Chapter 14: A Demon Called Satan
ヴァンドリア軍 本陣中央
「悪夢だ……こんなの、悪夢だ……」
ピエール公爵は震えながら、前方で広がる壊滅的な光景を見つめていた。
「我が軍の重魔導部隊が……消えた……」
そのとき――
遠くから、轟音のような咆哮が響いた。
「な、なんだ……今のは何だ!?」
ピエールが叫ぶ。
「サタンだ! サタンが来たぞ!」
上空で警戒していた鳥人族の見張りが絶叫した。
本陣の兵列に、恐慌が波紋のように広がった。
命令が届くよりも早く、恐怖が軍全体を飲み込んでいく。
「レ、レヴィアタンじゃない……サタン本人だと!? これで終わりだ……!」
ピエールの膝が崩れそうになる。
恐怖が思考を押し潰し、頭の中がぐるぐると回り始めた――
「しっかりしろ、公爵!!」
鋭い怒声が飛んだ。
大司教アントニオが馬を駆って現れ、燃えるような目でピエールを睨み下ろす。
「確かに重部隊は失った」
アントニオは唸るように言った。
「だが、あれは魔界戦神だ。人類の古き宿敵だぞ! 奴を討つのは我らの聖なる義務だ!」
彼は馬首をぐるりと返した。
「私と聖騎士団は右翼へ向かう!」
大司教は振り向きざま、ピエールを指さした。
「そして貴様は将軍としての義務を果たせ! ここで逃げれば、教会でさえ貴様と貴様の家族をヴァンドリアの迫害から守らん。忠告したからな!」
言い終えるや否や、アントニオは馬に鞭を入れた。
聖騎士たちがすぐに周囲を固め、そのまま一団は駆け去っていく。
ピエールは彼らの背中を見つめた。
(くそ……! あいつ、気づいてやがる!)
そのとき――
西へ移動していくムリカ軍の戦車部隊が目に入った。
ピエールは、その動きを完全に誤解した。
「……谷を離れていく……」
彼は呟いた。
「我々に突破口を与えているのか……」
恐怖が、今度は必死の希望へと歪む。
「閣下?」
副官が不安そうに尋ねた。
「大司教を援護しますか? それともゲートへ向かいますか?」
「ゲートだ!」
ピエールは即座に叫んだ。
「作戦Bを実行する!」
「魔門を突破し、そのまま東へ進軍。海軍と合流する!」
彼の脳裏に、ロレンツォ提督の顔が浮かんだ。
(運が良ければ……)
(途中で魔族の村を見つけて……奴隷を捕らえられるかもしれん)
拳を握り締める。
「全軍に伝令! 谷へ進軍する!!」
(もし門を越えて、魔族奴隷を何人か捕まえられれば……)
(完全な敗北にはならん……)
(まだ……言い訳はできる……)
ピエールの思考が悲鳴を上げる中、ヴァンドリア軍は動き始めた。
―――
ヴァンドリア軍 右翼
「弦を引け! 狙え! 放て!」
弓兵隊長の号令が響く。
数百本の矢が一斉に空へと舞い上がった。
黒い雲のように空を覆い、そのまま弧を描いて――
スタンの頭上へと降り注ぐ。
スタンは片腕を上げ、頭を守った。
カン。
カン。
カン。
矢は彼の皮膚に当たると、まるで小枝のように弾かれ、地面へと落ちていく。
「うわ……ちょっと待て、ちょっと待て」
スタンは不満げにぼやいた。
「まだ準備できてねぇんだけど。」
また新たな矢の雨が降り注いだ。
カン。
カラン。
パキッ。
スタンは大きくため息をついた。
脅威を感じているというより、ただ単純にうるさいという顔だった。
彼は振り向き、すぐ近くに落ちていた巨大なコンテナへ歩み寄る。
縁をつかむと、力任せに一気に引き裂いた。
バキン。
中身を見た瞬間――
スタンは嬉しそうに微笑んだ。
「ああ……」
懐かしそうに呟く。
「会いたかったぜ。」
コンテナの中に収まっていたのは、彼の真の体格に合わせて異様なまでに大型化されたカスタムGAU-8アヴェンジャーだった。
戦場の光を受けて、銃身が鈍く輝く。
その横には、巨大な弾薬ドラムがいくつも並び、まるで忠実な獣のように静かに待機していた。
スタンはドラムを背中に担ぎ上げ、巨大な両手でオートキャノンを軽々と持ち上げる。
慣れた動きで構えた。
「よし。」
彼は満足そうに言った。
「これで準備完了だ。」
BRRRRRRRRRRRRRTTTTTTT
次の瞬間、戦場のすべての音がかき消された。
オートキャノンが唸りを上げる。
数百発の高性能焼夷榴弾が、炎と金属の絶叫となって右翼へと流れ込んだ。
盾が粉砕される。
鎧が蒸発する。
詠唱中の魔法が途中で崩壊する。
どんなものも、一瞬以上は持たなかった。
BRRRRRRRRTTT
スタンは頭を仰け反らせ、大声で笑う。
「ハハハハハハハ!!」
「ようこそ戦場へ、人間ども!!」
「ここは俺のホームだ!!」
―――
FOBドアーズ 司令センター
司令センターの内部では、将校たちがコンソールの間を忙しく行き来していた。
無線の声が無線の声に重なり合う。
デジタル地図には、刻々と動く記号が点滅している。
偵察機から送られてくるライブ映像は、戦場全体を幽霊のような緑と白で映し出していた。
一人の士官が、自分の端末を見て硬直する。
「報告します。敵中央部隊がゲート方向へ進軍中。現在、谷へ侵入しました。」
ハンツ将軍はわずかに身を乗り出した。
指先をコンソールの縁に置く。
口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
それは愉快さではない。
確信だった。
「敵の指揮官には」
彼は静かに言った。
「部下を救うための撤退の機会が、何度も与えられていた。」
彼の目が細くなる。
視線はライブ映像に釘付けだった。
「それなのに――」
「最もわかりやすい罠へ、まっすぐ歩いて入る道を選んだ。」
短い沈黙。
「彼の下で戦う兵士たちの魂には、同情する。」
さらに短い沈黙。
今度は、より冷たい。
「だが同時に、敵が我々にくれる最高の贈り物にも深く感謝している。」
ハンツは背筋を伸ばした。
「それは――」
「愚かさだ。」
司令室が静まり返る。
「母上に伝えろ。」
ハンツは淡々と言った。
「遊びに出てきてもいい、と。」
「了解しました。」
―――
ムリカ軍「バイソン」戦車中隊
装甲縦隊は時速六十五キロで西へ突き進んでいた。
鋼鉄の車体が土と石を押し潰しながら進む。
エンジンの咆哮は祈りの声さえかき消すほどだった。
側面にいたヴァンドリア兵たちは、ただ呆然と見送ることしかできない。
金属の怪物たちが目の前を駆け抜けていく。
問題は地面ではなかった。
空だった。
鳥人族の戦士たちが、執拗な波となって降下してくる。
翼が空気を切り裂きながら、戦車へと急降下した。
BRRRRRRRRRRRRTTTTT
四門のM163バルカンが一斉に唸りを上げた。
灼熱の金属の流れが、空へ向かって暴力的な線を描いた。
「俺、もう何百匹も撃ち落としてるぞ!」
バルカン砲の射手が叫んだ。顔から汗が滝のように流れている。
「なのに全然減らねえ! どんどん来やがる!」
「そりゃ数千いるからだ、このバカ!」
運転手が怒鳴り返す。
「計算くらいしろ!」
「無駄口叩く暇があったら撃て!」
車長が怒鳴りつけ、すぐに通信機をつかんだ。
「バイソン・リーダー、こちらノーブル・リーダー。スウォーマーどもが賢くなってきた。低空で滑り込んで、そっちの縦隊を盾にしてる。こっちは撃てばあんたらに当たる」
「了解、ノーブル・リーダー」
返ってきた声は、腹立たしいほど落ち着いていた。
縦隊の前方では、鳥人族の戦士たちがさらに高度を下げていた。
羽が地面をかすめるほど低く飛び、エイブラムス戦車を移動式の盾として利用している。
そのうち八体が、走行中の戦車に飛びついた。
ガンッ! ガンッ!
剣、槍、そして爪が装甲板を叩きつける。
「バイソン2-3からバイソン2-2! お前の上にスウォーマー乗ってるぞ!」
「言われなくてもわかってるよ、シャーロック!」
慌てた声が返ってきた。
「めちゃくちゃ叩いてきやがるんだよ、うるせぇ――うわあああっ! クソッ! 機関銃やられた!」
通信の向こうで車長の悲鳴が響いた。
鳥人族の戦士が、車体上部の機関銃を叩き壊したのだ。
「バイソン2-3! 同軸機銃で俺ごと撃て!」
「本気か、バイソン2-2? それやると――」
「いいからやれえええ!!」
「……チッ、わかったよ! 言っとくけど、修理代は割り勘しねぇからな!」
RATATATATATATATATATATATATATA
7.62mm同軸機銃が前方の戦車をなぎ払うように掃射した。
悲鳴を上げる鳥人族の身体が次々と引き裂かれる。
羽毛、血液、砕けた装備の破片が四方に弾け飛び、エイブラムスの装甲を真っ赤に染めた。
生き残ったものも、もはや原形を留めていない。
肉の塊となって、ぬるりと戦車から滑り落ちていく。
それでも戦車は、速度を落とすことなく走り続けた。
―――
ヴァンドリア軍 右翼
BRRRRRRRRRRRRRRRTTTT
「ハハハハハハハ!! その調子だ! もっと来い!」
スタンは狂った神のように笑いながら、カスタムGAU-8アヴェンジャーを撃ち続けていた。
灼熱の弾丸が、ヴァンドリア軍の隊列に赤く輝く線を刻んでいく。
兵士たちはまとめて吹き飛ぶ。
何十人もが、一瞬で消えた。
矢が彼の体に降り注ぐ。
だが――
カン。カン。
すべて弾き返され、役立たずの雨のように地面へ落ちるだけだった。
正規軍など、彼にとっては問題にもならない。
ただ――
ときどきヴァンドリア軍の中に混ざっている冒険者パーティーは、少しばかり面倒だった。
「詠唱する間、私を守って!」
Aランク冒険者の魔法使い、カレンが叫ぶ。
「任せろ! やっちまえ、カレン!」
彼女のパーティーは即座に陣形を組んだ。
盾役が前面中央。
盗賊が側面へ回り込む。
ヒーラーが後方を固め、
ダメージディーラーが彼女のすぐ隣に付く。
教科書通り。
無駄のない、プロの動きだった。
ここが勝負だ。
もし魔界戦神を倒せば――
彼らの名声は一気に跳ね上がる。
カレンの詠唱が高まっていく。
鋭く、儀式的な言葉が連なり、空気そのものを重く歪ませる。
足元に巨大な魔法陣が展開した。
彼女の手の上に、小さな炎が生まれる。
それは次第に融合し、渦を巻き、膨張していった。
やがて――
巨大で、眩しく、やたら装飾の多い火球へと成長した。
それは派手だった。
やかましくて、目立ちすぎていた。
つまり――
外すほうが難しい。
スタンは気楽な様子で照準を修正すると、その“演出”のど真ん中へ30mm高性能焼夷榴弾の連射を叩き込んだ。
BRRRRRRRRRRRRRRRTTT
パーティーは存在しなくなった。
悲鳴もない。
爆発もない。
ただ蒸発し、赤い霧がゆっくり漂うだけだった。
スタンはため息をつく。
「まったく……」
うんざりした声で言う。
「現役の戦場で、敵が光のショーを終えるまで待つと思う理由って何だ?」
その瞬間――
彼の動きが止まった。
鋭い警告が背筋を這い上がる。
スタンは横へ飛び退いた。
何かが、ほんの一瞬前まで彼の頭があった場所を掠めて飛び去り、背後で炸裂する。
BOOOOM
新しくできたクレーターの中で、電撃が激しく弾けた。
「おや?」
スタンは瞬きをした。
「ずいぶん洒落た爆弾だな。」
彼は振り向く。
セレス教会の聖騎士団が、彼を囲むように大きな半円陣を作っていた。
各陣地の背後には、巨大な白い大砲が据えられている。
砲身には発光するルーンが刻まれていた。
形状は19世紀初頭の68ポンド砲のようだが――
中身は完全に聖なる砲兵魔法だった。
司祭たちが砲の間を歩き回り、合唱のように詠唱している。
圧縮された聖なるエネルギーが、砲弾へと強引に押し込まれていた。
スタンの笑みが広がる。
「おお……」
本気で感心した声だった。
「砲兵魔術師だけじゃなく、砲兵神父までいるのか?」
彼は肩を回す。
楽しそうに。
「この人間ども、千年前よりずっと面白くなってるじゃないか。」
BOOOOM
再び砲撃。
聖なる砲弾は、地球の砲弾の少なくとも五倍の破壊力で炸裂した。
爆風に押され、スタンは後方へ跳ぶ。
蹄が地面を削り、溝を刻んだ。
彼も反撃する。
BRRRRRRRTTT
大砲の一門が粉々に吹き飛んだ。
砕けた木材。
壊れたルーン。
宙を舞う兵士の体。
だが――
砲列は崩れない。
すでに別の大砲が照準を合わせている。
すでに別の司祭たちが詠唱を始めている。
聖なる砲弾が再び飛来する。
BOOOM
BOOOM
BOOOM
BOOOM
スタンは右へ走った。
爆発が足元を追いかける。
反撃する隙など、一瞬もない。
「今だ!」
誰かが叫んだ。
HUUUUMMM
巨大な魔法陣が、スタンの足元に展開した。
彼は滑るように止まる。
両脚が――
その場に固定された。
「聖属性の拘束魔法か?」
スタンは足元を見下ろす。
「妙だな。普通は俺を止められないんだが。」
彼は足を持ち上げようとする。
動かない。
一ミリも。
スタンはオートキャノンを、詠唱中の司祭たちへ向けた。
SPIIIINNN――
……何も起きない。
弾は一発も出なかった。
弾切れだ。
スタンはゆっくり息を吐く。
「……最悪のタイミングだな。」




