↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

婚約破棄したいと言った覚えはありませんが?

作者: 茶電子素
掲載日:2026/10/03

「……は?」


 開いた口が塞がらない、とはまさにこのことだと思う。


 目の前に広がるのは、白磁の大理石に金の刺繍が施された絨毯。光り輝く謁見の間で、私は呆然と立ち尽くしていた。


 私――エレノア・マーシュは、しがない男爵家の娘だ。

 髪は地味な茶髪、顔立ちもぼんやりとしている。貴族令嬢の華やかさなんてカケラもなく、社交界では「あの地味な子ね」とすら認知されないレベルの“中の中”である。


 そんな私が、なぜか帝国の頂点に君臨する超絶美形、ルイシス皇太子の婚約者に選ばれて早(はや)三年。


「エレノア……僕が悪かった。すべて、僕の愚かさが招いた結果だ」


 床に跪き、私の手を取って額を押し当てているのは、あの傲慢で有名な許婚様(ルイシスでんか)だ。


(えっ、ちょっと待って。膝、ついてる……? あの殿下が??)


 先日までの殿下を思い出す。

 気に入らない報告を持ってきた側近を冷徹な一言で切り捨て、私と目が合えば「フン」と鼻で笑って去っていった、あの冷血王子である。

 この婚約だって、政争の駆け引きか何かで、私のことなんて視界にさえ入っていないと思っていたのに。


「あの、殿下? お顔をお上げください。周りの近衛兵さんたちが、見たこともない顔で震えています……」


「いや、上げない! 君が許してくれるまで、僕は二度と顔を上げない!」


 叫ぶ殿下の声が謁見の間に響き渡る。

 端っこに控えている側近のハンスさんが、見ちゃいけないものを見たような顔で天を仰いでいた。お疲れサマンサ。


「……あの、それで。私に『君との婚約を解消したい』とおっしゃるために、本日ここにお呼び立てになられたのでは?」


 私が恐る恐る尋ねると、殿下は跳ね起きる勢いで顔を上げた。

 氷の彫刻のように整った美貌が、恐怖で引きつっている。


「断じてない!! 婚約解消など、死んでもしない! 尻が十字に割れたとしても絶対にありえない!」


「比喩が上手いんだか下手なんだか」


「君が先日、『殿下はいつもお忙しそうですし、私のような地味な女ではお役に立てませんから、いつでも婚約など破棄してくださいね』と微笑んだとき、僕は気づいたんだ……君は僕の傲慢な態度に傷つき、去ろうとしているのではないかと!」


 あ、あの時の話か。

 ただ単に「お互い興味なさそうだし、いつでも解放してくれて構わないですよ」くらいの世間話のつもりだった。

 積極的に破棄したいとまでは言った覚えはなかったのだが――まさかそんな重大に受け止められていたとは。


「僕は愚かだった! 自分の傲慢さを隠す術を知らず、君に甘え、突き放すような真似ばかりしていた! だが、改心した! 君を失うくらいなら、僕はなんだって捨てる!」


 殿下は懐から、一発で超高級品とわかるクリスタルのハサミを取り出した。


「反省の意を示すため、今からこの髪を切り落とし、坊主になる」


「……は?」


「幸い、僕の頭蓋骨の形は美しいと評されている。坊主になっても、君の視界を不快にさせることはないはずだ」


「待ってください!! ハサミを置いて!!」


 本気で自らの金髪に刃を入れようとしたので、私は叫びながら手首を掴んだ。

 なんだその無駄に自信のある頭蓋骨のアピールは。

 なにより、意外とお前に憧れている令嬢は多いんだぞ。国中の令嬢がショックで寝込んだらどうする。


「……ならぬか。髪を切るだけでは、君の怒りは収まらぬか……!」


「怒ってないです! ただただ恐怖を感じています!」


 殿下がハサミを床に放り投げ、次にポケットから取り出したのは――重厚な意匠が施された、小さな銀の鍵だった。


「……これは?」


「貞操帯の鍵だ」


 謁見の間に、しーんとした静寂が訪れた。


 遠くで、側近のハンスさんが「ひぃっ」と短い悲鳴を上げたのが聞こえた。近衛兵の一人は、そっと目元を覆っている。


「……えーっと。殿下?」


「僕の心も体も、永久に君だけのものだ。鍵は君に預ける。君が許すまで、僕は誰とも、もちろん君とすらも一線を越えない。僕の貞操の権利は、すべて君の手の中にある」


「なにからなにまでいらないです」


「受け取ってくれ!!」


 手のひらに、ずっしりと重い銀の鍵を押し付けられた。

 冷たい金属の感触が、無駄にリアルで怖い。何なのこの人? ちょっと前までの俺様キャラはどこ行ったの??


「まだだ。これだけでは君の将来の不安を拭えまい」


 殿下はすっと立ち上がると、羊皮紙の書類――皇帝の御璽《ぎょじ》が押された、超重要な公文書を広げた。


「父上……皇帝陛下からはすでに許可を得た。近々、僕は皇太子の座を辞し君に皇位継承権を譲る」


「はい???」


「君が女帝となるのだ、エレノア。僕は王配として君を支える。面倒な書類仕事、他国との外交、貴族どもの泥臭い腹芸……すべて僕が裏で片付ける。君は何もしなくていい。皇帝の玉座に座り、ただ美味しい紅茶を飲み、僕に時折……そう、三日に一度でも笑いかけてくれれば、それでいい」


 殿下の瞳は、恐ろしいほど純粋な輝きを放っていた。


(狂ってる……)


 私は知っていた。この人がものすごく優秀で、仕事中毒で、国の政治を一人で回していけるような天才だということは。

 でも、その天才的な頭脳をフル回転させた結果叩き出した答えが、「自分が全部働いて、地味な婚約者を女帝にしてただ甘やかす」なの、おかしくない??


「……殿下。私、政治の知識なんてありませんよ?」


「僕がいる」


「刺繍と、庭のお花の手入れくらいしかできません」


「最高の庭園を作らせよう――国中の魔術師を集めて空に浮かべてもいい。刺繍の糸は世界中から最高級品を揃える」


「……毎日、お昼寝したいです」


「僕の膝を枕にするといい! いやまてよ国宝の安眠枕の方が……」


 迷いがないようなあるような、とにかく完璧なまでの即答だった。


 手に握らされた「貞操帯の鍵」を見る。それから跪いたままじっと私を見上げてくる、国一番の美形を見つめ返した。


(どうしよう……断る隙がない……)


 これまで「地味だから」「男爵家だから」と社交界の隅っこで息を潜めて生きてきた私の人生が、この激重メンヘラ美形皇太子のせいで、おかしな方向へ舵を切り始めた。


「……ハンスさん」


 助けを求めて横を見ると、側近のハンスさんは静かに目を逸らし、深々と頭を下げた。

『どうか我が国を、そしてこの愚かな殿下をお願いします』と言いたげなリアクションだった。見捨てないでほしい。


「……あの、殿下」


「なんだい、僕の愛しい女帝」


「……とりあえず、坊主にするのだけは勘弁してください。髪のある殿下の方が、見栄えが良いので」


 そう言うと、ルイシス殿下の顔が、ぽっと赤くなった。

 パッと花が咲いたような、今まで見たこともないような眩しい笑顔。


「……君がそう望むなら。僕は一生、この髪を君のために伸ばし続けよう」


 あ、ダメだこれ。

 逃げられないやつだ。


 私は深々とため息をつきながら、とりあえず手のひらの中の「貞操帯の鍵」を失くさないようにポケットへしまい込んだのだった――重っ!

応援よろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
男爵令嬢と王太子が婚約ってひょんな事で簡単に済まされているが、そこに語って欲しいほどの物語がありそう。 まぁ、単に王太子が恋をしたって事なんでしょうけど。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。