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Chapter 20: PR

ヴァンドリア王国 ― ドーン州


 数日にわたる強行軍の末、ピエール公爵と、その“残り物”の軍勢は、ようやくドーン州の国境へとたどり着いた。


 かつて三万を誇ったヴァンドリア軍は、今や見る影もない。


 ぼろぼろの縦列だった。


 即席の松葉杖で足を引きずる兵士。

 血の染みた包帯を巻いたままの者。

 へこみ、ひび割れた鎧。

 破れ、泥と血で汚れた軍旗。


 疲労が、腐臭のように軍全体にまとわりついている。


 誇りなど、とっくの昔に道端へ流れ落ちていた。


「閣下」


 士官が報告した。声はかすれていた。


「このまま進めば、日没までには都市へ到着できるはずです」


「そうか」


 ピエールは答えた。声は砂利のようにざらついている。疲労と屈辱で喉が削れきっていた。


「到着次第、首都へ連絡を取る。兵に伝えろ――歩き続けろ」


 行軍は再び始まった。


 ドーン州の田園地帯は――穏やかだった。


 肥沃で。

 のどかで。

 腹立たしいほどに平和だった。


 青々とした牧草地が、開けた空の下に広がる。

 ゆるやかな丘陵が、波のようにつながっている。

 静かな小川が午後の光を映し、まるでこの世界に何一つ問題など起きていないかのようだった。


 だが――


 土地は、彼らを見ていた。


 ビーストマンと人間の農民たちが、畑仕事の手を止め、軍列を見送っていた。


 彼らは元々、レイヴンドーン王国の民だ。

 長年、ヴァンドリアの税と徴発に耐えてきた人々だった。


 誰も目を逸らさない。


 ただ、見ていた。


 ある者は小声で囁き合い。

 ある者は腕を組み。

 ある者は――


 薄く笑った。


 同情はない。

 恐れもない。


 ピエールはそれに気づいた。


 好きなだけ笑っていろ、腰抜けども。


 彼の顎がきしむように固まる。


 俺の軍が再編されれば――

 次に代償を払うのは、お前たちだ。


 ヴァンドリアを裏切ったことを、骨の髄まで後悔させてやる。


 その思考は、熱く、どす黒く、彼の胸の中で渦巻いた。


 休息よりもよほど彼を支えていた。


 数時間後――


 軍列が止まった。


 彼らの進路を塞ぐように、軍勢が立っていた。


 数千。


 レイヴンドーンの旗が、誇らしげに風にはためいている。


 上空ではワイバーン騎兵が旋回し、その影が地面を横切る。まるで死肉を待つ鳥のように。


 さらにその後方。


 ドーンの都市から、煙が立ち上っていた。


 濃く。黒く。

 誰の目にも明らかだった。


 隊列の最前列。


 白馬にまたがり、静かに軍を率いていたのは――


 ルクシウス王子だった。


 ピエールの顔が、怒りで歪む。


「き、貴様ぁぁぁ!!」


 彼は叫んだ。


「この忌々しい王子め! 持ち場を放棄して戦線を崩壊させたのは貴様だろうが!」


 ルクシウスは、静かに顎を上げた。


「何を言っている」


 落ち着いた声だった。


「私は、いるべき場所にいる」


 彼は背後の都市を一瞥する。


「――我が民の街の中でな」


 その視線が、鋭くなる。


「そして、私の戦いは――今まさに始まるところだ」


「まさか……魔族と手を組んだのか!?」


 ピエールは怒鳴った。


 ルクシウスは、ためらいもなく答えた。


「貴様を罰することができるのなら」


「私は、どんな悪魔とでも契約する」


「この……裏切り者が!!」


 ピエールが叫んだ。


 その瞬間――


 ルクシウスは剣を掲げた。


「レイヴンドーン――突撃!!」


 次の瞬間、戦場が轟音の咆哮に包まれた。


 軍勢が一斉に前へと雪崩れ込む。


 大地が震えた。


 そして――


 戦いが始まった。


 ―――


エルヴァンダール王国 首都ヴァリノール


 ヴァリノール。


 そこは、まさに教科書に載せるために作られたようなファンタジー系エルフ首都の完成形だった。


 広大な大都市と古代の森が共存しているのに、どちらもまったく迷惑そうにしていない。そんな不思議な場所である。


 そびえ立つ巨木は、そのまま高層ビルの役割を果たしていた。


 太い幹には優雅な住居が彫り込まれ、らせん状のバルコニーが幾重にも巻きついている。

 枝から枝へは繊細な吊り橋が渡され、地上はるか上空で静かに揺れていた。


 さらに空には、浮遊島まで漂っている。


 まるで空そのものが、都市計画に参加しているかのようだった。


 そして――


 当然ながら、都市の中心には*“あの木”*が立っている。


 一本の、巨大すぎるほど巨大な木。


 樹皮と神性でできた記念碑のような存在で、その高さは雲の中にまで突き抜けている。


 ある者はそれをユグドラシルと呼び。

 またある者は世界樹と呼んだ。


 だが名前などどうでもいい。


 どの木のことを指しているのか、誰でもわかるからだ。


 優雅なペリュトン――つまり翼の生えた鹿。エレガンスには航空能力が必要なのである――がエルフたちを空へ運ぶ。


 巨大なロック鳥は、威厳ある羽ばたきで都市間の物流を担当していた。


 葉の間には静かな魔力が満ちている。

 魔法で強化された樹冠を通して差し込む陽光が、都市全体を常に翡翠色の輝きで包み込んでいた。


 エルヴァンダールは、ただ緑なのではない。


 過剰なまでに緑だった。


 クリーンエネルギー。

 クリーン魔法。

 クリーンな魂。


 つまり――


 肉なし。

 酒なし。


 そして、どの宇宙のヴィーガンも例外なくそうであるように、


 自分たちが他の種族より優れていると、心の底から確信していた。


 その完璧主義は、結果として彼らをある程度孤立した国家にしていた。


 弱いからではない。


 ただ単に、

 延々と続く道徳講義を聞かされるのが、訪問者にとってしんどいだけだった。


 とはいえ、どの国もエルヴァンダールに正面から喧嘩を売ることはない。


 彼らは美容と若返りの達人であり――


 同時に、環境戦争の達人でもあるからだ。


 そのユグドラシルの巨大な幹を中心に建てられた、白く輝く王宮の内部。


 エルフの最高指導者たちが、マナ通信クリスタルの周りに集まっていた。


 そこにいるのは――


・美しく完璧なエルフ女王

 テッサリア・ウルマリス


・ハンサムで完璧な大ドルイド

 ヴルレド・ネレミン


・同じくハンサムで同じく完璧な大魔導師

 パエリス・エルカゼル


 そして数名の大ドルイドと大魔導師。


 もちろん全員、天使レベルの美形である。


 クリスタルの横では、ひとりの技術者が床にしゃがみ込んでいた。


 額から汗がだらだら流れている。


 彼の周りにはプチプチの緩衝材と、開いた箱が散らばっていた。


 片手にはiPod。

 もう片方には折りたたまれた説明書。


「えーと……」


 彼は小声でつぶやく。


「Bluetoothの設定が出てくるまで……スクロールして……」


「あとどれくらいかかるの?」


 テッサリア女王が尋ねた。


 その称号と美貌の輝きがあまりにも強すぎて、


 技術者の冷や汗はむしろさらに加速した。


「は、はい、女王陛下。いま起動しようとしているところです」


 技術者が答えると、大ドルイドは完璧に整った鼻をしかめた。


「ふん……我らの神聖なる宮殿に、悪魔の装置とは……」


「本物の悪魔を宮殿に入れるよりは、まだましでしょう」


 大魔導師が落ち着いた声で言った。


「もっとも、この装置からはマナをまったく感じませんが」


 エルヴァンダールは当然のように、ムリカからの設置サポートの申し出を丁重に断っていた。


 理由は単純。


 悪魔はエルヴァンダールに立ち入り禁止だからである。


 結果として――


 汗だくの技術者が、ひとりで頑張る羽目になった。


 そしてついに。


「Bluetooth接続……完了……。ええと……多分……準備できました、女王陛下」


 その瞬間。


 その場にいたすべてのドルイドと魔導師が、同時に呪文を発動した。


 きらめく防御結界が幾重にも重なり、女王とエルフの高官たちを完全に包み込む。


 あらゆる悪魔的トリックに備えた、厳重すぎるほどの魔法防御だった。


 なお――


 技術者はその中に含まれていない。


 テッサリア女王は優雅に手を上げた。


「再生なさい」


 技術者は唾を飲み込む。


 そして、iPodの横向き三角ボタンを押した。


 マナクリスタルがちらりと光る。


 次の瞬間――


 音楽が流れ始めた。


 壮大なファンファーレ。


 どこか*“Hail to the Chief”*に似ている気がするが、きっと気のせいだろう。


 ホールの中央に映像が投影される。


 そこに現れたのは――


 ソロだった。


「エルヴァンダールの指導者諸君、こんにちは」


 落ち着いた声が響く。


「私はアレックス・ソロモン。ムリカ連合王国の首相だ」


 エルフたちは一斉に背筋を伸ばした。


「あれが……魔王以外の、魔族側の指導者なのですね?」


 女王が静かに尋ねる。


「はい、陛下」


 大ドルイドが答えた。


 そして。


 大ドルイドと大魔導師が、完璧なタイミングで一歩前へ出た。


 ローブが優雅に揺れる。


「ご挨拶申し上げる、アレックス・ソロモン」


「我はエルヴァンダール大ドルイド、ヴルレド・ネレミン」


「そして私はエルヴァンダール大魔導師、パエリス・エルカゼル」


「ここに紹介しよう」


「エルヴァンダールの女王」


「エルフの守護者」


「偉大なる生命の樹ユグドラシルの管理者」


「テッサリア三世を――」


 その瞬間。


 技術者がパニックになった。


 ポチッ。


 一時停止。


「す、すみません、閣下方! 女王陛下!」


 技術者は慌てて説明書をめくりながら頭をかいた。


「こ、これは普通のマナ通信じゃないんです。ええと……“ビデオ”って言うらしくて……録画なんです。つまり……その……」


 彼は困った顔で言う。


「えー……手紙みたいなものです。映像付きの」


 沈黙。


 エルフの貴族たちは、必死に威厳を保とうとしていた。


 明らかに難しそうだったが。


 やがて。


 女王が軽く咳払いをした。


「……そ、そういうことなら」


 彼女は静かに言う。


「その……続けなさい。その“もの”を」


 再生ボタンが押された。


 映像が再び動き出す。


 そこに映し出されたのは――


 平和なムリカの生活。


 そして。


 数々の技術の奇跡だった。


 エルフたちは黙って見つめる。


 その胸に、これまで感じたことのない奇妙な不快感を抱えながら。


 ―――


ドワルゴニア王国 首都ハースガード・ケルン


 タンボラ大山脈の奥深く。


 その地下には、巨大な都市が広がっていた。


 ハースガード・ケルン。


 石を削って造られた、広大な蒸気都市である。


 銅のランタンが街を照らし、岩壁の奥を流れるマグマの光が都市全体を赤く染めていた。


 まるで山そのものが心臓を持っているかのように、溶岩の脈が岩の中で脈動している。


 鉄のトンネルを蒸気機関車が轟音を立てて走り抜ける。


 補強された金属道路の上を蒸気自動車がガタガタと進む。


 地下湖に作られた港には蒸気船が停泊していた。


 山の上部に掘り抜かれた巨大格納庫からは、蒸気飛空艇が発進する。


 それらは山頂を貫く縦穴を通り、上空へと消えていった。


 もしエルヴァンダールが自然と調和した優雅さだとすれば、


 ドワルゴニアは――


 自然への堂々たる反逆としての産業だった。


 ドワーフはエルフの完全な対極である。


 エルフは自然の優雅さを体現する。


 ドワーフは工業への情熱を体現する。


 エルフは背が高く、彫像のように整い、完璧。


 ドワーフは背が低く、頑丈で、美的評価については交渉の余地がある。


 エルフは木を愛する。


 ドワーフは木を切ることを愛する。


 エルフは肉と酒を避ける。


 ドワーフは毎週末バーベキューパーティーを開く。


 両者は文化的伝統に従って、きっちりと互いを嫌っていた。


 とはいえ。


 ドワルゴニアに喧嘩を売る国は存在しない。


 彼らは醸造とバーベキューの達人であるだけでなく――


 極めて効率の良いファンタジー殺戮機械を作る達人でもあるからだ。


 グランドフォートレスの内部。


 大評議会を構成する五つの氏族の長たちが、同じムリカの映像を見ていた。


 出席しているのは――


・シルバーフィスト氏族長

 トゥブラット・シルバーフィスト


・アックスブレイカー氏族長

 ドワードーグ・アックスブレイカー


・オークンブリュー氏族長

 カルギラ・オークンブリュー


・ブルースパイア氏族長

 ネルフィリン・ブルースパイア


・サンドビアーズ氏族長

 オロス・サンドビアーズ


 ムリカの大使、マーラは議場の中央に座っていた。


 彼の周囲には、蒸気装甲スーツを着たドワーフ兵が六人。


 それぞれが移動砲台レベルの重武装を装備している。


 だが――


 マーラはまったく気にしていない様子だった。


「つまりだ」


 トゥブラットが腕を組みながら唸る。


「お前らの魔王国は、今や俺たちみたいな機械国家ってわけか?」


「その通りです、シルバーフィスト評議員」


 マーラは丁寧に答えた。


 ドワードーグ・アックスブレイカーが身を乗り出す。


 目が細くなる。


「なら答えろ」


「お前らの機械と、俺たちの機械……」


「どっちが強い?」


 それは罠の質問だった。


 外交的には完全に詰みの質問である。


 だが。


 マーラは微笑んだ。


「もちろん――」


「我々のほうです。」


 沈黙。


 そして――


「ブアハハハハハハハ!!」


 評議会が爆笑した。


 石造りの議場が揺れるほどの大笑いである。


「機械文明になってまだ何年だ? 一世紀も経ってねえだろ!」


 ネルフィリンがケラケラ笑う。


「いつか試してみるかもしれんな」


 オロスが鼻で笑った。


「ハハハ! 正直者だな、大使!」


 カルギラが玉座の肘掛けを叩きながら言う。


 マーラは軽く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 ドワーフは率直さを好む。


 遠回しな外交辞令は、ただの酸素の無駄なのだ。


「続きを流せ」


 オロスが手を振る。


「その……なんて言うんだ? ビデオとかいうやつ」


 映像が再開された。


 画面に映るのはDMZ村。


 悪魔族と様々な種族が平和に共存している。


 市民たちは楽しげに会話している。


 囚人や娼婦だった者たちが、今では愛情深い夫や妻として暮らしている。


 エホバ・アキュセスは、家の扉が開くたびに笑顔で挨拶していた。


 そして――


 ヴァンドリア軍の襲撃が始まる。


 ドワーフたちは身を乗り出した。


 目つきが変わる。


 画面の中で、ムリカの女性兵士がフレームに飛び込んできた。


「大変です! 奴らが民間人を殺しています! 止めないと!」


(この部分はベルフィーが吹き替えた。)


 ムリカ軍が襲撃者を撃ち倒していく。


 ドワーフたちは満足げにうなった。


 だが――


 今回は誰も笑わなかった。

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