肯定することはできませんが、まるで何かの物語みたいですね」
女の言葉に、私は満足して笑った。やっぱりみんなそう思うんだ。
「そうでしょ。彼がそう言い出したときはビックリしたんだけどね、でも私も彼と一緒になれないんなら死んだ方がマシだって思ったから。ためらいはなかった。もちろん後悔もね」
「そうですか。地獄行きになってなお後悔がないとは驚きました」
「私はね、彼がいないところこそが『地獄』なのよ。だから、たとえ天国に行けたとしても彼がいなきゃ地獄と同じ。逆に言えば、彼がいたらどこでも天国なの!」
女は、感心したかのようにため息をつき、首を縦に振った。
「本当に、あなたは面白い考え方をしてらっしゃいますね」
「そうかしら。私は好きな人と離ればなれでいても平気だっていう人の神経を疑うわ」
女は納得したのかしていないのか、うなるような、ため息のような音を出して、巻物に筆を走らせる。
そして、筆を置くとまた私の目を見てあの抑揚の無い声を出した。
「ところで、何で自殺したんですか」
質問の意味が分からなかった。私は正直に疑問を口に出す。
「何で、って?」
「大量の睡眠薬を摂取した、とか崖から飛び降りた、とかですよ」
私は背中にヒヤリと冷たいものを感じた。
きわめて冷静を装い、私は口を開く。
「そんなの聞いてどうするの」
「勉強のためですよ。文明の発達によって自殺方法も多様化していますしね。そう言ったことも頭に入れておきたいんです。あぁ、聞いてはいけないことでしたか?」
「いや、別に」
私は息を大きく吸ってから声を絞り出すようにして女の問いに答えた。
「睡眠薬を飲んだの。もちろん、彼もね」
「なるほど。まぁ、他の方法に比べたら綺麗に死ねますものね」
私は笑顔で頷く。
そうだ、私は睡眠薬で死んだ。
「あれ、でもおかしいですね」
女は眉一つ動かさずに首をかしげた。
「何が」
「睡眠薬、使ったんでしょう」
「ええ、そうよ」
「じゃあ、やっぱりおかしい」
そういうと、女は机の隣に置いてあった「巨大な何か」にかけてある白い布を取り払った。
それは鏡だった。細かい豪奢な飾りがほどこしてあるものすごく大きな鏡。鏡の中の私は私を見つめている。鏡の中の私の目がこれ以上ないくらいに見開く。
「え?」
「ね、おかしいでしょ」
声が出ない。
「どうしてそんなとこが赤いんですか」
鏡の中の私が着ている白いワンピースは、真っ赤だった。
鏡の中の虚像から、自分という実像に視線を移した。目に映るのは汚れ一つない真っ白なワンピース。
「赤くなんかないわ」
「いいえ。赤いです」
「見てよ、真っ白じゃない」
「じゃあそれは虚像です」
「虚像は鏡でしょう?」
「いいえ、鏡が実像なのです。あなたの目は曇ってる」
何を言っているんだ、この女は。
「違うわ、私のワンピースは白い」
一言一言確認するように、はっきりと大きな声でそう言った。
女は少し目を細める。
「まぁ、それならそれでも良いんですがね。あぁ、そうそう」
そう言うと、女はキラリと光る何かを机の中から取り出し、おもむろに投げた。
それは、からんからんと固い音を発して地面に落ちる。
「ポイ捨ては、いけませんねぇ」
私はそれから逃げるように一歩後ずさった。顔を手で覆い隠す。
見たくない。
「三途の川に捨てたでしょう」
目をぎゅっと瞑り、耳をふさいだ。
「本当は、違うんでしょ」
大して大きくもない女の声は、指の間から漏れ出すように耳へ侵入してきた。それは私の頭に入り込み、脳を食い荒らす。
「刺したんでしょ、あなたが」
ぷつん、と何かが弾けた。
私は、手を下ろして顔を上げた。女と目が合う。
「そうよ。刺したわ」
数メートル先で、血に濡れた包丁が光るのが分かった。
「意外と、すんなり認めましたね」
「だって彼、意気地なしだから。自分で死ぬことなんかできないのよ。だから私が殺してあげた」
「忘れてたんですか」
「忘れてたわ。そりゃ、愛する人を手にかけるのは辛かったもの。忘れたくもなるでしょ」
「そうですね。じゃあ、この事も忘れているのですかね」
「なによ」
「最後に彼が言った言葉ですよ」
私は息をのんだ。心の底に沈めていたはずの記憶が、ふいに浮上してきた。
「あの晩」
なんなんだよ、何百通もメール送ってきて
「彼は」
もううんざりなんだよ、会社に押し掛けるなんて非常識にも程があるだろ
「言ったんですよね」
もう一緒にいるのは無理だ。だから――
「別れよう」
彼と女の声が重なる。
「違うわ、彼は言ったのよ。死のうって。別れようなんて、そんな事言ってない。言ってない、言ってない」
「そうですか、認めませんか。まぁ、あなたにとっては『彼と別れるイコール死ぬ』なのでしょうから、相手もそう思っていると信じたくなる気持ちは、分からなくもないですけど」
女は静かにそう言った。まるで表情筋が凍ってしまっているかのように、唇以外ピクリとも動かない。
「もう良いでしょう! 裁判は終わったの、早く地獄へ連れて行ってよ。きっと彼が待ってる」
「そうですね。ではお連れしなさい」
女はそばに控えていた鬼にそう指示すると、机に広げていた巻物をしまい始めた。
鬼は私の手を取り、まるでエスコートするかのように柔らかく『地獄』と書かれた扉の方へ私を導く。
私はようやく安堵した。これで永遠に彼と一緒にいれる――
「あぁ、そうそう。言い忘れていたことが一つ」
私は返事をしなかった。もうあの女の声を聞きたくない、顔を見たくない。
女は私の返事なんか、最初から期待していないのか何も気にしていない様子で言った。
「彼はね、地獄にいませんよ」
全身の毛が逆立つような悪寒に襲われる。止まっているはずの心臓が高鳴る音が聞こえる。眩暈がする。
「どうして彼が地獄にいると思っていたのか、逆に聞きたいものですね。彼が何をしたというのですか。それどころか彼は――」
女は一息つくと、不自然なくらい静かに言い放った。
「まだ死んですらいません」
そんなはずはない。彼は確かに私が――
「あなたが彼に負わせた傷は深く、生死の境を彷徨いましたが急所は外れていたのでね。一命を取り留めましたよ」
ゆっくりと、顔を女に向けた。女は最初と寸分も違わない感情を消し去った顔で私を見つめている。
「おや、驚いたような顔ですね。まぁ、ほとんどこちら側に来かかっていたのですがね、私が追い返しました。本当は違反行為なので、秘密ですよ」
「なん……で」
ようやく絞り出した言葉だった。かすれたような、とても小さな声だったが、女の耳には届いたようだ。
女は抑揚の無い声で答える。
「そりゃあ、あなたの思い通りにさせたくなかったからですよ」
そして女は――笑った。
「永遠に近い時間を、鬼たちに責められながら彼なしで過ごすのです。それが、あなたに与えられた罰です。どうぞ、後悔してください」
嫉妬した女の話