Chapter 4: Mr. Prime Minister (Part 2)
ペンタゴン。
国防省は、五芒星の形をした巨大な建物の中にあった。
本来は五角形の建物になるはずだった。
だが八十年前、ソロは結婚式の準備で忙しく、肝心な説明を忘れてしまった。
結果、建築家は巨大な魔法陣の星型をそのまま建物にしてしまったのである。
魔族たちは大喜びだった。
建物の内部では、ソロ、リリス、レヴィ、スタン、モーが大きな空中投影地図の前に立っていた。
「さて」
ソロが背中に手を回しながら口を開く。
「隣人たちについて、何が分かってる?」
昔の魔族王国は、周囲の国について調べるなどという発想すらなかった。
彼らが知っていた隣国の情報は――
せいぜい「どんな味がするか」くらいだった。
「偵察機の支援により、我々の領土を中心に約七千マイルの範囲の地図作成が完了しました」
空軍の中尉が報告した。
「我々は最南端の大陸、マルヴォラスに位置しています」
彼はレーザーポインターで地図を指す。
「マルヴォラスは北側を除き、すべて海に囲まれています。北にはレイヴンドーン王国とヴァンドリア王国があり、面積はおよそ十九万八千平方マイルです」
レーザーが再び動く。
「さらに北には、メリディニアと呼ばれる別の大陸があります。この地点の陸橋によって接続されています」
ソロは投影された地図を細めた目で見つめた。
(……メキシコとパナマを上下逆にしたみたいな形だな)
レヴィが一歩前に出る。
「外交官たちの情報によると、かつてこの地域にはレイヴンドーンだけが人間国家として存在していました」
彼は落ち着いた調子で続ける。
「しかし状況は変わりました。海の向こうに住んでいたヴァンドリア人が、その領土の大半を併合したのです」
彼は地図の一部を指した。
「彼らはレイヴンドーンに“欲しくない土地”だけを残しました」
少し間を置いて。
「我々と国境を接するこの地域も含めてです」
「そして彼らを属国にしたわけか」
ソロが言った。
「つまりクッションだな」
少し考え、
「ヴァンドリアとの戦争に負けたのはいつだ?」
「戦争は起きていません」
レヴィが訂正した。
「レイヴンドーンが領土を失ったのは二十年前です。政治的な取引によって」
「ヴァンドリアは古い借金を利用して彼らを脅迫し、でっち上げの理由で領土を差し出させました」
「つまらないな」
スタンが無表情で言った。
「いいえ」
レヴィは満足そうに微笑んだ。
「美しい話です」
ソロはうなずいた。
「よし。つまり恨みは残ってるな」
「新しい血もありますね」
モーがにやりと笑って付け加えた。
中尉が軽く咳払いをする。
「残念ながら、我々の航空機はヴァンドリアの先へは進めません。国境の外には補給用の飛行場が存在しないためです」
「なら、バブの衛星を待つしかないな」
ソロが言った。
「モー、資産の配置は始めてるか?」
「はい、閣下。レイヴンドーンに八人。ヴァンドリアに二人です」
ソロは眉を上げた。
「ヴァンドリアは少ないな?」
「ええ……」
モーは頬をかいた。
「敵の航空哨戒を刺激せずに迅速に潜入する方法は、HALO降下しかありません」
少し気まずそうに続ける。
「正直なところ、うちの局のサキュバスやヴァンパイアでそれができる者は、あまり多くなくて」
ソロは顔をしかめた。
「片方は翼があるし、もう片方はコウモリになれるだろ。飛べるじゃないか」
「恐れながら申し上げますが、閣下」
モーは慎重に言った。
「高度三万フィートから落ちるのと、“鍵を忘れた誰かの二階の窓に忍び込む”のとでは、かなり違います」
「……なるほど」
ソロはあっさり認めた。
「それはそうだ」
---
ドーン州、ドーン城。
美しいドーン城は丘の上に堂々と建ち、眼下には港町ドーンの街並みが広がっていた。
この城はもともとレイヴンドーン王国のものだった。
――ヴァンドリア人がやって来て奪い取るまでは。
城内の作戦室では、ピエール公爵がヴァンドリアの最高幹部たちと会議を行っていた。
セレス教会の大司教、アントニオ。
ヴァンドリア王立海軍のロレンツォ提督。
ヴァンドリア王立魔導団の大魔導士、デュラック。
会議机の上には、無数の手描きの絵やスケッチが並べられていた。
ムリカの兵士、乗り物、武器などを描いたものだ。
「本当に確かなのですか、閣下?」
ロレンツォ提督が尋ねた。
「ええ」
アントニオが答える。
「聖典の記録では、魔族は身長八フィートの巨人で、恐るべき魔法を操る存在とされています。しかし、今回現れた魔族兵は我々と大差ない体格です」
「その通りです」
ピエールがうなずいた。
「しかも全員が黒い杖のような武器を持っている。見たところ、ドワーフの火銃によく似ています」
デュラックがムリカ兵の銃のスケッチを手に取った。
「火銃は弱い」
彼は言った。
「魔法障壁で簡単に防げます。なぜ魔族が魔法を完全に捨てる必要があるのです?」
「教会の現在の仮説では」
アントニオが説明する。
「百三十年前、女神が“魔族侵攻”を防ぐために、魔族の魔力の大部分を封印したのではないかと考えられています」
「その結果、現在の魔族は体格も小さく、能力も弱くなった」
ロレンツォは腕を組み、考え込んだ。
「だから道具なしでは戦えず、飛ぶこともできない……なるほど、筋は通っています」
彼は続ける。
「ですが、あの魔族の象や地獄トンボは?」
「単なる輸送手段です」
ピエールが答えた。
「魔力反応は検出されていません」
「……勇者や大国に援軍を要請するべきでは?」
ロレンツォが慎重に言った。
ピエールは肩をすくめた。
「なぜ必要なのです?」
彼は言った。
「我々はすでに魔族侵攻に備えていました」
机の上の地図を指差す。
「軍事戦略家たちの試算では、血の多い戦いにはなるものの、我々だけでも十分に持ちこたえられる」
「我が国の国庫は潤沢です。傭兵や冒険者を雇えば、メリディニア大陸の半分を守ることもできるでしょう」
彼は地図の陸橋を指した。
「そして本当に最悪の事態になれば、王立魔導士団がマルケヴァスとメリディニアを結ぶ陸橋を破壊することも可能です」
「そうすれば、魔族の進軍は止まる」
ピエール公爵は深く息を吸い、さらに続けた。
「諸君」
ゆっくりと周囲を見回す。
「我々は数千年前とは違います。遥かに進歩している」
「おそらく大国も同じ認識でしょう」
「だからこそ、魔族侵攻の脅威があるにもかかわらず、彼らは落ち着いているのです」
デュラックが口を開いた。
「それに加えて――」
彼は軽く笑う。
「今回の敵は、我々の予想よりも弱い」
「その通りです」
ピエールは満足そうに言った。
「ならば、なぜ他国を呼んで戦利品を分け合う必要がある?」
「戦利品?」
ロレンツォが眉をひそめた。
「魔族領にどんな資源があるか、我々は知っているのですか?」
「いいえ」
ピエールはあっさり答えた。
「知りません」
しかし彼の口元がゆっくりと歪んだ。
「ですが――魔族はすでに、最も価値のある資産を我々に見せてくれました」
声が少し低くなる。
野心を帯びた響きだった。
「魔族そのものです」
部屋が静まり返った。
「考えてみてください」
ピエールは続ける。
「彼らの機械の精巧さ」
「その作業効率」
「もし彼らの職人を奴隷にできれば、ヴァンドリアの発展は数十年は早まるでしょう」
彼の笑みはさらに広がった。
鋭く、隠そうともしない笑みだった。
「それに、女性の魔族は高く売れる」
「彼らの外交官は実に美しい」
「我が首都にいるエルフ奴隷にも匹敵するほどです」
デュラックがくつくつと笑った。
「はは……ピエール公爵」
彼は言った。
「あなたが将軍になる前は商人だったことを、時々忘れてしまいますね」
では正直に言いましょう」
ピエールが言った。
「かつて魔族がどれほど恐ろしかったとしても、今や我々の目の前には“奴隷になり得る大陸”が広がっているのです」
彼はゆっくりと周囲を見回した。
「魔族が弱体化していることに最初に気付いた王国――それが我々であることは幸運でした」
少し間を置き、
「今動かなければ、別の国がこの機会を奪っていくでしょう」
彼はアントニオへ視線を向ける。
「大司教も同じ考えでしょう?」
「女神は常に大胆な者を好まれます」
アントニオは厳かにうなずいた。
ロレンツォは眉をひそめる。
「では魔族公爵は?」
「彼らが弱体化しているかどうか、我々はまだ何も知らない」
「たとえ公爵たちが昔と同じ強さを保っていたとしても」
ピエールはすぐに言い返した。
「数は七人しかいません」
「同時にあらゆる場所に現れることはできない」
彼は肩をすくめた。
「それに魔王についてはどうです?」
「城から一歩も出ないのは周知の事実でしょう」
アントニオが続ける。
「教会には、歴代の勇者の日誌をもとにした完全な記録があります」
「各魔族公爵の能力と弱点が記録されています」
「写しを取り寄せましょう」
「それはありがたい」
ピエールは滑らかに言った。
「魔族奴隷で得た富によって我が王国が繁栄すれば、ヴァンドリアは新たな大国となるでしょう」
彼は穏やかな笑みを浮かべる。
「そしてその後でも、あなたが枢機卿へ昇格するのを支援するだけの金は十分に残ると保証します」
「おほほ」
アントニオは笑った。
その笑いは、聖職者の芝居で欲望を覆い隠したものだった。
「私はただの謙虚な女神の僕」
「正義の者が悪を滅ぼす手助けをする役目を与えられているだけです」
少し間を置いて、
「ですが信徒の善意ある申し出を断るなど、私にできましょうか?」
「それから」
ピエールは地図を指で叩いた。
「大魔門を守っている魔族公爵、レヴィアタンについてですが」
彼は冷たい笑みを浮かべた。
「だからこそレイヴンドーンはまだ存在しているのです」
「そろそろ彼らに働いてもらう時でしょう」
静かな声で言う。
「属国には属国の役目があります」
――
ムリカ、CDCグリーン検疫区域。
ソロとリリスは安全ラインの後ろに立ち、CDC職員たちが整然と家畜の列を検査している様子を見ていた。
「検査結果ですが」
CDCの職員が報告した。
「レイヴンドーンから輸入された動物および植物から、有害な病原体は検出されませんでした」
「通過許可を出せます」
「おお、完璧だ! 素晴らしい!」
ソロが明るく言った。
職員はまばたきをした。
どうして自国の首相が、こんなに嬉しそうなのか。
まったく理解できなかった。
「失礼ですが、閣下」
職員は慎重に言った。
「我々は食料不足に直面しているわけではありません」
「それなのに、なぜこれほど大量に輸入する必要が?」
「まあ、そのうち分かるさ」
ソロは陽気に答えた。
「農場の動物は、魔獣とはまったく別物なんだ」
「柔らかさとか、肉汁とか」
「おお……本物の豚ベーコンを一度食べたら、もう戦豚には戻れないぞ」
「その共食いみたいな話はやめなさい」
リリスが無表情で言った。
「リッチはどこ?」
「こういう説明はあいつの役目でしょう?」
「所長ならレッドゾーンにいます」
職員が答えた。
「まあ……あの方のことですから」
「こういう検疫作業は、あまり興味が湧かないようで」
――
CDCレッド検疫区域。
まるで低予算のSF映画のセットのような研究室の中。
巨大で凶暴そうな魔族が、強化観察窓の向こう側で鎖に繋がれていた。
その反対側には――
白衣を着た骸骨が立っていた。
彼は狂ったような勢いでメモを書きながら、助手たちに次々と指示を飛ばしている。
「ああ、ソロ! 見てくれ!」
リッチが叫んだ。
「素晴らしいだろう!?」
ソロは拘束された魔族を見つめた。
「それって……暴走魔族か?」
「生きた個体を研究してるのか?」
「そう!」
リッチは興奮して答えた。
「その通りだ!」
神の結界が崩壊したとき――
ムリカ国内のあちこちで、一般市民が突然巨大で凶暴な魔族へと変異した。
体は倍ほどの大きさに膨れ上がり。
魔力は爆発的に増加。
しかし知性だけは――完全に消え失せた。
結果として、国内は大混乱に陥った。
幸いにも、ムリカの法執行機関は昔から「引き金が軽すぎる」と有名だった。
そのおかげで、すべての都市と町で問題は驚くほど効率的に解決された。
捕獲された暴走魔族は、同じ壁の一点を何度も拳で叩き続けていた。
時々、巨大な火球を投げつける。
壁には深い焦げ跡が刻まれていく。
しかし不思議なことに、壁の反対側はまったくの無傷だった。
「どこかに行こうとしてるのか?」
ソロが尋ねた。
「素晴らしい観察だ!」
リッチが叫んだ。
「この被験体――そして他の暴走事例もすべて、同じ方向へ移動し続けている!」
彼は指を立てた。
「北だ!」
「大魔門か?」
ソロが推測する。
「間違いない!」
リッチは満面の笑みで言った。
「そして――これを見てくれ」
彼は画面を切り替えた。
拡大されたウイルスの映像が表示される。
その構造は、棘のような突起に覆われていた。
「女神ウイルス」
リリスが言った。
四十年前。
神経科学とウイルス学が十分に発展したころ、リッチはほぼすべての魔族の体内に存在するウイルスを発見した。
そのウイルスは宿主が十九歳になるまで眠ったままだが、その後ゆっくりと脳の神経細胞を攻撃する。
そして――
ただでさえ愚かな魔族を、さらに愚かにしてしまうのだ。
ソロはすぐにそれを
女神ウイルス病19――通称ゴビッド19
と命名し、全国規模のワクチン接種を強制した。
「その通り!」
リッチは誇らしげに言った。
「この被験体の体内にも女神ウイルスが大量に存在している!」
彼はさらに興奮して続ける。
「だが本当に興味深いのはここだ!」
画面にX線画像が表示された。
魔族の胸の中央に、結晶のようなものが形成されている。
「ウイルスの活動がすべて胴体中央へ移動し、結晶化している」
「どうしてだ?」
ソロが聞いた。
「まだ分からない」
リッチは素直に認めた。
「だが、これが魔力出力の急激な増加の原因であることは明らかだ」
彼は興奮した声で続ける。
「報告によると、この男は以前、火の魔法でやっと煙草に火をつけられる程度だった」
「それが今ではどうだ!」
ガラスの向こうを指さす。
「一日中、破滅級の火球を撃ち続けている!」
「つまり……」
ソロは小さくつぶやいた。
「過去の魔族侵攻の原因は、それか」
「そうだ! その通り!」
リッチは高笑いした。
「ハハハハハ!」
リリスは眉をひそめた。
「どうしてそんなに嬉しそうなの?」
「こんな感染症の記録は医学史上存在しないからだ!」
リッチが叫んだ。
「そして最初に論文を発表するのは――この私だ!」
「ムアハハハハ!」
「医学委員会め、ざまあみろ!」
彼は長々と悪役のような笑い声を響かせ始めた。
ソロとリリスは、静かにそれを無視した。
「でも、どうして人々はランダムに暴走魔族になるんだ?」
ソロが尋ねる。
「被害者に共通点はあったのか?」
「ある」
リリスが答えた。
少しだけ言いにくそうに間を置く。
「調査の結果、全員に共通する特徴が見つかった」
「それは?」
「彼らは全員……」
リリスは言った。
「反ワクチン派だった」
「なるほど」
ソロはゆっくりうなずいた。
「だからいつも怒ってたのか」
ブラックハウス。
夜がブラックハウスを静かに包み込んでいた。
ソロはベッドに横たわり、まだ眠っていなかった。
焦点の合わない目のまま、指で空中をスワイプしている。
彼の特殊能力によって、地球のインターネットを閲覧していたのだ。
彼にしか見えない画面が、空中にいくつも浮かんでいる。
スマートフォン。
ドローン。
技術設計図。
やたらと略語が多く、警告がまったく足りないような代物ばかりだった。
リリスがベッドに滑り込み、彼の隣に横になる。
何もない空間をなぞる彼の指を見つめた。
スワイプ。
タップ。
ピンチ。
スクロール。
何もない場所を。
「また仕事してるふりしてポルノ見てるんじゃないでしょうね?」
「ベイビー!」
リリスはくすっと笑い、彼の腕に頭を乗せながら近づいた。
指の動きを目で追い続ける。
「ふふ、冗談よ」
彼女はあくびをした。
「で、何を探してるの?」
「バブに新しい技術を渡す必要があるんだ」
ソロが言う。
「衛星をちゃんと使えるやつをな」
リリスは彼の頬にゆっくりとキスをした。
温かく、優しいキスだった。
「……ベイビー」
彼女は小さくささやく。
「今日はもう十分働いたでしょ」
「女神のことは明日でもいいわ」
「すぐ寝るよ」
ソロが答える。
「もうちょっとだけ」
そのとき。
電話が鳴った。
リリスがうめき声をあげ、受話器を取る。
「こちら首席補佐官……はい……ええ……なるほど」
少し沈黙。
「……了解しました。ありがとうございます」
彼女は電話を切った。
そして――
ゆっくりと微笑んだ。
「ねえ、聞いて」
リリスが言う。
「モーのヴァンドリア潜入エージェントから連絡が来たわ」
彼女はさらに顔を近づける。
「内容はこう」
「“彼らは利益を見つけた”」
ソロの指が止まった。
空中のスクリーンを操作していた動きが、完全に止まる。
そして――
ゆっくりと、広い笑みが浮かんだ。
リリスはそのまま彼の上に乗った。
「前祝い、する?」
「ああ、ベイビー」
ソロはようやく見えないスクリーンから手を離した。
「俺を知ってるだろ」
部屋の外。
シークレットサービスの警護官が、ドア越しに聞こえてくるリリスの声で固まった。
彼は咳払いを一つして姿勢を正す。
そして静かに、その場を離れた。
その直後――
パチン!
「いってえええっ!」
ソロの悲鳴が廊下まで響いた。




