Chapter 23: Cleaning Up (Part 2)
少し離れた場所で、二等兵ベラとアイヴィーは移動式カメラステーションの横に座っていた。
一人のレンジャーがカメラをゆっくりと左右に振り、難民の列を順番に映していく。通過する集団を一つずつ確認しながら、アイヴィーはモニターを食い入るように見つめていた。
ベラがカップを差し出す。
「ほい。コーヒー。砂糖なし」
アイヴィーは受け取り、一口すすった。
「ありがとう」
「甘いのいらないの?」ベラが聞く。「コーラとか、ホットチョコとか」
「いえ、大丈夫です」
アイヴィーは小さく首を振った。
「私は、砂糖みたいな高価なものは口にしないように育てられたんです。あまり慣れていなくて」
ベラは同情するようにうなずいた。
「ふーん……」
自分のホットチョコをすすりながら、彼女は首をかしげる。
「それにしても、やっぱり分かんないなあ。なんで人間って、お互いを奴隷にするの?」
アイヴィーは薄く笑った。
「学校で教わったんだよね。やる気のない人に働かせるのって、ものすごく効率が悪いって」
「ふふ」
アイヴィーは微笑んだ。
「教育制度が、かなり違うんでしょうね」
「でも、あなたって珍しいよ」
ベラは言った。
「あなたみたいに教育を受けてる奴隷って。DMZの村で見た人たちとは全然違う」
「母が教えてくれたんです」
アイヴィーは静かに答えた。
「母は奴隷じゃありませんでした……ヴァンドリア人が来るまでは」
ベラの表情が柔らかくなる。
「その……お母さん、生きてると思う?」
アイヴィーは眉をひそめた。
「……可能性は低いでしょうね」
「あっ」
ベラは顔をしかめた。
「今の、悲しくさせちゃった? ごめんごめん。まだ人間の感情って勉強中でさ。共感とか、そういうの」
「ふふ、大丈夫ですよ」
アイヴィーは軽く笑った。
「むしろ少し面白いです。悪魔たちが、こんなに一生懸命、他の種族を理解しようとしているのを見るのは」
「うん……」
ベラはうなずく。
「国がさ、国境を開いたあと、ムリカ人は全員、他の種族のことを勉強したほうがいいって決めたんだ」
彼女はそのまま話し続ける。
「ほら、サキュバスみたいに最初から感情読める悪魔ばっかりじゃないしさ。あたしはヴァンパイアだけど、まあ二番目くらいには得意なんだよ? でもさ、あたしちょっと変わってるらしくて。それで情報局の試験に落ちちゃって、レンジャーに配属されてさ。それでさ、それで――」
アイヴィーは小さく微笑みながら、ベラの話を聞き流していた。
この数日間、彼女のおしゃべりは不思議と心地よかった。
だが――
アイヴィーの表情が、ふと固まる。
モニターに映った何かが、彼女の視線を捕らえた。
「す、すみません」
アイヴィーは慌てて言った。ベラの話を途中で切る。
「さっきの馬車、もう一度映してもらえますか?」
カメラの操作員が映像を調整する。
画面がズームし、豪華な馬車が映し出された。
扉には、彫り込まれた家紋。
「あの紋章……」
アイヴィーは小さくつぶやく。
「絶対に忘れません。この紋章だけは」
ベラは即座に立ち上がった。武器を構える。
「それ?」
「はい」
ベラは鋭く口笛を吹き、アーヴィングへ合図を送る。
周囲のパトロール隊が一斉に緊張を帯びた。
――目標を確認。
―――
レイヴンドーン=ムリカ合同パトロールは、豪華な馬車の隊列を静かに難民街道から外し、封鎖された森の一角へと誘導した。
最後の荷馬車の車輪が、きしみながら空き地で止まった瞬間――
空気が変わった。
緊張が、目に見えない重みとなって一行を包み込む。
濃く。
重く。
逃げ場のない圧力のように。
「し、失礼ですが……」
執事が手をもみながら、パトロール隊長に近づいた。
「な、何か問題でも? ドーンの兵士たちには、もう出発していいと言われたのですが……」
「問題はない」
レイヴンドーン側の隊長は、感情のない声で答えた。
「ただの定期検査だ」
彼は気軽に手を振る。
「馬車の中にいる者全員に、外へ出るよう伝えてくれ」
「は、はい。すぐに」
しばらくして――
商人の一家が姿を現した。
上質な絹の服。
磨き上げられた宝飾品。
難民の泥に一度も触れていない、きれいな靴。
そして何より――
金こそが道徳の代わりになると信じて生きてきた人間特有の姿勢。
太った商人が、宝石で飾った妻の隣に立つ。
二人の息子――二十代ほどの若者たちが、その両脇に並んだ。肩をこわばらせ、落ち着きなく視線を動かしている。
「ど、どうされましたかな、兵士殿?」
商人はどもりながら言った。
「わ、私はただの商人ですぞ」
隊長は答えなかった。
ただ一歩、横に退く。
その背後に立っていた人物を見て――
商人は息を呑んだ。
死んだはずの人間。
アイヴィー。
生きていた。
しかも――ムリカ兵に護衛されて。
一家全員の体が硬直する。
恐怖。
困惑。
罪悪感。
すべてが一度に顔へ浮かび上がった。
「ア、アイヴィー……?」
商人は声を詰まらせた。
「き、君……生きていたのか? あ、ああ……女神様に感謝を……」
震える声で、無理やり笑顔を作る。
「無事でいてくれて、本当に嬉しいよ……娘よ……」
「こんにちは……ご主人様」
アイヴィーは静かに言った。
――ご主人様。
その一言が、レイヴンドーン=ムリカ合同パトロールの中を波のように走った。
ライフルを握る手が強くなる。
剣の柄を握る指がわずかに締まる。
商人はごくりと唾を飲み込んだ。
「き、君は……その……この兵士たちと知り合いなのかね?」
声が震えている。
「たぶん」
アイヴィーの視線が、ゆっくりと一行をなぞる。
そして――少しだけ声が鋭くなった。
「ご主人様……母は、どこですか?」
その質問は、刃のように落ちた。
一家が凍りつく。
執事も、使用人たちも顔が真っ青になった。汗がにじむ。罪悪感が、目に見える震えとなって広がっていく。
「そ、それは……あの……」
商人は言葉を探した。
だが、口の中で崩れた。
アイヴィーは小さくため息をつく。
「もういいです」
落ち着いた声だった。
「答えなくて結構です。もう分かっていますから」
アーヴィング大尉が一歩前に出た。
「ミス・アイヴィー」
彼は淡々と言う。
「こいつらで間違いないな?」
アイヴィーの目が冷たくなった。
「……はい、大尉」
「この家族。護衛。使用人たち」
「奴隷は?」
アーヴィングが聞く。
アイヴィーの視線が、隊列の後ろへ向いた。
そこには――
鎖につながれた少女たちがいた。
十歳から十五歳ほど。
怯えきった目。
売り物の家畜のように、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
「いいえ」
アイヴィーは静かに言った。
「新しい子たちです。私のことは知りません」
アーヴィングは一度だけ、レイヴンドーンの隊長へ視線を送る。
レイヴンドーンの隊長も、無言でうなずいた。
そして――
世界が終わった。
RATATATATA――! RATATATA!
ムリカのレンジャーが、武装した護衛たちを容赦なく撃ち倒す。
警告はない。
演説もない。
「きゃああああっ!」
SLASH――! SKRRK!
レイヴンドーン兵の剣が閃く。
執事も使用人たちも、ほとんど一瞬で倒れた。
動きは正確で、無駄がなく、訓練された処刑そのものだった。
商人とその家族は地面に崩れ落ち、悲鳴を上げた。
彼らの財産。
彼らの護衛。
そして、自分たちは守られているという確信。
すべてが、ほんの数秒で消えた。
これは――必要なことだった。
アイヴィーはすでに政治的象徴になっていた。
ムリカが救った奇跡の生存者。
国際外交のポスターガール。
ムリカは命を救う国だ――その証明。
もし外国が知ればどうなるか。
彼女が奴隷だったことを。
しかも――売春奴隷だったことを。
その瞬間、物語は崩壊する。
タルヴァリスでは、奴隷は人ではない。
ただの財産だ。
だから――
後始末は残しておけない。
今、生きているのは商人一家だけだった。
泥の中で震えている。
「ア、アイヴィー! 頼む!」
太った商人が叫びながら、這って近づいてくる。
「止めてくれ! 彼らに言ってくれ! わ、私は……私はお前の父だ!」
アイヴィーは彼に歩み寄った。
「知っています」
そして――
ムリカ製の9ミリ拳銃を持ち上げた。
ムリカ兵たちが一斉に目を見開く。
「おい、どこからそれを――?」
アーヴィングが思わずつぶやく。
BANG。
BANG。
二発。
妻が音もなく倒れた。
BANG。
BANG。
一人目の息子。
BANG。
BANG。
二人目。
全員、即死だった。
苦しみもなく。
ためらいもなく。
商人は家族の死体を見つめる。
口が開いたり閉じたりする。
ようやく恐怖が肺から空気を奪った。
「だから……」
アイヴィーはささやいた。
「あなたを最後にするんです」
BANG。
BANG。
BANG。
BANG。
BANG。
BANG。
CLICK。
CLICK。
CLICK。
CLICK。
弾がなくなっても、彼女は引き金を引き続けた。
手が激しく震えている。
だが顔は――
空っぽだった。
遠く。
どこか切り離されたような表情。
アーヴィング大尉が飛び出し、無理やり拳銃を奪い取る。
「どこでこんな物を手に入れた!?」
彼は反射的にベラ二等兵をにらんだ。
「え?」
ベラは自分のホルスターを確認する。
空だった。
「ええええええええっ!?」
アイヴィーは頭を下げた。
「……申し訳ありません、大尉」
彼女は背を向ける。
そして歩き出した。
肩が震えている。
足取りは不安定。
それでも――止まらない。
アーヴィングは深く息を吐いた。
「……ショーは終わりだ」
部下たちへ言う。
「奴隷を解放しろ」
分隊はすぐに動いた。
鎖が地面に落ちる。
子供たちは散り散りに走った。泣きながら。逃げるように。
中には、その場に立ち尽くす者もいた。
自由がどんなものなのか、分からない。
一方――
アイヴィーは歩き続けた。
誰もいない場所まで。
そして一台のハンヴィーの後ろにしゃがみ込む。
自分の体を抱きしめる。
腕に指を食い込ませる。
体がばらばらにならないよう、必死に押さえ込むかのように。
両手で口を覆った。
そして――
叫んだ。
「ンンンッ……ンンンンッ……ンンンンンンンンッッッッ――!!」
毎年。
毎晩。
毎回の恐怖の呼吸。
人生すべての痛みが――
一つの、声にならない叫びとなってあふれ出た。
皆、聞いていた。
そして皆――
聞こえないふりをした。
―――
ムリカ合衆国 タクシーズ州
荒れた赤い平原が、二体の猛獣の咆哮で震えていた。
一体は巨大な怪物。
ワイバーンの脚。
爬虫類の翼。
巨大な尾。
そして――
とても機嫌の悪いニワトリの頭。
純度100%の殺意を放つ、怒り狂った家禽の表情。
そう。
コカトリス。
「スクリィィィィィィィィィィチ!!」
その向かいに立っていたのは、傷だらけのミノタウロスだった。
巨大な斧を握りしめている。
その肉体は――まるで筋肉の神が悪夢のテンションで作り上げた彫刻。
皮膚の下で筋肉がわずかに震える。
興奮している。
だが動きは統制されている。
そして何より――
恐ろしいほど冷静だった。
「グルォォォォォォォ!!」
最初に突進したのはミノタウロスだった。
コカトリスはくちばしに魔力を集める。
バチバチと弾ける電気。
膨れ上がる魔力の球体。
雷鳴のような音を立てながら――
それを撃ち放った。
稲妻の弾丸。
だがミノタウロスは避けた。
転んだわけでもない。
転がったわけでもない。
ただ横へ跳んだ。
驚くほど軽やかに。
蹄が地面に触れたのは一瞬だけ。
そして――もう一度跳ぶ。
斧を高く振り上げる。
SLAAASH。
コカトリスの首が、体からきれいに離れた。
ドスン、と鈍い音を立てて地面に落ちる。
「グルォォォォォォォ!!」
ミノタウロスはその首を掲げ、勝利の咆哮を上げた。
パチ。
パチ。
パチ。
パチ。
パチ。
「レディース・アンド・ジェントルメン」
アナウンサーが声を張り上げる。
「最後の訓練生――ビリーです!」
観客席に座る、上品な服装の悪魔たちが礼儀正しく拍手する。
最前列には三人。
ソロ。
モニー。
そして――
アーノルド・スアサナセガル州知事。
かつて伝説と呼ばれた傷だらけのミノタウロスは、今や完璧に仕立てられたスーツを着て座っていた。
「それでは」
アナウンサーが続ける。
「アレックス・ソロモン首相とスアサナセガル知事をお迎えして、卒業式を行います!」
ソロとアーノルドはフィールドへ歩き出る。
そこには新しい卒業生たちが並んでいた。
ミノタウロス。
オーガ。
トロール。
サイクロプス。
全員、実戦でついた傷を誇るように持っている。
頭上には大きな横断幕。
KING RANCH COWBOYS 卒業式
ソロは一人ずつにカウボーイハットを渡す。
アーノルドはブーツを手渡す。
ムリカでカウボーイになるのは――冗談ではない。
キング・ランチ。
ムリカの誇り。
総面積三百二十四平方キロメートル。
巨大な電気フェンスで囲まれた土地は、まるで悪魔版ジュラシック・パークだった。
地獄豚。
マンティコア。
コカトリス。
その他いろいろな「家畜」が外へ逃げて通行人を食べないように作られている。
だから――
巨大種の悪魔を牧場主として雇うのは、非常に合理的な判断だった。
しかし。
今日のイベントで、ソロはある問題に気づいた。
しかも――
かなり大きな問題だった。
―――
「何があったんだこれは!?」
ソロが叫んだ。
輸入されたレイヴンドーン産の牛、ヤギ、豚。
本来なら高級家畜のはず。
だが今――
全員、ガリガリに痩せている。
震えている。
目は見開かれ、完全にトラウマ状態。
アーノルドがソロの肩を軽く叩いた。
「はぁ……ソロ」
落ち着いた声で言う。
「当たり前だろ」
「この動物たち、ストレスで限界なんだ」
「数時間おきにマンティコアとか、別の農場モンスターが柵を破ろうとしてくる。簡単な獲物の匂いがするからな」
「それに」
アーノルドはビリーを指差す。
「巨大な牧場主が歩き回ってるのを見て、怖くないと思うか?」
その頃――
ビリーはしゃがみ込み、優しい笑顔で鶏に餌をあげようとしていた。
鶏たちは見た。
巨大なミノタウロス。
目が合った。
――パニック。
大暴走が始まった。
数羽はその場でショック死。
ビリーはそれを見下ろした。
ビリーは悲しかった。
「しかも、それが一番の問題じゃない」
アーノルドは続ける。
「餌だ。トウモロコシも干し草も育たない」
「結界が消えても、土壌がまだ酸性すぎる」
ソロの顔が青くなる。
「……じゃあ、餌はレイヴンドーンから買い続けるのか?」
「そうだ」
アーノルドは即答した。
「しかもクソ高い」
「ノオオオオオオオ!!」
モニーが眼鏡を押し上げた。
「だから失敗するって言ったでしょう」
「俺のベーコン……俺のバーガー……」
ソロは泣きそうな声を出す。
アーノルドは声を落とした。
「なあソロ」
「友達として忠告する」
「この計画を続けたら――農家の票を失うぞ」
ソロは肩を落とした。
「はぁ……分かったよ、アーノルド」




